今日は吹奏楽部の練習はないのだが……

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今日は吹奏楽部の練習はないのだが……

 今日は吹奏楽部の練習はないのだが、音楽室には人がいる。隣のクラスの、ユミちゃんと呼ばれているほんわかお嬢さんが楽譜を見ながらピアノを華麗に弾いている。そしてグランド・ピアノに体を向けてトランペットを吹いているのが毬輪ひなたさんだ。ピアノの伴奏でトランペットの練習をしているらしい。  図書室からは毬輪さんの背中しか見えないのだけれど、猫背でもなく、そっくり返るでもなく、背中がすっと自然に伸びて、見た目がとっても綺麗なんだ。背中にも腰にも無駄な力が入ってないみたい。立ち姿の素敵な人っていいなあ。癖のないさらさらヘアーはそよ風との相性が良さそうだ。わたしもツインテールをやめて、ああいう髪型にしようかなあ。でもね、背中に手榴弾のイラストが入ったシャツは、毬輪さんのイメージとはちょっと違う様な気がするの。  わたしもピアノを弾けたら毬輪さんの伴奏役を務める事が出来たかも、なんて空想しちゃったよ。そしたら毬輪さんと差し向かいになれるのに。  曲が終わったところで、ほんわかお嬢さんがこちらを見て手を振った。  え、わたしに手を振っているのか? そんな事はないと思うが、と後ろを見ると、わっ、いつの間に来たんだ、M2号がわたしの背後に立っていた。  M2号って、体育が得意な元気な少女って感じなんだけど、歩く時は音も立てずに忍び寄るんだよな。まったく心臓に悪いよ。  M2号にはまだいじめられた訳じゃない。おっと違った、M2号にはいじめられた訳じゃない。「まだ」は要らないね。でも、彼女の姿を見たり、声を聞いたりするだけで、どきっ、となってしまうんだ。あ~あ。小学生の時の嫌な体験が色濃く残ってるんだよね。  そこへ今度は、どたどたと足音を立てて、別の生徒も図書室にやって来た。見ると、問題児さんと赤面小説家さんのコンビだ。 「あれ、カンナ先輩、どうしたんですか?」  M2号が尋ねた。 「いやあ、別に。ただ、梅村先輩に絞め技を掛けられただけで」 「はぁ?」 「いや、たいしたこっちゃないんだけどね。おっ、毬輪ちゃんだ。練習熱心だねえ」  問題児さんは向かいの音楽室を見て言った。 「毬輪ちゃんの髪も何時の間にか伸びてきたな」 「もう少し伸ばして、またヘアー・ドネイションするんだって」  と、これは赤面小説家さん。 「そういえば」  と問題児さんが言った。 「毬輪ちゃん、今年の文芸部を褒めてたよ」  え、毬輪さんが。 「去年、望月がいた時の文芸部は吹奏楽部よりうるさかったけど、今年はとっても静かだって」  音楽室より図書室の方がやかましい学校は珍しいと思います。 「しかし、何時見ても美人ですねえ、毬輪先輩って」  M2号が、全く素直にあっさりと言った。 「あんなに美人で女子から妬まれたりしないんですかね」  M2号って、こんな風に、割と自分の考えをストレートに投げ込むタイプだよなあ、とわたしは思う。  今日、数学の先生が練習問題の宿題を出したんだけど、M2号は、 「先生、練習問題なら学校の授業でも出来るんですから、わざわざ宿題にしなくてもいいんじゃないですか」  なんて言うのよね。 「放課後は、学校では出来ない勉強をやるべきです。例えば、映画を観に行くとか、犬や猫の世話をするとか、旅行に行って見聞を広めるとか。数学は授業中に出来るんですから放課後にやらなくてもいいと思います」  だって。  先生に向かってこんな事言う人は初めて見たよ。別に反抗的っていうんじゃないの。ただ自分の考えを率直に述べた、て感じでね。  そしたら先生も、ふーむ、そういう考え方もあるのね、としばし考え込んじゃったんだけど、こんな風に答えたよ。 「数学というのは、一段一段、階段を上って行く学問です。足し算引き算を覚えたから次は掛け算に行く。長方形の面積の出し方が解ったら次は三角形の面積に進む。そういう具合に一段一段、上って行く訳です。ですから、今日、授業でやった事をしっかり確実に身に付けないと次へは進めません。その為に、家で宿題をやると良いのです」  結局、宿題は出た訳なんだけど、授業が終わってから、門野、惜しかったな、もう少しで宿題がなくなるところだったのに、と男子からも女子からも言われたの。わたしと違って、こういう風に自分が正しいと思った意見をはきはき言えるから、みんなM2号の周りに集まって来るんだよね。 「門野、毬輪ちゃんは学校一の美人だけどさ」  問題児さんがM2号に言った。 「その美貌を妬むやつは、少なくともうちのクラスにはいないよ。  こんな事があったんだ。  修学旅行の時なんだけどさ、相部屋の女子が具合が悪くなっちゃって、旅館の部屋の中で、ゲエッ、と吐いちゃったんだよね。で、みんなで介抱したんだけど、毬輪ちゃんは、率先して、ゲロで汚れた床を雑巾で掃除したんだよ。ひとがいやがる仕事を自分からすすんでやる、そういうやつだから。  毬輪ちゃんは、男子からすればアイドルなのかもしれないけど、女子からすれば、信頼出来るきょうだい分、てところだね」 「へえ」 「毬輪ちゃんはいいやつだけどさあ」  赤面小説家さんが渋い顔で言った。 「問題なのはカンナだよ」 「えっ、あたし?」 「そうだよ。あの晩さ、男子の何人かがこっそり夜中に外へ遊びに行こうとして、一階の窓から抜け出そうとしてたじゃん。それを見つけたカンナが、ゲロ掃除に使った汚い雑巾を男子に投げ付けてさ。得体の知れない物が顔面にぶつかって、ギャッと叫んで、そいつ、窓から転がり落ちたじゃん」 「ああ、そんな事もあったね」 「大騒ぎになって、おかげでこっちまで、先生に説教くらったんだからね」 「でへへへへ」 「でへへへへ、じゃないんだよ」 「でも、カンナ先輩も、わたし達の孤児院ではいろいろ貢献してくれてますけどね」  と、M2号が言った。え? わたし達の孤児院? 「この前、孤児院に来た時、戸棚を直してくれて、みんな感謝してましたよ」 「わはははは。あれくらい、あたしにとっちゃ、朝めし前よ」 「ちび助たちが言ってましたよ。カンナのおねえちゃん、カナヅチでトントンしてるときが一番しずかなのねえ、って」  金槌の音よりやかましい人、というのも珍しいと思います。
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