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「……まあ、大丈夫か大丈夫じゃないかの二択で言えば、大丈夫な方だとは思ってたけどね」
案の定、銃弾は白花の数センチ上方でぴたりと止まった。そこで完全に推進力を失い、白花と紫を避けて地面に落ちていく。
「あ、これエージェントじゃなくてネオのやつだ」
紫を右腕で背負ったまま、白花は左腕を宙に伸ばしてみる。やはり身体の周辺で銃弾が静止し、白花まで届かない。
よく目を凝らすと、手のひらの周りを透明な膜が覆っていた。透明なのだから、膜それ自体を見ているというよりは、周囲の風景の屈折を見てそこに膜があると判断したと言った方が正確だ。
腕に巻き付いているゼラチンのようなものにはどこに切れ目があるのかよく見えない。上下左右を見回して、それは白花と紫の身体全体を覆うように付着していることがようやくわかった。スライムの塊を頭から被ったような状態だ。
超能力バリアじみていてカッコイイ装備ではあるが、紫が『蛞蝓這わせ』であることを白花は忘れていない。
案の定、白花の腕には大量の蟲が這っていた。
角だけの頭、少し膨らんだ直線状のボディライン、やや透けた白色の体表面。数十匹以上の蛞蝓が右に左に上に下に、人の肌の上をノロノロ好き勝手に動き回っている。この蛞蝓たちが身体を覆う粘液を分泌しているのかもしれないし、白花の全身を巨大な蛞蝓が覆っているのかもしれない。
気持ち悪いと思わないではないが、蛆虫に慣れている白花にとってはどちらかというと可愛い部類に入る蟲だ。二本の角があるあたりが犬や猫の耳のようで十分なチャームポイントになっている。蛆にはそれすらない。
「これって紫ちゃんの蛞蝓?」
「そう」
ダメ元で背中に語りかけると意外にも素直な返答が返ってきた。
「あ、喋れたんだ。声を聞くのは初めてだね」
「違う、わたしは喋ってない。自分の顎に手を当ててみて」
言われた通り顎に右手を当て、ようやく紫の言葉の意味を理解する。
「喋っているのはわたしじゃない、あなた」
その声を発しているのは白花自身だった。白花の顎と喉が動いて紫の台詞を喋っているのだ。
よくよく考えてみれば、この会話が耳から聞こえる音であることは有り得ない。いま白花と紫は銃弾の嵐の中にいるのだ。普通に喋っている声など発砲音にかき消されて聞こえるはずがなかった。白花自身が紫の台詞を喋り、それが骨伝導で聞こえている。
「これ、どういうこと?」
「蛞蝓の身体は粘体。粘体の本質は区別の撤廃」
「わかんないけど、もうちょっと詳しく言える?」
「わたしとあなたは同じだから、喉を共有する。わたしと銃弾も同じだから、当たるかどうかわたしが決める」
「わかんないけど、具体例とかある?」
「わたしの腕を掴んでみて」
紫の腕は背後から白花の首の前に回されている。
それも白花と同様に厚い粘膜に覆われていた。細い腕にはその倍ほどの太さがある透明な覆いがかかっている。
言われた通りに腕を粘膜ごとぎゅっと掴む。すると、粘膜はムニュウと大きく形を変えて腕を掴んだ白花の指先を逆に包み込んできた。まるで粘膜が白花の手の平を掴み返しているかのようだ。
「粘体を握れば、同じ強さで握り返してくる」
「確かにそうかも」
「そう。あなたが握っているのと、粘体が握っているのは、区別できない」
「うーん、まあ、そう言えなくもないかな」
自分の口が勝手に他人の台詞を喋っている不安感から、ついつい細切れに相槌を打ってしまう。ずっと喋らせてしまうと主導権が向こうに移って二度と戻ってこないような気がする。白花は自分の台詞を話すたび、まだこの喉は自分のものでもあることを確認する。
「動かないのに動き出す、意志の所在がわからないのが粘体。いつでもあなたの動きと形に追随する。地面に映った影と同じ」
「ああ、それわかりやすいね。影って常に自分と同じ動きをするから、何となく自分が影を動かしているように思ってるけど、ひょっとしたら自分の方が影に動かされてるかもしれないっていうか」
