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第10話:Identicallization
白花は暗闇の世界にいた。
いつも通り蛆虫が光っているが、いつもより数が少ない。夜の都会に浮かぶビル街だった輝きは、今は夜の田舎にポツポツと佇む自動販売機だ。すっかり過疎状態になった蛆の国。
しかし、蛆虫たちはそんなことを気にしない。相変わらずもそもそと這って、孤独な旅をしてみたり、集落に集ってみたり。
ランダムに蠢いているのか、それぞれがそれぞれの意志に従っているのかはやっぱり何度見てもわからない。もっとも、それは人間社会だって同じだが。
「またこのパターン……マンネリしてない?」
このリスポーンにももう慣れたものだ。
とりあえず、なるべく大きな蛆の塊を探す。三つほど小さな塊を跨いだところに一際巨大な灯りを見つけ、蛆の身体で這っていく。
そこでは百匹ほどの蛆虫が固まって強い光を発していた。ただ群がっているだけかと思いきや、今までに見たことのない新しい現象が起きている。
蛆が湧き出てきている。空中からポンポンと蛆が飛び出して来るのだ。この空間には蛆虫以外には座標の目安が一つも無いため、どこから湧いているとも言いづらいのだが、とにかくそのあたりの適当な場所から蛆が新しく何匹も登場する。
新たに現れた蛆虫は周囲へと這っていき、暗黒の空間を再び充実させていく。僅かな歩みではあるが、寂しくなっていた世界はこうやって元に戻っていくのだろう。
「ふあ~あ……」
白花は蛆虫の身体で欠伸をした。ここが居心地の良い場所であるのは確かだが、この流れはもういい。もう白花はこの世界に自由に出入りできるはずだ。ずっとここにいる必要はないし、入りたいときに入るくらいでちょうどいい。
その退屈に応えて、すぐに上方から蚊が飛来した。
「お姉ちゃんおはよー! 起きてー! 朝だよ! カンカンカンカンカンカン!」
黒華の雑な目覚ましボイスで白花は目を覚ました。ゆっくりと瞼を開く。
またしても山の中だ。
ここ数日、だいたいいつも山にいるような気がする。文明の力で暮らす都会っ子の引きこもりだったはずが、いつの間にか深い自然に慣れてしまった。
すっかり日が落ち、電灯のない山中は暗闇に包まれている。それでも蛆の世界とは違い、葉のざわめきや土臭さが聴覚や嗅覚を刺激する。やはり人間の環世界は情報密度が高い。塩むすびと炒飯くらい違う。
背中に感じる触覚だってそうだ。白花は何か柔らかい毛の塊に寄りかかって座っていた。フカフカで気持ちがいい。思い切り体重を預けても崩れない。相当重くて大きい、しっかりしたクッションだ。
「ありゃ、くまモンさん」
振り返ると、それは巨大な熊だった。
フカフカの毛は電気毛布のように暖かい気がしていたが、それは多分気のせいだ。何故なら、それは既に体温を失った死骸だから。隣には綺麗に切断された熊の頭部が転がっている。
大きく抉られた肉の中に蛆虫が大量に湧き、さっき見たのと同じ集会を催していた。死臭の薄さからすると、この熊が死んだのはつい最近のようだ。獣臭と死臭を嗅ぎ分けられるようになっていることに我ながら驚く。
そして白花の身体は蛆まみれ、しかもまたしても全裸。これで三度目だ。
全身を細かいものが優しく撫でている。触覚的には、蛆の蠢きと熊の毛にはそれほど大きな違いは無いような気もする。蛆を柔らかい袋に詰めたらビーズクッションみたいな感じでそこそこ良い家具になるかもしれない。帰ったら試してみようか。
そんな下らないことを考えている間に暗闇に目が慣れてきて、目の前で寛いでいる仲間たちがうっすらと見えてきた。
「おはようございます、白花様」
