第7話:私は悪魔の羽根を踏まない

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第7話:私は悪魔の羽根を踏まない

 翌日。白花たち四人はまたしても山中を歩いていた。  天気は生憎の雨。朝からずっと曇っていたおかげで昼過ぎの今でも気温こそ高くないが、雨の勢いは増すばかりだ。  四人とも迷彩柄の大きなレインコートを着込んでいる。透明なバイザーに打ち付ける雨粒の音が銃声のようにうるさい。湿度も高度も高い山中には深い霧がかかっており、前を進むジュリエットを見失ったらすぐに遭難してしまいそうだ。 「はぁ……はぁ……あ、あと……あと何キロ?」 「もうほんの一キロほどで御座います。頑張りましょう」  白花は石だらけの地面を踏みしめて進む。足元の木の根や岩が邪魔で、平坦な道の何倍も体力を使う。  昨日入った山とは比べ物にならないほど深い。この山に比べれば、昨日入った山なんてちょっとしたアスレチックのようなものだ。あちらは神奈川の市街地からたかが数キロしか離れておらず、高い所から見れば遠くには家や電柱が見えたものだ。  今は全く違う。周囲十数キロ、見渡す限り全てが山。  今日はサークロの研究所を出てから、東京の西端にある黒華との取引場所を目指して移動を開始した。車が通れる道まではサークロ経由で自衛隊から借りた四駆で乗り付けられたのだが、そこからは人がすれ違うのがやっとの道を縦列で延々歩き続けている。  今日は誰にも追われていないので急いで進む必要はない。  しかし、誰にも追われていないために昨日と違ってジュリエットは白花を抱えてくれない。自分の足で歩く白花の疲労は溜まる一方だ。  ジュリエットの背中で寝息を立てている紫が羨ましくて仕方ない。きっと白花だって頼めば紫と一緒に背負ってくれるだろうが、いい年をして自分からおんぶをお願いするのが恥ずかしいと感じる程度のプライドは白花にもあった。  高まる疲労と脆いプライドのせめぎ合いがずっと続いている。あと百歩だけ歩いたらジュリエットに背負ってもらおうと思って百歩が過ぎ、また同じ決意をするということを繰り返している。  大きな木の根っこが張り出していたりして「これはもう諦めていいだろう」と思うたびにジュリエットや遊希が優しく手を差し伸べてくれ、ギブアップを申し出るタイミングを逃してしまう。  多分、ジュリエットと二人の山中だったら白花は一時間以上も前に音を上げていただろう。しかし、小学生の遊希が一人で歩いているのを見ると「小学生よりは頑張らないと」と思うし、小学生の紫がジュリエットに背負われているのを見ると「小学生と同じ扱いはどうなんだ」とも思う。二人の小学生の存在が、あと一歩だけ、あと一歩だけという白花らしくもない地道な努力を実現させていた。  とはいえ、インドア派の白花の限界は明らかに迫りつつある。足の痛みが腹痛にまで発展し始めたのが十五分前だ。  何故かレインコートの内部に少しずつ蛆が湧いてきて、足元に蛆をポツポツと落としていっている。疲労によって蛆虫を生成するコントロールが乱れるのかもしれない。今までこんなに疲れることがなかったので知らなかった。  もうあと三百歩だけ歩いたら絶対にギブアップするぞと決意し、そこから二百七十八歩歩いたとき、ジュリエットが足を止めた。 「お疲れ様です。到着で御座います」  白花が顔を上げると、目の前には開けた広場。  そしてその中央に教会があった。とにかく大きくて古い。全体が風化した茶色で、至る所に蔦が絡みついているが、よく見ればなかなか立派な作りをしている。  壁面には煉瓦が一つ一つ丁寧に積み上げられており、尖った塔の先端には大きな十字架が掲げられている。アーチ状の小屋根が付いた窓がたくさん取り付けられ、濃い蔦と付着した土の下には巨大なステンドグラスも見えた。  扉を開けて中に入ると、まず空調が効いているのがわかった。ほどほどに冷えて除湿された空気が火照った身体に気持ちいい。  細かく装飾された柱が何本も立ち並び、正面奥には聖マリア像が鎮座している。その隣には巨大なパイプオルガンが設えられていた。