「そう。触った粘体も影と同じ、いつでもあなたと一緒に動く。だから粘体は、わたしとあなた、能動と受動、主体と客体、図と地の区別をしない」
「なるほど、わかってきたかも。私が粘体まみれの喉を動かしているつもりでも、そのとき粘体は喉と同じ動きをしているわけで、それは粘体がわたしの喉を動かしているのと区別が付かないってことかな」
「そう。ルビンの壺、シュレーダーの階段。それがわたしと蛞蝓と粘体」
「銃弾を弾くのは粘液がぶよぶよだから?」
「違う。銃弾と粘体の区別もない。銃弾が粘体に当たるのも、粘体が銃弾に当たるのも同じこと。だから当たるかどうかはわたしが決めてもいい」
「要するに、蛞蝓の身体に触れたものからイニシアチブを奪ってジャックできるってことかな。私の喉も銃弾も」
「奪うじゃなくて共有」
「ああ、最初は精神支配的なやつかと思ったけど、他人任せの究極形っていうか、外部の人とか物に活動を全部アウトソーシングしてるってことだよね。私も色々なものにフリーライドして生きてるし、それはかなり共感できるかも。今だって紫ちゃん任せ」
「そう。わたしもあなたも同じ、人も物も同じ」
「おおお」
ようやく斉射が終わった頃には、周囲の地面は全て耕したように捲れ上がっていた。ついさっきまで生い茂っていた草や芝生や花は全て激しい銃撃によって根っこから掘り起こされ、地面の中で攪拌されている。
それは哀れな男たちも同様だ。ところどころ原型をとどめたままの人体が地面にかき混ぜられている。その光景はシュールレアリスム作品のようだ。もしくは、人間もまた大地に還る存在だというようなことを主張する自然主義者のプロジェクトアートとしての価値を見出せるかもしれない。
耕地に植える種の代わりには鉛の弾丸が無数に転がっている。銃弾はどんなに少なく見積もっても数百発はあった。小さく同じ形をした粒の散乱は、蛆が湧いているときの感じに少し似ていなくもない。
遊希とジュリエットを囲む蜘蛛の巣のシェルターは大量の弾丸に包囲されている。もはや弾を積み上げて作った山のように見えた。
遊希が傘が閉じると、蜘蛛の巣に絡めとられていた銃弾がバラバラバラバラと銃撃のような音を立てて地面に落下する。白花や紫と同様、ジュリエットと遊希も全くの無傷だ。
「これ、サークロさんって人の支援攻撃なんだよね。こんなに派手にやって大丈夫なのかな、警察だか管理局だかが黙ってないでしょ。発砲音を聞きつけてくるかもしれないし、これだけの死体の山を放っておくとも思えないし」
「全く問題ありません。というのは、ここが自衛隊の敷地内だからで御座います。この山に入ってくるときに最初に開けたフェンスの扉、あれが自衛隊の敷地内外を隔てる境界線です。あの軍用ヘリも自衛隊の武装ですから、軍事演習の一貫ということで済みます。死体の山についても、反社会的勢力の敷地不法侵入への対応ということで処理できるはずです」
「サークロさんって自衛隊の人なんだ。自衛隊もアンダーに協力していいのかな」
「いえ、それは違います。サークロ様は自衛隊とは完全に無関係の一般人ですし、自衛隊がアンダーに協力することもありません。しかし、実質的な関係はその限りでは無いのです。それはよくあるブラウ絡みの面倒な利害調整と政治的な交渉の結果なので御座います。詳しくはサークロ様自身が説明してくれることでしょう」
「そっか」
白花はポケットから蛆虫を一匹取り出し、死体の山に向けて投げてみた。
着地した蛆はただちに増殖して死体二つ分の死肉を食い尽くす。しかしどうも三体目に向かう足が鈍い。流石の蛆虫たちでも、これだけ広範囲かつ大量に散乱した死体は持て余し気味か。
しかし、食事を急ぐ必要は全くない。せっかくの御馳走はゆっくり楽しんだ方がいい。
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