「おはよう、ジュリエット。でも、今はこんばんはじゃないかな」
「日の出前の早朝とも言える時刻で御座います。それに、お目覚めにはやはりグッドモーニングがふさわしいでしょう」
ジュリエットと黒華と遊希が白いデッキチェアで身体を休めていた。背もたれを大きくリクライニングさせ、半分寝ているような姿勢でリラックスしている。
というか、遊希は帽子を深く被って寝息を立てている。ジュリエットは白磁のカップを傾け、黒華はソフトクリームを舐めている。アンダーグラウンドの住人たちは相変わらずいつでもどこでもマイペースにゆっくりしている。
中央に小さな点火式のランタンが置いてあった。それが唯一の光源だが、その灯りは非常に弱々しい。暗い森の中では半径五メートル程度を照らすのが精々だ。
「もう半日以上眠ってたのかな。何にせよ、我ながらしぶといね。今度ばかりは絶対死んだと思ったんだけど」
「でもかーなり危なかったよ。私とジュリエットさんが見つけた頃には蛆が十匹くらいしか残ってなくて、急いで森の熊さん殺して繁殖させたとこ。ま、それでも十数時間で元通りになるんだから凄いね!」
黒華が持っているソフトクリームのコーンを覆う包装紙をよく見ると、富士急ハイランドのロゴが入っている。その足元には、やはりロゴ入りの大きなクーラーボックスが置かれていた。遊園地内のショップから勝手に持ってきたのだろう。
「黒華もスイミーから逃げきれたんだね」
「スイミーは救急車で病院送り、急性腸炎! 住宅街飛びながら必死に病人探して、何とか民家で倒れてるお婆さんから腸炎ゲット。二人とも腹痛と下痢でノックアウトだよ。死にはしないだろーけど、あの感じだとしばらくは入院かもねー」
「それお婆さんの方はどうなったの?」
「さあ? 病気の媒介ってカットアンドペーストじゃなくてコピーアンドペーストだから、発生源の人の病状は特に変わらないよ。ほぼ死にかけてたしもー死んでそうだけど、お姉ちゃんなら治せるかもね。今から治しに行く?」
「いや、別にいいよ。ジュリエットは?」
「特に問題ありません。結局ジュスティーヌは安全圏から数発撃ちこんできただけで、すぐに離脱していきました。そのおかげで山中に着陸できたのは幸いですが、またしても逃げられてしまいました」
ジュリエットは空になったカップに紅茶を補充する。注ぐのはティーポットからではなく、午後の紅茶のペットボトルからだ。
「ま、二人とも無事で何よりだ」
「一番無事じゃなかったのはお姉ちゃんだよ。どーせ椿さんと無理心中しかけたんでしょ。私の蚊も心臓経由でちょっと混ざってるから少し道連れにされたよ」
「あ、忘れてた。ごめん」
「別にいーよ。私に混ざってる蛆は少ないからダメージなんてほとんど無いし、私はお姉ちゃんと心中しても全然構わないからさ。椿さんと違って、椿さんと違って!」
「黒華、ひょっとして椿ちゃんに妬いてる?」
「このまま焼こーか迷ったくらいだよ、お姉ちゃん」
黒華は地面に置いてある大きな袋を指さした。
ちょうど人一人が入る死体袋だ。顔の部分は透明なビニールになっていて、中に椿の顔が見える。目を閉じていて肌は蝋人形のように真っ白だ。唇も紫を超えて黒っぽく青ざめている。
「これ生きてるの?」
「ギリギリね。何日か寝たきりだと思うけど」
顔と袋を見る限りは死体にしか見えないが、最後に見たときは顔までアポトーシスに巻き込まれて崩壊していたのだ。
今は生気はないものの顔の造形自体は綺麗に元に戻っている。ここまで再生しているということは、とりあえず生命維持機能を復旧したのに違いない。
「私も椿ちゃんも何で生きてるのかな。間違いなく全部自殺したと思ったんだけど」
