第7話:私は悪魔の羽根を踏まない

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 今二人で削った椅子を持って中央部に戻り、円卓に七つ目の椅子として配置する。サミーが聖マリア像の下からマイクを投げてよこし、黒華がキャッチした。 「えーえー、少女淑女の皆さん、お集まり頂きまして誠にありがとうございます。この度、わたくし皇黒華が依頼した皇白花殺害依頼の完遂に伴いまして、ささやかではありますが、葬式の場を準備させて頂きました。どうぞ大いにご歓談くださいませ……」  キーンとハウリング音が響く。この狭い空間でスピーカーを使えば無理もない。  黒華は舌を出してマイクの電源を切った。ついでに一発柏手を打って、畏まった雰囲気を解除する。 「はい、ま、一桁人しかいない小規模な葬式なんで、アットホームな感じで適当にやっていきたいと思います。せっかくだから、サミーとレイスも二十分くらい演奏してもらったら円卓で一緒にご飯食べましょう。どうせ食べきれないくらいあるしね」  黒華がマイクを投げ返すのを合図に、スイミーの演奏が始まった。  まずはレイスがパイプオルガンの鍵盤をゆっくりと押し込んだ。安定して間延びする独特の音色が教会内に響く。歩くような穏やかな音だ。  更にいくつもの鍵盤を押し込み、様々な音階が消えずに増えて重なり合う。身体に染み渡る共鳴に身を委ねていると、徐々に音が切り替わるペースが上がっていく。重く持続する音を背景に、タッタッタッと指先で弾くスタッカートのような旋律が増えていく。  そのスピードが十分に上がったとき、サミーが初めてギターの弦を引っ掻いた。不協和音ギリギリの叫びが教会内に鳴り響く。サミーはゆっくり力強く弦を弾き、ベースラインのような低音を担当する。代わりにレイスのパイプオルガンがアップテンポの主旋律を引き受けていた。  白花はミサなどでオルガンを用いて奏でられる宗教音楽をよく聞くが、この演奏は今まで聞いたことの無い斬新なものだ。 「これ、面白いね。パイプオルガンとギターっていう組み合わせがチャレンジング」 「スイミーの売りは広さと浅さだからねー。その場にある楽器で即興やるのが一番の得意技だよ。このまま聞いてたい気持ちもあるけど、料理が冷める前に食べ始めよっか。スイミーにお願いしたのはBGMだからさ」  円卓に向き直る。改めて見るとすごい量の食事だ。  中央に大きな鍋が三つもあり、その周りには細かな料理類が十数種類以上も大皿に乗って配置されている。この人数で食べきれる量とは思えないが、パーティーの雰囲気を優先して余る前提で作ってあるのだろう。  貧乏性の白花はついついタッパーで持ち帰りたくなるものの、この山を下りる荷物は一グラムでも増やしたくない。今ここで限界まで食べようと心に決め、隣の遊希に自分の器を渡した。 「私のシチュー取り分けてもらっていい?」 「いいですよ。どのくらい食べますか?」 「とりあえず七分目に」 「パンは要りますか? テリーヌは?」 「あーじゃあ、全部一口ずつくらいお願い。悪いね、私がやると鍋に蛆が湧くかもしれないから」 「そのくらいなら僕はギリギリ構いませんけどね。前に行った葬式ではゴキブリの湧いたラーメンを食わされたこともあったのです。もちろん嫌がらせとかではなく、完全な厚意なので断れなかったのです」 「ひえぇー」  遊希と白花が戯れている横で、紫はスモークサーモンを大量に取り分けて黙々と食べている。というか、スモークサーモンの大皿を自分の目の前に置いていた。サーモンはやたらと量が多く、薄く切った身が数十センチも積み上げられている。  ケバブ肉のような地層の側面には蛞蝓が這い回っている。サーモンのピンク色の表面には、新鮮な魚のそれとはまた違うテカりが作られていたが、紫は蛞蝓ごと躊躇なく次々に口に運んだ。  更にその隣ではジュリエットと黒華の会話が弾んでいる。 「ジュリエットさん、最近の調子はどうですか? 先月は例の連合とフランチャイズ先みたいなとこが揉めてましたけど」 「それは既に収拾が付きました。遂にタイタンまで出てきて話を付けようとしていた席で、お嬢がキレてしまったからです。あとは『ともだち』がめちゃくちゃにして終わりで御座います」 「あー、イマジンズの。あれ、『獏』はその場にいなかったんですか?」 「相性は悪くないというだけで、彼女一人で『ともだち』の相手をするのは荷が重すぎます。あれを単騎で止められる方となると、この場では紫様くらいのものでしょう」 「確かにそーですねー」  よくわからないアンダーグラウンド事情を聞きながら、遊希がよそってくれたシチューを啜る。人参や蛆虫や羊肉が喉を通り抜けていく。  見た目通り美味しい。美味しいのだが、「素人料理の中では上等」というべきか、「一から作った割にはよくできている」というべきか、とにかく何か枕言葉を付けずにいられない微妙な味だ。こう、親や妹が作ったら褒めるが、お店で千円払って出てきたらちょっと悲しいくらいの感じ。  最初から破滅的に不味そうならともかく、中途半端に盛り付けが上手いせいで却ってモヤモヤ感が増す。素人の食卓にあるべき料理が一丁前の体裁で出てきているという場違い感があるのだ。小規模なホームパーティーだと思えばこのくらいが最もふさわしいレべルなのかもしれないが。  