はじまりはド

1/2
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

はじまりはド

 最初から嫌な予感はしていた。  同じ二年生とはいえ、向こうは音楽科でこっちは普通科。委員会や合同授業でも一緒になったことはない。接点は皆無と言っていい百目鬼瑠璃(とどめきるり)が、突如として二年三組の教室に現れたのがつい先ほど。  昼休み中なのをいいことに「はじめまして。音楽科二年の百目鬼瑠璃と申します。専攻は声楽です。少々お時間よろしいでしょうか?」と端的に名乗って有無を言わさず体育館の裏まで連れてきたのだ。  体育館の裏! よろしくない話をする定番スポットだ。  おまけに百目鬼瑠璃は校内でも有名な女子生徒だった。数々の声楽コンクールで優勝をさらった天才歌手。何度も表彰されているので、音楽科のみならず普通科でも顔を知らない生徒はいない。女性にしては背が高くスタイルも容姿もいい。腰までストレートに伸ばした黒髪をなびかせて堂々と歩く様は、まさに女王然としていたーー今は魔王に見える。  回れ右をして逃げ出そうとしたこちらを見越したかのように、瑠璃はスマホを取り出し突きつけてきた。 『暗黒作曲家 音在』  見覚えのあり過ぎるページが表示されたスマホを、音無日和(おとなしひより)は穴が開くほど凝視した。  動画投稿サイトのプロフィール。詳細欄には「気ままに楽曲を投稿してます」と適当な説明が記されている。設定した張本人なので日和はよく知っていた。 「これは、あなたですよね?」  スマホを見せつけた瑠璃が訊ねる。日和は認めることも否定することもできずに硬直した。  何故バレた。  黎陵高等学校普通科二年。取り立てて優秀でもなければ劣っているわけでもない、普通の女子高生。部活にも所属していないので放課後は真っ直ぐ家に帰るだけ。身長も体重も容姿も平均そこそこの日和が『暗黒作曲家 音在』などとイタイ二つ名で活動を始めたのは、二年ほど前からだった。 「初投稿は『りべんじ・おぶ・まーめいど』。タイトルの通り人間の王子に裏切られた人魚姫が男どもを籠絡させ復讐をするという内容の曲でしたね? ほんわかゆるゆるな曲調がだんだんとシュールなデスメタル調に変貌する奇抜さ。素敵です」  すらすらと語る瑠璃は確信しているようだった。無関係だとシラを切るのは不可能だと日和は悟った。  きっかけは図書館で目にしたDTM本。デスクトップミュージックの名の通り、楽器が弾けなくても楽譜が読めなくてもパソコンとその他機材さえあれば作曲ができる。なんか楽しそうだな、と体験版ソフトをダウンロードしたのが始まりだった。  結論を言えば、日和はDTMにどハマりした。気軽に始められるのがいい。ちょっくらカラオケに行くのと同じ感覚で思いついた曲を作ってみる。考えた歌詞を電子音声に歌ってもらう。それだけで自分が何か偉大なことを成し遂げた気になれるのだ。  必要な機材を揃えるのにお年玉三年分が消えたりもしたが、日和は後悔していない。 『音在』と名乗って作った曲を動画投稿サイトにアップしたら一晩で百を超える人が視聴してくれた。何名かから感想コメントをもらったりもした。自分が作った曲を誰かが聴いて、そして認めてくれた。それが嬉しかった。  以来、日和は二、三ヶ月に一回のペースで曲を投稿している。視聴者やファンは数百人と少ないが、反応は悪くない。童話などのストーリーをモチーフとしたダークな曲が多いことから『暗黒作曲家』だのと言われたりもして、ささやかに活動を続けていた。 「……おいくらほどで」 「何がですか?」 「だから、その……く、口止め料は」  自分で言っていて日和は悲しくなった。細々と楽しくこっそり活動していただけなのに、どうして大して接点もない他学科の同級生に、垢バレされなければならないのか。  口止め料を申し出てみたはいいものの、音楽科の生徒は総じて金持ちだと聞く。果たして自分の月のお小遣いでまかなえる金額だろうか。  肩を落とす日和に、瑠璃は封筒を差し出した。請求書まで用意しているとは、準備がいいことだ。日和は絶望的な気分で受け取って開封した。 「……なにこれ」  思わず日和は声に出した。薄桃色の便箋四枚に渡って達筆な字で、音在が今まで投稿した曲一つ一つの感想が丁寧に書かれていた。大変喜ばしいことではあるが、肝心の請求額がどこにも記載されていない。 「見てわかりませんか?」瑠璃は涼しい顔でさらりと言い放った「ファンレターです」 「ファン、レター?」 「はい」 「それってあの、ファンが推しに書くレター的な?」 「読んで字の如くファンレターです。音在先生に貢ぐならまだしも、お金を貰おうだのとは微塵も思いません」  意味がわからない。 「えと……ごめん。一応確認させてほしいんだけど、百目鬼さんは、私のリスナーさんだってこと?」 「リスナーでもあり、ファンでもあります」  呆気に取られた日和に向かって瑠璃はおり目正しく礼をした。 「お目にかかれて恐悦至極に存じます、音在先生」
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!