第5話:人生美味礼讃

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 夜十時。  白花、ジュリエット、遊希、紫の四人は揃って新宿のホテル最上階にある客室に泊まっていた。白花が自宅に帰るのは危険だし、取引が終わるまで協力するなら行動を共にした方が都合が良いからだ。  高級客室は優に十人は泊まれそうなほど広く、アメニティやトイレなどの設備も見たことがないほどいちいち綺麗で充実している。壁やベッド横のパネルには大量のボタンが付いており、これで各種ライトやBGMを切り替えられるらしい。誰がこんなに細かく設定したがるのだろうと白花は思ったが、遊希がボタンを押して遊んでいるのを目撃した。 「大人二人に子供二人、まるで仲良し家族で御座いますね」 「私は保護者じゃなくて庇護者だけどね」  今、四人はキングサイズのベッドが二つ並んだ上でゴロゴロしていた。  皆ホテルに備え付けのバスローブを着て思い思いの時間潰しに取り組んでいる。遊希はタブレットで荒野行動を遊んでおり、白花はそれをぼんやり見ていた。ジュリエットは小さなノートPCを膝に置いて何か文章を打っている。もちろん紫はもう既に寝息を立てている。 「というか、パワーバランス的には保護者三人に庇護者一人じゃないかな。私から見たら三人とも今日初めて会ったアンダーだし」 「コミュニティ内のパワーとロールは必ずしも結び付きません。実際、先ほど紫様をお風呂に入れられている姿は保護者らしく様になっておりましたが」  それはさっき部屋に備え付けの風呂に入ったときのことだ。  一人ずつ入ると時間がかかるので二人ずつということになり、白花は紫と一緒に入浴した。相変わらず紫はずっと眠そうにしていて動きも遅いため、白花がついでにその身体を洗った。他人の身体を洗うのは黒華が幼いとき以来だったが、動かないし喋らないのでとても楽だった。  風呂場では紫の周りによく蛞蝓が湧いてきた。蛆は食糧に湧いてくるように、蛞蝓は水周りに湧いてくるのかもしれない。白花の蛆が亀裂や溝から現れがちなのに対して、紫の蛞蝓はどこから発生しているのかイマイチよくわからない。カランに付着した水滴が気付いたら蛞蝓になっているという調子だ。  入浴を経て少し懐かれたのか、いま紫は白花の足に抱き着いた状態で寝ている。いや、初めて会ったときにも布団に潜り込んできていたらしいから、別に誰でもいいのかもしれない。 「白花お姉さん、狙われてるのですよ。ジュリエットは同性愛者なのです」  白花の腕の中から遊希が耳打ちしてくる。遊希は紫とは逆に、白花から抱き枕のように前に抱えられるポジションにいた。周りを小学生に囲まれている。  しかし白花周辺はともかく、遊希とジュリエットの距離感がわからない。この二人は険悪なのか何なのかずっと掴みかねている。  サイゼリヤでの説教から察するに、この二人はあの襲撃が初対面ではないというのは間違いない。遊希はやたらジュリエットに噛みつくことが多いが、さっきは一緒にお風呂に入っていた上に、同じ布団で寝ることには特に抵抗がないらしい。まるで反抗期の娘のようだ。 「ほら、ここに書いてあるのです」  遊希はタブレットで「Assassin Wiki」なるページを見せてくる。そこにはジュリエットの情報が詳細に記載されていた。依頼方法や報酬の支払い方法が主だが、身長、体重、武器、性格、性的指向などの様々な個人特徴まで書き込まれている。 「誰でも編集できる場所に真実が書いてあると思うのは危険ですよ。そこには書いてありませんが、報酬支払いはペイペイ送金にも対応しておりますし、正しくはレズビアンではなくバイセクシャルで御座います」 「そんなのどっちでもいいのです……」  そのとき、部屋に珍妙な曲が鳴り響いた。  やたら甘ったるい上にキンキンした女の子の声だ。しかも早口で何を言っているのか全く聴き取れない。  白花はこれが電波ソングと呼ばれる類の曲であることくらいは知っていたが、誰が歌っている何という曲なのか、そもそも誰が好き好んでこんな曲を聞くのかは皆目見当が付かなかった。 「はい、こちらジュリエットで御座います」  ジュリエットが自分のスマホを手に取って口を開いたことで謎の曲が停止する。  今の曲がジュリエットのスマホの着信音であったことを、白花は通話開始から数秒経ってようやく理解した。 「黒華様、御連絡お待ちしておりました。ちょうど白花様や遊希様もいらっしゃいますので、スピーカーホンにさせて頂きます」  ジュリエットが画面をタップすると、聞き慣れた黒華の快活な声が響く。 「ドゥイート見ましたよー。相変わらず完璧なお仕事、お見事です。お姉ちゃんがそこにいるってことは、まだ死んでない?」 「生きてるよっ!」 「あー、お姉ちゃん。お姉ちゃんなら心臓抜かれたくらいじゃー死なないって信じてたよ。で、ジュリエットさん、もちろんお姉ちゃんの心臓と私の代替命をトレードってことでいいんですよね?」 「はい、宜しくお願い致します。取引の場所と日時については?」 「今から行きまーす……と言いたいのは山々なんですけど、いま私の用事が立て込んでてちょっと動けないんですよ。本当に申し訳ないんですが、明後日に奥多摩の更に奥あたりでどうかなーと思ってまして」  続けて黒華が伝えた住所は白花には聞き覚えの無い地名だったが、遊希がすぐにタブレットで調べて見せてくれた。  