第7話:私は悪魔の羽根を踏まない

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 着替えスペースからホールに戻ると、もう葬式の準備がかなり進んでいた。  聖堂の中心にはさきほど黒華が転がしていた巨大な円卓が設置され、遊希と紫が料理スペースとの間を行ったり来たりして料理をその上に運び込んでいる。  パンや肉やサラダなどの洋風料理が主だが、それらが置かれる円卓は明らかに中華料理用のそれだ。周縁に取り皿を置く固定されたスペースと、中央に大皿を置く回転するスペースで構成されている。元々教会には長椅子はあってもテーブルは無いため、外から手頃なものを持ち込んだのだろう。  円卓を取り囲むように椅子が配置されているが、それは長椅子を途中でぶつ切りにして無理矢理一人用の椅子に仕立てたものだ。  手持ち無沙汰になった白花は、右側の袖廊にある料理スペースに向かう。  遊希と紫を手伝うためというよりは単に好奇心を満たすためだ。白花自身は無宗教者だが、大学では宗教学を専攻していた。そのため、教会全体がどのようにリノベーションされているのかにはそれなりに関心があるのだ。  暖簾をくぐって料理スペースに足を踏み入れる。  殺風景だった着替え用の控室に比べ、こちらはキッチンとして完成していると言っても過言ではない。移動式シンク、クッキングヒーター、レンジやオーブン類などの大型の設備のほか、壁際のガラス棚には大量の皿や鍋、大小様々なトレーにコップ類、ナイフやピーラーなどの調理器具も充実している。  そこで料理しているのはたった一人の女性だった。白花が入ってきたことには全く気付かない様子で、まな板に向かって黙々と新鮮なピンクサーモンを切っている。トントントンという一定の速いリズムで魚肉が切り身に変わっていく。  彼女はメイド服を着ており、どことなく淡々とした後ろ姿には見覚えがあった。 「ジュリエット?」 「ひっ!?」  声をかけると、いきなり悲鳴を上げられてしまう。その女性は包丁をシンクに取り落とし、慌てふためきながら振り返る。 「ちちちちち違いますぅ、私はジュスティーヌですぅ」  腹に力の入っていない抜けるような声だ。表情も声と同じくらい自信無さげで、小動物のように怯えて警戒した目線が上目遣いに白花を捉えた。  白花は袖廊から顔を出してジュリエットの姿を探す。ジュリエットは最初に座った位置で足を組み、今は優雅に紅茶を啜っていた。目が合うと微笑んで手を振ってくる。再び顔を引っ込めてジュスティーヌの顔を見る。  こうして見比べると、別に瓜二つというほど似ているわけでもない。二人ともメイド服を着ていること、あと身長や体格もそう大きくは違わないが、纏っている雰囲気は全くの真逆だ。  ジュリエットが常に自信に満ちた笑みを崩さないのに対して、ジュスティーヌは自分と他人への不信感が入り混じったような陰鬱な表情でこちらを見ている。ただ話しかけただけなのに大きく料理を妨害したようで、こちらまで申し訳なくなってくる。  よく見れば、メイド服のデザインもかなり違う。ジュリエットが正統派のロングスカートであるのに対して、ジュスティーヌの方はもう少し丈が短くてロリータっぽいというか、秋葉原や中野にいそうなポップな感じだ。ジュリエットが白い大きなエプロンを前にかけている代わりに、ジュスティーヌは腕や足首に髪留めのような白いフリルを付けている。 「白花です、よろしく。暇だから手伝いに来たんだけど」 「私は料理を作るだけなので早く持って行ってくださいぃ」 「あ、はい」  つっけんどんな割には饒舌だったサミーに対して、こちらは本当につれない。鍋掴み付きの大きなシチューの鍋を手渡されてすぐに追い出されてしまった。  しかし、そもそも食糧に蛆を湧かせるという迷惑な体質の白花は食事関連の手伝いをするべきではないということを思い出す。鍋には蓋が付いているから多分大丈夫だとは思うが、食欲を出すと料理に蛆が湧いてきてしまう。  すぐに通りがかった遊希に鍋の運搬をバトンタッチし、白花は再び無職に戻った。目的もなく教会の内部を歩き回る作業を再開する。  やはり勝手にリノベーションされている教会を見るのはなかなか面白い。  教会という施設は伝統や慣習によって前もって一定の建築様式が定められているため、そこから逸脱している様子を見る機会は貴重だ。