「すんでのところで椿さんが群体であることをやめたんだ。それで蛆虫と蝙蝠の異物集合もシャットダウンしたみたいだね。心中が続行不可能になったのを受けて、蛆虫も全部は死なずにギリギリ踏みとどまったって感じかな」
「群体者ってなったりやめたりできるんだ。相変わらず椿ちゃんは器用だね」
「普通は出来ないよ。群体であることって仕事とか契約じゃなくて存在の属性なんだからさ。元々、椿さんは無理して群体のフリをしてただけなんだよね。少なくとも私たちよりは遥かに個体に近かったのが、土壇場で個体としての人生に執着したせいでそっちに戻っただけ。逆に紫なんて私たちより群体寄りだから、一度蛞蝓の群れになったら元に戻るまで一週間はかかるからね」
黒華はランタンを高く持ち上げた。上方の木々が照らされる。
たくさんの蝙蝠が木の枝に逆さになって止まっている。更にその周辺には大量の蛞蝓が這い回っている。地には蛞蝓、図には蝙蝠。この即席キャンプ地はさながらモンスターハウスのようになっていたことが初めてわかった。
黒華がリンゴを掲げると蝙蝠が十匹ほど集まってくる。群がってリンゴをシャクシャクと齧る様子を見ていると、先ほど同じように食われていたのを思い出して白花は内心あまり穏やかではない。
「ほら、ここ見てみて」
黒華が一匹の蝙蝠を捕まえて羽根の内側を指さした。
飛膜には小さな赤い肉片がくっ付いている。蝙蝠の器官とは明らかに違う、取って付けたような肉の塊だ。
「これ、椿さんの臓器の断片。こういう肉片を持った蝙蝠が何匹もいるんだよね。さっき画像を分析してたサークロさんから連絡あったんだけど、蝙蝠たちは椿さんの胃や腸や心臓を細切れにして保持してたみたいだね。つまり、椿さんは臓器を物理的に切り離しただけで、私たちが臓器の区分すら捨てて機能的にすら可換にしてるのとはやっぱり違うんだ」
「へえ、そっちの方が健全な気もするけど。それって才能の問題とかかな」
「これは私の考えだけど、たぶん性格の問題だと思うよ。椿さんは根本的に群体向きの性格じゃなかったってこと。自分の生存とか生き方に執着するタイプの人、あんま群体に向いてないんじゃないかなー。そーいうのって個体としての価値であって、群体になってバラバラになったら消えちゃう部分なんだからさ。そのあたりはジュリエットさんも同じだよね」
「ええ、そうですね。そもそも、わたくしが黒華様の代替命を欲したのは、陳腐ではありますが、永遠の美とか命とかいうものに関心があるからで御座います。人間とは異なる生命の形を持つ黒華様の代替命からそのヒントが得られるのではないかと思っていたのですが、わたくし自身が群体になることは全くぞっとしない話です。わたくしにとっては個体としての外見を失うことが何よりも避けるべき事態であり、小さな虫の群れに変わることなど到底受け入れられませんので」
「逆に、私とかお姉ちゃんは自分の人生にも身体にもあんま興味がないから平気でそれをバラバラにできるんだ。皮肉だね。生きることに執着する人は脆くて孤独な生命から離れられなくて、関心が薄い人の方がしぶとく生き残る複数の生命を持てるなんて」
「それで良いのです。完全に満たされてしまう人生のなんと不幸なことか! 永遠に辿り着けない目標を更新し続けることが無限なる欲望の本質で御座います」
「私はそうは思わないけど、ま、そんなことより一番重要なのはこれなんだ」
黒華は傍らに置いてあった大きめの虫取りかごを持ち上げた。
その中には蝙蝠が一匹入っている。蓋の天井にある凹凸に足を引っかけて羽を休めながら、小さく切られたリンゴを齧っている。狭い場所に捉えられてはいるが、そこそこ待遇が良い。
その飛膜には一際大きな赤黒い肉片がくっ付いており、更にその周りには蚊が飛び回っていた。見覚えのあるアイテムだ。