ギリギリ都内だが、東京の西端で山梨との境あたりだ。かなり深い山中、Googleマップ上では茶色と緑色だけで塗られている。ストリートビューが表示されないあたり、車が通る道がないほどの山奥のようだ。 「はい、それで問題ありません」 「いやー、お手数おかけしてホントにすいません。あと、そちらさえ良ければ受け渡しついでに葬式もやりませんか? あんま関係者も多くないので小規模ですけど、手配はこっちで全部やっとくんで。ジュリエットさんにはお世話になってますし、ぜひぜひ」 「ええ、構いませんよ」  突如現れた不穏な単語を受け、白花は遊希に耳打ちする。 「ついででやる葬式って何かな。誰か死んだの?」 「葬式というのはいわゆる業界用語なのです。殺害依頼が無事に完了したあとに開かれる酒や食べ物を囲む会のことで、関係者が集まってターゲットの死亡を祝うので俗に葬式と呼ばれているのです」 「殺人に伴う儀式って言うと、こう、部族のお祭りみたいな?」 「その時代錯誤なイメージには大きな誤解があるのです。依頼主が請負主を労って行う打ち上げ、今後の交流を円滑にするためのもっと社交的な場ですよ。アンダーの世界は成文法が通じないだけに、人脈形成が意外と大事なのです」 「なんか、アンダーグラウンドにもプロトコルだったり葬式だったり色々面倒な決まりがあるんだね」 「とはいえ、アンダーグラウンドでは形骸化した慣習は嫌われる傾向にあるのです。葬式だって礼儀で渋々行われるものではないですから、参加する意義を感じなければ断ってもよいのです。それに表社会の決まりとの最大の違いは、違反を取り締まる治安機関が存在しないことなのです。プロトコルを遵守しない闇営業の殺し屋だってたくさんいますし、彼らはジュリエットと違ってプロトコルベースで出された依頼は請け負わないというだけの話なのです」 「殺し屋の闇営業って同語反復っぽいね」  白花と遊希が喋っている間に、ジュリエットと黒華は細かい取引の要件を締結したようだった。 「では、間違いなく明後日の十二時にそこで落ち合いましょう。ところで、一つだけ御相談させて頂いても宜しいでしょうか」 「もちろん」 「誠に勝手ながら、わたくしとしては少なくとも明日中には取引を終えるつもりでおりましたので、明日の予定が完全に空いてしまっております。これはわたくしがスケジュールを見誤ったという、全くの私事で大変恐縮なのですが、何か予定を埋められるようなイベントがあれば都合が良いと思っているところで御座います」  白花は再び遊希に小声で囁く。 「これ、遠回しに文句言ってるよね?」 「大人の交渉なのです。暗に『連絡が取れなかった上に取引が遅れる分だけ何かサービスしろ』と言ってるのですよ。とはいえ、これはかなり妥当な要求なのです。殺害依頼後の取引は即日履行が原則ですし、依頼を出しておきながら数時間連絡が取れなかったこともやや非常識と言わざるを得ません」 「でも、それはあくまでも慣例上の話だからサービス要求に応じるかどうかは黒華次第だね」 「わかってきましたね。その通りなのです」  横でジュリエットが交渉を続けている。 「特に、わたくしが今最も気にかけているのは白花様の心臓の状態で御座います」 「あー、それは確かに気になりますねー。そーですねー、ちょっと待ってください」  通話の保留が入り、またしてもキンキンした声の電波ソングが鳴り響く。白花はスマートフォンとジュリエットを交互に見比べるが、それで何がわかるわけでもない。  サビらしき歌詞を二周したあと、黒華が通話に復帰する。 「それなら明日はサークロさんのところに行ってみるのはどーでしょう。彼女、前から特殊なブラウのサンプル集めに苦労してますから、検査には快く協力してくれると思いますよ。あそこならレントゲンとかもあるでしょーし」 「研究者のサークロ女史ですか?」 「そーそー、神奈川の座間らへんにいる」 「そうですね、それはこちらとしてもありがたいです。明日は心臓目当てのアンダーに襲われる可能性もありますし、サークロ様のところにいるのが安全でしょう。白花様のデータと引き換えに一晩泊めてもらって、そのまま明後日の葬式に行く流れになるでしょうか」 「いーですね! それじゃ、サークロさんにはそのスケジュール込みでこっちから打診しときますね。あとでまた一応メールしますけど、たぶん大丈夫だと思うんで」 「全て承知致しました。それではご機嫌麗しゅう」 「はいはーい」  通話終了。  ジュリエットは再びベッドに横たわった。しなだれかかる動きが色っぽい。 「そういうことですので、明日は八時起きで御座います。明日のためにも早くお休み下さいませ」  ジュリエットが遊希のタブレットを取り上げてリュックの中にしまう。そしてベッド横のパネルを操作すると部屋の電気が消え、遊希が寝息を立て始めるのには三分もかからなかった。  白花も仰向けになって目を瞑る。  今更ながら、黒華がジュリエットと会話交渉をしていたことに不安とも感心ともつかない妙な感銘を覚える。まだまだ子供だと思っていた妹がいつの間にかアンダーグラウンドで一流の殺し屋と対等に渡り合っている。  喩えるなら、妹がバイト先できちんと働いている姿を目撃したような気持ちだ。
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