第10話:Identicallization

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「別にいいけど、何するのかな」 「心臓の交換だよ。私の最終目標はお姉ちゃんと心臓をトレードすることだったんだ。私にはもうお姉ちゃんの心臓を移植してあるから、お姉ちゃんに私の心臓を移植すればそれで完了」 「それってクリスマスのプレゼント交換的な感じかな」 「もっと重大だよ、お姉ちゃん。群体者同士がそのエッセンスを交換すれば、蛆と蚊が完全に混ざるよね。その集合を改めて円で囲って一つの群体者として再定義すれば、不連続な数の変化が起こるはずなんだ。つまり、二人が一人になるってこと!」 「それって椿ちゃんが私を食べてやろうとしたみたいに?」 「そだね。でも、今回は個体間の優劣は生まれないはずだよ。被食と捕食みたいな非対称な手段じゃなくて余剰のない心臓の等価交換がベースだからね。殺害依頼も、プロトコル八番で抜かれたお姉ちゃんの心臓が殺害証拠品として私の手元に渡るのがキモだったワケだね」 「あれ、でも黒華の心臓って報酬として殺し屋の手に渡る予定だったでしょ。私と交換することにはならなくないかな」 「そりゃま、取引したあとに請負主の殺し屋を匿名で襲撃して奪い返すんだよ。ジュリエットさんが相手って聞いたときはこりゃ大変だーと思ったけど、お姉ちゃんが眠ってる間に交渉が成立しました」 「ええ。どうやらわたくしが黒華様の心臓を所持していても宝の持ち腐れのようですので。もっと有益な使い方をすることで新たな知見が得られるのであれば喜んで譲渡致します」 「あと、二人を一人にするためには紫の蛞蝓も必要だったんだ。これで私とお姉ちゃんの境界線を曖昧にして、存在者のラインを新しく引き直せる。溶解薬兼接着剤みたいなもんかな。言っとくけど私は椿さんとは違うよ。お姉ちゃんと完全な運命共同体になる覚悟があるし、蟲の群れの最後の一匹まで自殺に付き合って死ねるからね」  黒華はサバイバルナイフを隣の木に突き立てた。木の幹を這っていた蛞蝓がナイフの上に乗り、あの粘体が透明なケースのようにナイフを包み込む。  黒華が粘液を纏ったナイフを白花の胸に向ける。 「さて、私たちが存在するのはこれで最後だと思うけど、何か言い残すことはあるかな、お姉ちゃん」 「私と黒華が一緒になるっていうのは、なんかこう、身も心も一つみたいな感じ?」 「多分ね。前例がないからやってみないとわからないけど」 「そのくらい別にいいよ。そこの醤油取ってとかいちいち言わないで済むの便利そうだし」 「お姉ちゃんなら、そういう締まらないコメントしてくれると思ってたよ!」  白花の胸にナイフが突き立てられた。  短いナイフ一本で胸骨まで切り開かれる。いや、胸骨なんてもう無かった。ジュリエットに心臓を摘出されたときとは違う。骨も肉も血も無い。  白花は蛆の塊だ。身体の中身は赤ではなく白、蛆虫がそれらしい人間の形を作っているだけ。あらゆる器官は可換な蛆、泥でできた人形と同じだ。  黒華が自分の心臓を白花の胸の奥に突っ込んだ。左手が蛆の群れをかき分け、身体の最深部に黒華の心臓が設置される。  黒華が心臓を握った手を放すと、すぐに蛆が心臓を囲い込んだ。蛆虫が全方位から心臓の襞の中へと入り込んでいく。それは蚊の方も同じだ。心臓の隙間から飛び出してきた蚊が蛆の群れをかき分けて白花の身体の中に拡散していく。  蚊にとっては蛆が媒質であり、蛆にとっては蚊が媒質だ。蛞蝓が主客を転倒させ、どちらが図でどちらが地かは決定できない。  蚊と蛆が混ざり合う。  コーヒーに牛乳が混ざるように、白い蛆と黒い蚊が混合され、全体として灰色の集合に近付いていく。  エントロピーは増大し続ける。秩序だった区別から、無秩序な混合を経て、再び秩序ある均一へ。