長椅子や柵などの可動性が高いものは全て取り外されているが、太い柱やステンドグラスはそのまま残っている。教会の原型はきちんと維持されているのが却って強烈な異化効果を醸し出す。  身長よりも高く積み上げられた木材の周りを意味もなくグルグル回っていると、隅っこの方で長椅子の影に隠れてポニーテール風のツインテールが揺れているのが見えた。近付いて見れば、黒華が椅子を紙やすりで削る作業に没頭している。長椅子をぶった切って作った一人用の椅子の側面を滑らかにしているのだ。 「ああ、お姉ちゃん。チェーンソーでちょん切った長椅子のささくれが酷いんだよ。電動やすりも用意しとけばよかったなー。暇なら一緒に削ってくれない?」 「ん、いいよ」  黒華から紙やすりを手渡された。その辺に転がっている木片に巻き付け、椅子の断面にくっつけて上下に動かす。やはりこのくらいの単純作業が一番性に合っている。 「なんか、むかし黒華と一緒にピアノ弾いたときみたいだね」 「あー確かに、並んで手を上下させてる感じがね。でもうちにピアノがあったのって、私が幼稚園の頃じゃなかったっけ」 「まあね。あれさ、黒華は一生懸命私の真似してたけど、私は適当に鍵盤叩いてただけだったよ」 「別にいーよ。何でもお姉ちゃんを真似したいお年頃で、華麗に連弾したかったわけじゃなし」  ピアノのときとは逆に、白花は椅子を削る動きを黒華に合わせてみる。  黒華も手を上下に動かしているだけだが、一定のリズムとテンポはある。上、下、上、下。切断面の一往復に一秒のペースだ。  それに合わせてスライドさせると、自分のペースでやっているときよりも滑らかに削れていく気がする。行ったり来たり、行ったり来たり、シンクロした動きをするのが気持ちいい。 「裏社会の葬式って、皆でスーツとかドレス来て集まる高級パーティーかと思ってたけど、これってほとんどホームパーティーじゃない?」 「まーね。別に決まりはないし、この人数ならこんなもんだよ。てか、ジュリエットさんは気付いてるだろーけど、私的にはこの拠点をお披露目するのがホントの目的なんだよね。これからも使っていくし、関係ありそうな人には一度足を運んどいてもらおーかなっていう」  これから、という言葉に引っかかる。  黒華がこれからもここを拠点として使うということは、黒華はジュリエットとの取引を終えてからもアンダーグラウンドで活動するつもりなのだろう。黒華のホームは依然としてこの社会の裏側だ。  では、白花はどうか。白花は葬式を終えて黒華やジュリエットと別れて、これから何をするのだろう。  ジュリエットは白花も既にアンダーグラウンドの住人だと言ったが、白花自身はまだそれを受け入れたわけではない。あの蛆だらけの家でネトフリを見ながら廃棄弁当を食べる生活に戻っても構わないと思っている。  しかし、そうするにしてもジュリエットや遊希や紫との縁を完全に切ってしまうのは少し寂しい。何らかの形でアンダーグラウンドと行き来したいという思いはある。  いずれにせよ、これから黒華と白花が辿る道は同じではない。  というか、今までも別に同じではなかった。白花が引きこもっている間に黒華はアンダーグラウンドに潜っていた。姉妹の人生は違うという事実から目を背け、考えないようにしてきただけだ。  その結果、二年振りに再会した黒華からは訳の分からない殺害依頼を受けて事件に巻き込まれ、黒華の真意は未だ見えないままだ。  真意というのは、別に殺害依頼をした直接の理由のことではない。恐らくそれは表面的なものに過ぎない。本当に知るべきことは、黒華が何を考えてアンダーグラウンドをどう歩んできたかだ。黒華はどういう人間なのか。それを知るには黒華と地道に対話するしかない。  そのチャンスは今しかなかった。  葬式の後はすぐに別れてしまうだろうし、こうして二人きりで話す機会は葬式の間にもないかもしれない。いつも何かが唐突に起こるこのアンダーグラウンドでは、目の前の機会を逃す損失は計り知れないということを白花は学んでいた。  白花は思い切って、でも何でもない雑談を装って、軽い調子で口を開いた。 「そういえばジュリエットに聞いたんだけど、家にあんま帰ってこなくなったあたりからアンダーグラウンドにいたんだって?」 「そだねー」 「黒華も遊希ちゃんみたいな感じだったのかな。