何を食べても、一昨日の料亭では確実にこれより美味しいものが出てきたという思いがどうしても頭をよぎってしまう。なまじ良い料理を知ってしまったせいで要求ハードルが上がっているのかもしれない。  白花が複雑な思いで料理を食べている間に、演奏を終えたサミーとレイスが席に着いた。イマイチ垢ぬけない料理とは違って、彼女らの演奏は明らかに一流だった。  白花はサミーに素直な賞賛の言葉をかける。 「凄いね。感動したよ」 「あったりまえでしょ。あんたが思ってる百倍くらいは人気のアイドルなんだってば」 「あの、サイン貰ってもいいですかっ!」  突然上擦った声が響く。  声の主は遊希だった。紅潮した顔でリュックから取り出したCDとペンをサミーとレイスに差し出している。意外なところにファンがいた。 「ええ、もちろんいいわよ。あんた、名前は遊希だっけ」  サミーが慣れた調子で筆記体のサインと遊希の名前、髑髏マークを書き込む。レイスも同じようにサラサラと鳥のようなアイコンを記入する。 「どうぞ。大切にしてくださいね」  レイスに頭を撫でられ、遊希は帽子の下に顔を隠してしまう。サミーが勝ち誇った顔で白花を見た。 「どう、あんたにもわかったでしょ。ちょっと外を歩けばサインを求められるくらいの人気アイドルってことが」 「小学生に人気ってHIKAKINみたいなポジション?」 「違うわよ! こいつが特別にませてて、あたしたちの魅力がわかる前途有望な音楽ファンってだけ」  気付けばテーブルを囲む人数は七人もいる。インタポレーション以降、飲み会の類に行ったことのない白花にとっては最大規模の食事会だ。  テーブルが賑やかになると共に、次第に活動のウェイトが食事から歓談へと移り始める。全員がそれなりに腹を満たして料理を消費する手も止まってくる頃には、紫が一皿分のスモークサーモンを一人で食べきり、いつものようにうとうととまどろみ始めた。 「では、そろそろメインイベントの取引を始めましょうか、黒華様」  ジュリエットが鞄から取り出した瓶をテーブルの上に置いた。  中に入っているのはもちろん白花の心臓だ。溶液に浮かぶ赤い肉片の表面には、今も無数の蛆がうぞうぞと蠢いて白い炎症のような模様を作っている。 「そうですね、宴もたけなわなので」  黒華も足元からガラス製の容器を取り出した。それはランタンによく似ていた。透明な瓶が金属製の金具で上から吊り下げられるように出来ている。  その内部には、やはり赤い肉塊が浮いていた。溶液に入っているのではなく、上下左右から伸びるワイヤーで中空に固定してある。  肉の周囲を蚊がブーンブーンと飛び回り、肉の中に潜ったり、また出てきたりと目的のない運動を繰り返す。虫が大量に引っ付いているあたり、白花の心臓によく似ている。 「ひょっとして、それも心臓?」 「そ、私の心臓。代替命についてはサークロさんから聞いたかな。結局のところ、私の代替命とは私の心臓、お姉ちゃんの心臓とはお姉ちゃんの代替命なんだよね。つまり、プロトコルの八番を経由してお姉ちゃんの心臓と私の心臓を交換するのが今回の殺害依頼だったってワケ。なかなか綺麗な構図でしょ。それでジュリエットさん、一応取引前に確認しておきますけど、特に補足することあります?」 「全くありません。このまま二つを取り換えて、それで完全に終了で御座います」  黒華とジュリエットはちょうど対面、つまり円卓上で百八十度離れた位置に座った。お互いにそれぞれが所持する心臓を目の前の円卓の上に置き、テーブルをゆっくりと回転させる。  円卓が半周したとき、お互いの心臓が入れ替わると言う寸法だ。今更こんな白々しい舞台装置を使うことに白花は驚愕する。 「まさかこのために円卓を用意したの? マフィア映画の見過ぎじゃないかな」 「これはプロトコルじゃないから別にやんなくてもいーけど、大きな取引であればあるほど記憶に残る演出は大事なの。今回なんてうら若き乙女の心臓が二つも捧げられてるんだから、この円卓はさながら古代インカ帝国の祭壇ってワケよ」  テーブルはゆっくりと右回りに回転し、白花の目の前を自分の心臓が通り抜けていく。これも様式美なのか、やたら鈍い回転が十五度、三十度、四十五度とトロトロ進んでいく。九十度に差し掛かったあたりでその事件は起こった。  まずステンドグラスが割れる大きな音がした。  入口から見て右前方、白花から見て真後ろにある、聖ペテロの図像を象った巨大なステンドグラスが破壊された。  白花は反射的に宙を舞うガラス片に向かって振り向いてしまうが、アンダーグラウンドの住人たちはガラスを割って入ってきた侵入者の方を目で追っていた。  侵入者は屋根近くから飛び降り、テーブルの中央に着地する。着地の衝撃でコップが机から落ち、鍋がひっくり返り、皿が割れる。たくさんの料理がテーブル上でも床でもぐちゃぐちゃに混ざり合う。  割れたステンドグラスは屋根としての機能を失う。教会内にも激しい雨が降り注ぎ、無残に散らかった料理をとどめとばかりに濡らして残飯に変えた。  侵入者の重みによってテーブルの回転が止まる。幸いにも、二つの心臓だけはその場で僅かに揺れただけで安定を保っていた。
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