「これは椿さんの臓器じゃなくて私の心臓。どーも椿さんは群体になるために私の心臓を使ってたみたいだね。これを見ながら私を真似してたっていうか。そーいう代替命の使い方も出来るなんて知らなかったし、やっぱり椿さんは凄いね」
黒華は水槽の蓋に付いている小さな開閉扉を開けると、手を突っ込んで蝙蝠の身体から心臓を引きはがした。心臓は両面テープでも剥がすかのように簡単に取れる。
黒華は肉の塊を鷲掴みにして空に掲げた。腕の周りを祝福するように蚊が飛び回る。黒華はテレレレレンというアイテム取得音を口頭で歌う。
「これで私の心臓を取り戻したので、今回のミッションは達成でーす!」
「おめでとうございます」
ジュリエットがペットボトルを持ったまま雑な拍手を送る。
「椿ちゃんを殺さないの?」
「殺さないし、むしろ完全に復活するまでは私が守るよ。勿体ないじゃん、こーいう有能な人が死ぬのはさ。それに、生かしておけばまた手を尽くしてお姉ちゃんを殺しに来てくれるかもしれないしね」
「私を殺しに来るのってプラス評価の方なんだ」
「もちろん。本気で殺しに来てくれる人がいることより素敵なことはないよ。人生を豊かにするのは、いつだって愛と友情じゃなくて殺意と悪意なんだ! というか、殺意こそが本物の愛なんだよね。いわゆる愛を語るのなんてスマホ一台あれば十分だけど、殺意を語るのには人生を賭けた覚悟と計画がいくらあっても足りないよ。だから人から受けた愛情なんて一日で忘れるけど、人から受けた殺意は何年経ってもフラッシュバックして忘れられないでしょ? スマホ片手にラブコールを送ってくる相手なんかより、ナイフ片手に殺しに来てくれる相手こそ大切にするべきなんだ」
「まさか、最初に殺害依頼を出して私を殺させようとしたのってそういうこと?」
「そのとーりだよ。私は自慢のお姉ちゃんに色々な人から愛されてほしかったんだよね。ジュリエットさんに心臓抜かれて、サミーにバラバラに刻まれて、椿さんにコンクリ詰めされて踊り食いされて、それも全部熱いラブコールだよ。結局この話ってお姉ちゃんが主人公の百合ハーレム系ラブコメディだったワケ。私が手引きしてないとこでも勝手に殺されまくるあたり、お姉ちゃんってつくづく愛され体質だよね。そのおかげでお姉ちゃんは新しい生命を得られたんだし、やっぱり人生を豊かにするのは殺意だね!」
「私が虐待され尽くしたのを良い話風に総括しないでほしいんだけど……」
「まとめに入るのは早いよ。まだ参加してないヒロインがいるからね」
突然、黒華が白花に抱き着いて手を背中に回した。
黒華は白花よりは十センチくらい背が低いので、顔に髪が押し付けられる。昔と同じ妹の匂いがする。蚊の群れである身体からも妹の体温はじんわりと伝わってくる。
雰囲気的に何となく抱き返そうとすると、それは両手で阻止された。そのまま黒華は白花の手を後ろ手に束ねて前に押し倒す。白花は後ろ向きに尻もちを付く。
白花の両手は手錠で拘束されていた。
「んっ? なんで今手錠付けた?」
「私はまだお姉ちゃんを直接虐待してなかったからさ。私もそろそろ脚本家からヒロインになりたいんだよね。別にいーじゃん、もう逃げようと思えば蛆になって逃げられるんだし」
「それはそうかもだけど……」
黒華は白花の腰の上に跨って馬乗りになった。全裸の腹部が圧迫され、黒華の股間から熱い体温が伝わってくる。後ろ手に回した両手に二人分の体重がかかって痛い。
黒華は左手に自分の心臓を持ち、右手にジュリエットからサバイバルナイフを受け取った。唯一の光源であるランタンが黒華の後方にあるせいで、その表情がよく見えない。
「さあお姉ちゃん、最後のラブコールを始めるよ」
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