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若先生こと、深水というこの男はここの店員ではなさそうだ。おそらく馴染み客か店主の知人なのだろうが、行き倒れの同然の見ず知らずの娘をおぶって閉店時間に現れても、店の方でもあまり大騒ぎする風もない。
ーー年若い派手な娘を連れ歩き、家出人風の娘を店に連れて来ることすらこの男の日常……?
ーーやはり怪しい。
上京して以来、音楽の勉強に明け暮れ生活に追われる日々で、東京見物らしいこともしていない。だが、巷の悪い噂は警告としてよく聞いていた。
今流行の「カフェー」なる店では酒やコーヒーを提供する陰で女給が体を売らされており、甘言に騙された家出娘が餌食になることも少なくないとか……やはりその手の店なのだろうか。まさか官制の公園のまん真ん中で?
「この娘、一文無しでベンチで倒れてたのよ」
ミミは差すように言い放つと、空いた椅子の上に藍子の楽譜と荷物を放り出しどさりと腰掛けた。
「どれどれ」
鄭先生は隣の椅子に腰掛けて藍子の顔をのぞき込んだ。
「今日の昼は夏のような暑さでしたからね。飲まず食わずで何日もさまよって弱っているんでしょう。リウ、湯冷ましを一杯」
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