外側からはよく見えなかったステンドグラスも、内側から見れば色とりどりのガラスを繋ぎ合わせたモザイク模様が預言者のモチーフを形作っているのがわかる。  内部構造は立派な一方で、床面を中心とする内装は目下リフォーム中のようだった。教会には規則正しく並んでいるはずの長椅子が全て撤去され、中央に大きな空きスペースが作られている。  取り外された長椅子は壁際に立てかけられたり積み上げられたりしている。しかもその周りには、大小さまざまな工具や木材、その他よくわからない金属類などが無数に放置されていた。 「あ、いらっしゃい。皆さんお元気そーで何よりでーす」  積み上がった木材の影から黒華が顔を出した。  大きなエプロンを前にかけ、いつもツインテールの髪を今日は一つに縛って白い頭巾を被っている。いや、よく見ると、ツインテールにした髪をもう一度一つに束ね直している。  いかにも作業中という装いの黒華は、直径数メートルもある大きな円卓テーブルを横向きにゴロゴロ転がしながら近付いてきた。 「やーお姉ちゃん、二日ぶりだね。生きててよかったー。この教会、かなり昔に消滅した集落で使われてたらしーんだけど、私の新しい拠点に出来ないかと思ってリノベしてたんだ。ジュリエットさんもご無沙汰してます。ここ、昨日まで電波通ってなかったんで、なかなか連絡取れなくてすいません。今はもうWi-Fi引いたので使ってもらってダイジョブです。SSIDとPassはそこの壁に貼ってあるんでどーぞ。いま葬式の準備中なので、もうちょっとだけお待ちくださいね」 「ご無沙汰しております、黒華様。こちらこそ、昨日はサークロ様に取り次いで頂きありがとうございました。わたくしも手伝いましょう」 「いやいや、ホストがゲストの手を借りるわけにはいきませんから! その辺に座っててくださいな」 「では、お言葉に甘えさせていただきます」  ジュリエットは壁際で無造作に放置されている長椅子の一つに腰を下ろす。遊希もその隣に座ろうとするが、それは黒華に阻止された。 「待て待て、遊希と紫はゲストじゃなくてホスト側でしょ。二日間お疲れ様ーって言ってあげたいのは山々だけど、結局ジュリエットさんに手も足も出なかったみたいだし?」 「それは黒華の計算通りでしょう。悔しいですが、今の僕では強者には歯が立ちません。僕に期待されていたのは雑魚のフィルタリングだけで、最終的にはジュリエットのような手練れに殺害依頼を達成させる計画だったに決まっているのです」 「まー、それに気付けるようになっただけ成長したってことだよ。ほらほら、体力の有り余ってる小学生がゆっくり休んでるんじゃありません。料理でも手伝ってきな、あっちの右側の暖簾ね」  黒華は遊希と紫の背中をバシバシ叩いて教会の奥へと送り出していく。白花よりも遥かにお姉さんらしい。  思えば、黒華が遊希と同じ年齢だった頃は白花もまた高校生だったが、こんなに姉らしくしていた記憶は全くない。やることと言えばたまに一緒にゲームをするくらいだ。こうしなさいとかああしなさいとは一度も言わなかったし、それは両親が死んでからも変わらなかった。 「で、お姉ちゃんは今のうちに衣装を整えてきて。主賓なんだからさ」 「主賓はジュリエットじゃないのかな」 「だってこれ、お姉ちゃんの殺害依頼が無事終わったことを祝う葬式だからね。死体がメインに決まってるじゃん。着付けは左の奥だから」  白花も黒華に背中を押されて送り出される。  見れば、教会の真ん中よりも少し奥にある袖廊が暖簾で区切られて控室のようになっていた。黒華の言葉からすると、左右一対の袖廊のうち、右側が料理スペースで左側が着替えスペースなのだろう。確かに、右側からは微かにシチューやパンの良い匂いがする。  左側の暖簾をくぐって入っていくと、いくつかのテーブルと椅子と姿見が置いてあるだけの簡素なスペースだ。狭く区切られている分、大きな窓から聞こえる雨の音が大きく反響する。  二人の見知らぬ女性がパイプ椅子に座ったまま白花を出迎えた。 「どーも、こんちは」  その声と共に、ギターがジャーンと鳴った。
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