大人に混ざって戦ったり、人を殺したり」 「そだねー」 「それってさ、その、私がもっとちゃんとお姉ちゃんらしくしてれば、黒華はアンダーグラウンドに潜らずに済んだのかな」  黒華は紙やすりをかける手を止める。無意識に動きを合わせていた白花の手も一緒にストップした。 「うーん、別にそんなことはないんじゃん? もともと私にはアンダーグラウンドの方が向いてたし、遅かれ早かれこーいう道を選んでたと思うよ。最低限、自衛できるくらいの能力があれば身一つで勝負できる世界だからね。アンダーグラウンドがそーいう風に作られたというよりは、インタポレーションで万人に無差別にスキルが降り注ぐと、自然にそーいう世界ができるんだ。別に言うほど血で血を洗うとこじゃないし、仁義だって人脈だってあるよ。今こーやって葬式をやってるのも、そーいうやつの一環なわけだしさ。てか、お姉ちゃんがそんなことを気にしてるのが意外なんだけど。ジュリエットさんについでに何か言われたでしょ?」 「あたり。でも、他人に突っ込まれたら気になる程度には気にしてるんだ」 「へーえ」  白花の目を覗き込む黒華の顔は記憶にあるより遥かに大人びていた。  鼻筋が通っていて目つきも鋭い。猫のように飄々とした顔をしていながらも、瞳孔の奥では何を考えているのかわからない。  こんなに近くで黒華の顔を見るのは、白花が一番お姉さんぶっていた十歳くらいのとき以来だ。当時は一人でもそれなりの会話が出来るようになった黒華が可愛くて仕方なくて、家でも公園でもいつも引き回していた。  あの頃の黒華と今の黒華は違う。一度妹の変化を意識してしまうと、名前が同じだけの他人と喋っているようでどうにも落ち着かない。ひょっとして、黒華から見る白花も昔とは変わって見えているのだろうか。 「でも、それはお姉ちゃんのキャラじゃないよね。はりきって保護者ぶられるより、友達くらいの方が私は気楽だよ。私が人を殺しても怒らないとことかすごく好きだよ」 「それは私とは関係ないしどうでもいいよ。でもやっぱり、こうして並んで作業していると、道を違えてしまったなんて言うとちょっと大袈裟だけど、何か他にやりようはなかったのかなあというか……」 「それはさ、別に私がアンダーグラウンドに潜ったからじゃないでしょ? やっぱりお姉ちゃんって対人能力が根本的に終わってるんだよね。別にADHDとかPDDって言ってるわけじゃないよ。コミュニケーションの大々々前提、自他の区別が未だに上手くできてないってこと。お姉ちゃんは他人が他人であること、それぞれがそれぞれの人生を歩むことに耐えられないんだよね。だからせめて自分だけは未分化でいようと思って、会社を辞めたり引きこもったりして人生を進めずにいるんだ。それはそれで極端な先鋭化の一つってことにも気付かずにさ」  黒華は再び椅子に紙やすりをかけ始めようとする。  しかしそのとき、突き出た木のささくれに黒華の指が引っかかった。そのまま手を下に引いてしまい、肌に二センチほどの赤い線が走る。  黒華は舌を出して手をぶんぶんと振った。削った椅子の断面に少し血が飛ぶ。その光景を見て、白花は昔同じようなことがあったのを思い出した。 「そうだ、思い出した。私が小学校四年生くらいの頃だったかな、いつもの公園で黒華と一緒にアスレチックに上ってたとき。一番高いところで二人で空を見るのが好きで、その日も綱を掴んで頂上に上ろうとしてた。でも黒華が手を滑らせて地面に落ちたんだ。膝を派手にすりむいたせいでとにかく血が一杯出て、泣き出す黒華の隣で私は呆然としてた」 「ああ、それは覚えてる。雨上がりだったし、滑りやすかったんだろーね」 「そうそう。ママも私を怒ったりはしなかったけど、それから二人だけで遊びに行くのをそれとなく止めるようにはなったよね。あのときから私は黒華の保護者をやめたような気がする、パパとママが死んだあとまでずっと。あの怪我のこと、まだちゃんと謝ってないよね」 「謝らなくていーよ。自分のスキルを見誤ったのはお姉ちゃんじゃなくて私の責任なんだから。謝られたところで治りが早くなる怪我なんてないし、結局大した怪我じゃなかったからすぐ治ったし」 「でもずっと泣いてたじゃん。ママが怪我を洗ってマキロン塗って絆創膏貼ったあともまだ泣いてたし。