不可逆変化は最終状態に向かって突き進む。  身体の組成が組み変わっていく中で、白花は新しい環世界を見た。  さっきまで白花が見られたのは二つの環世界だけだった。人間として見る森の中の世界と、蛆の群体として見る暗闇の世界。  それに加えて、真っ白な背景の中に黒点がぽつぽつと浮かんでいる空間を認識した。言うまでもなく、その黒点とは飛び回る蚊である。 「この白い世界って、黒華と蚊の環世界?」 「そ。蛆もちょっとだけいるよ」  白い空間の中、蛆虫がやや所在なさげに塊を作っていた。やはり何となく集まったり這ったりしているが、その数は蚊に比べると圧倒的に少ない。これが移植された白花の心臓を経由して黒華の環世界にいた蛆虫だろう。 「環世界はこれから混ざるよ。もう蚊と蛆の群れとしての区別を撤廃するから、蚊の世界と蛆の世界も区別されなくなるんだ。蚊と蛆が混合された新しい群れにふさわしい、新しい環世界が生まれるよ」  その言葉通り、黒い世界と白い世界がネガを重ね合わせるように統合されていく。背景は一つの灰色になり、それぞれの世界にいた蛆虫と蚊もそのまま同時に観測できるようになる。  二種の虫が共生している新世界だ。灰色の空間に蛆が地面を這い、蚊が宙を飛び回る。  虫たちの環世界が併合されると共に、人間の環世界でも二人分の知覚が頭の中に流れ込んでくる。  例えば、聴覚。  白花と黒華の両方が聞いている音が同時に聞こえる。地面に近い白花には落ち葉や草が風に揺れる音が聞こえる一方、白花に馬乗りになっている黒華には木のさざめきや風が吹き抜けていく音が聞こえる。それらを同時に聞いているのは白花なのか、それとも黒華なのか。  嗅覚や触覚も同じだ。土の臭いと空の臭いが同時に香る。地面とナイフに同時に触れている。  特に視覚の混乱が著しい。  白花の目に白花自身が映っている。黒華が白花を見ているからだ。もちろん白花は黒華を見ているから、黒華と白花を同時に見ていることになる。  二つの視覚像があるというよりは、一つの大きな視覚像がまずあり、二つの切り抜き方をしているという方がしっくり来る。  喩えるならば、真っ暗な部屋の中で両手に懐中電灯を一本ずつ持っているようなものだ。懐中電灯を壁に向けると、それは一つの円形領域を照らす。よって、両手に懐中電灯を持つと、部屋の中に二つの円を照らせる。  しかし、それは懐中電灯を持っている人物が二人であることを意味しない。二つの照射を行っているのはあくまでも一人の人間だ。見ているのは一人の人間であり、見られているのも一つの部屋である。二本の懐中電灯はその参考情報を提供する道具に過ぎない。  だから視点が二つあるからといって、主体が二人であるということにはならない。二つの視点を持つ一人の主体がいるのだ。白花と黒華の視点が同時にあるのも同じことだ。それらは等価な参考情報であり、同時に得ていることに何の矛盾も無い。  今、見られている白花と見られている黒華は等価だとわかった。かつ、見ている黒華と見られている黒華は同一人物なので、これも等価と言える。この二つの前提が正しければ、見られている白花と見ている黒華も等価ということになる。  つまり、見ている人と見られている人が一致するのだ。ここにいる私にとって、見ることと見られることは同じこと。  ここに主体も客体も無い。前に紫が言っていたことを今はっきり理解した。  黒華が白花に口付けた。これも同じだ。  口付ける主体と口付けられる客体がいるのではなくて、合わせ鏡のようにお互いに口付けているし、お互いに口付けられているのだ。口付けているが口付けられてはいないという状態は有り得ないから、その二つは同時に発生するし区別できない。  常に同時で主客も一致する。ならば、これは二ではなく一の行為だ。