夕食のときも寝てるときもなんかぐずぐず言ってたから、骨でも折ったのかと思った」 「いや、怪我が痛くて泣いてたんじゃないんだよ。私が本当に怖かったのは、お姉ちゃんが痛がってなかったことなんだ。私は痛いのにお姉ちゃんが痛くないっていうのが理解できなかったんだよ。私が怪我をしたらお姉ちゃんも痛いはずなのにどーして泣いてないんだろう、もしかしてお姉ちゃんはロボットなのかなとか、そんなことを考え始めたらどーしようもなく怖かったわけで」  黒華は自分の傷付いた指先をじっと見つめながら続ける。 「本当は、同じ場所に同じように傷を作って同じように痛がってほしかったんだ。復讐したいとかじゃないよ。痛みを共有できないことは他人であることの証明で、それが受け入れられなかったんだよね。でも、今はそうじゃない」 「一人だけ怪我をしても泣かない大人になった?」 「逆だよ。何が何でもお姉ちゃんにも同じ怪我をさせるってこと!」  黒華の指先にできた切り傷から蚊が頭を出した。蛆が湧くときによく似ている。すぐに十匹ほどの蚊が群れを成し、ブーンブーンと耳障りな音を立てて飛び立っていく。  そのうちの一匹が白花の指先に止まる。蚊の針が刺したと思った瞬間、そこを中心に皮膚が裂け始めた。きっかり二センチの赤い線が引かれたところで、傷の展開はピタッと止まる。  黒華の傷と全く同じ場所に全く同じ怪我を作ると、蚊はまたどこかに飛び立っていった。 「私の蚊ってさ、実は疫病だけじゃなくて怪我とか傷も撒き散らせるんだよね。お姉ちゃんの蛆虫が広い意味での治療をするのと同じで、私の蚊も広い意味での災厄をバラ撒くってとこかな。これでお姉ちゃんも私と同じように怪我ができるんだ、嬉しいな。ま、私たちはもうこのくらいじゃ泣いたりしないんだけどね」 「その気持ちはすごくよくわかるけど、さっき私に言ったことがブーメランになってない? 黒華だってその、自他の区別とやらを嫌ってるってことじゃないのかな」  複製された白花の傷跡からは、今度は蛆が顔を出していた。  シュッとしている蚊と違って体型が丸い蛆虫は、細い傷から出てくるのに苦労しているようだ。皮膚を無理やりかきわけ、ゆっくりもぞもぞと浮上してくる。 「お姉ちゃんの場合は友達みんなに対してそうだけど、私が一緒に傷付いてほしいのはお姉ちゃんだけだよ。その証拠に私は人を殺せるじゃん。究極の自他の区別って殺人だよ、相手は死んでて私は生きてるっていう落差より大きな違いってないからさ。私はそれに耐えられるけど、お姉ちゃんは耐えられないよ。だから誰とでも、自分を殺しに来たジュリエットさんとだってなんとなく仲良くなっちゃうんでしょ。コミュ障の癖に人たらし! お姉ちゃんには誰も殺せないし、殺せるのは自分だけだから、緩慢な自殺みたいな自傷暮らしで気を紛らわせてるんだよねー」  ようやく這い出てきた蛆虫が白花の皮膚を這い回る。  一匹目が傷をこじ開けたおかげで、二匹目以降は勢いよくあふれ出す。一気に二十匹以上が現れて傷跡を覆った。いつものように傷跡が見えないくらいに群れを成し、一斉に好き勝手な方向に蠢いてざわつく。  三秒待ってから、白花は傷跡に舌を這わせて蛆虫を舐めとった。唾液がテカテカと光る下には、もちろん傷一つない肌がある。 「そっちも治しとく?」  白花は、口に含んだ蛆をスイカの種を飛ばすように黒華に向けて飛ばした。蛆は黒華の指先に着地すると、改めて黒華の傷口から増殖し、ただちに傷を完治させた。  黒華も白花を真似て舌で蛆虫を舐め取る。そして喉を鳴らして飲み込んだ。 「最初からこうすれば良かったんだよ、お姉ちゃん。あのときもこうやって一緒に怪我をして一緒に治せばよかったんだ。虫の群れみたいに一緒に蠢いてこその姉妹でしょ」 「言えてるね」  黒華と笑い合う。  その屈託のない笑顔は十年前と変わらないもので、白花は胸のつかえがおりたようだった。黒華も白花も昔と変わってしまったわけではない。核は常に変わらないままだ。変わるのは精々、それを実現する手段だけだ。  そこで後ろから遊希が現れ、やや気まずそうに宴の開始を告げる。 「なんだか盛り上がってるところ申し訳ないですが、食事の準備が出来たのです。スイミーも準備できてます」 「はいはい。それじゃ行こっか、お姉ちゃん」
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