二つの主体が独立に行為して相互作用しているわけではなく、精々一つの主体における内部状態の変動に過ぎない。  二体の人型が溶けていく。  蛆と蚊の群れが森の地面で人型を成して混ざり合っていた。もはやここに二人の人間はおらず、戯れる虫の集合体だけがあった。  混ざっていくのは現在進行形の知覚だけではない。過去から蓄積されてきた記憶もブレンドされる。  白花は黒華の人生を見て回った。回廊を歩くように黒華の歴史を追う。何が嬉しくて何が悲しくて何を覚えていて何を覚えていないのか。あんなに知りたかった黒華の半生が全て手に取るようにわかる。自分の記憶を思い出すのと同じだ。きっと黒華もこうして白花の人生を見て回っているのだろう。  いや、それもやはり同時で主客は一致しているのだ。白花が黒華の上を歩くのは、黒華が白花の上を歩くのと同じことだから。 「あ、お姉ちゃん、私の3DSと一緒にジョジョリオンもメルカリに出したね」 「もう読まないかと思って。駄目だった?」 「別にいーよ。無ければ無いで気にならないから」  お互いの人生をすり合わせていくたびに、記憶が統合されていく。これもやはり視覚と同じで、一つの主体に二つの記憶があることも矛盾ではない。  そもそも、一つの主体だからといって一つの個体とは限らない。白花と蛆が自宅にも井戸の下にも研究所の近くにもいたように、離れた場所に偏在することもできる。だから、私が東京にいたときに同時に大阪にもいたという記憶も何らおかしなことではない。 「あ、ママとパパを殺したのって黒華だったんだ」 「そーだよ。ダメだった?」 「別にいいよ。無ければ無いで気にならないし」  そうやってどのくらい話していただろうか。ジュリエットが地面で蠢く蟲の群れに話しかける。 「そろそろ日の出で御座います」 「もうそんなに経った? そろそろ起きよーかな」  虫の群れの中から一つの身体を引き上げる。  そのとき、ちょうど山の向こうから太陽が顔を出した。夜の闇が一気に極彩色に染められていく。  周りの蝙蝠も蛞蝓も岩も草木も、さっきまで全く見えなかったものが今は簡単に見える。いざ日が昇ると、何故さっきまで周囲が見えなかったのか不思議なくらいだ。  明るい日差しに照らされ、遊希も目を覚ます。椅子の上で大きく伸びをすると、帽子のつばを持ち上げて目を開けた。 「おはよ、遊希ちゃん」 「おはようございます……んっ? あれ、は、んん? こ、んっ?」  遊希が目をぱちくりさせて彼女を見た。何かを言いかけて口を閉じるということを繰り返す。  遊希は今、寝起きの頭で「おはようございます、<相手の名前>」という台詞を発しようとしていた。目の前にいる女性を何と呼ぶべきかわからないのだが、何故か「白花お姉さん」か「黒華」のどちらかがしっくり来るという確信がある。  とりあえず「白花お姉さん」と口に出そうとすると強い違和感があり、ならばと「黒華」と言いかけるとそれも全く違う人に呼び掛けているような妙な感じだ。  そもそも初対面の相手に対して既存の知り合いの名前を使おうと言うのが最初からおかしいのだが、そのおかしさについては何故か遊希は自覚していなかった。  遊希は呼びかけを諦めてジュリエットに助けを求めた。 「あの、ジュリエット。そちらの裸の美人さんはどちら様ですか?」  遊希の疑問には答えず、ジュリエットも同じ質問を重ねた。 「確かに、どちら様と言うべきでしょうか。わたくしも初対面です。あなたのことは一体何とお呼びすれば?」 「えー、私にもわからないけど。とりあえず鏡とかない?」  ジュリエットが鞄から出した手鏡を前に掲げた。ちょうどいま上ってきたばかりの日が光を反射し、彼女の姿を映し出す。  まず灰色の髪が目に入る。肩よりも少し長い。  ストレートのままにしておくのは落ち着かないので、髪の右側を軽く束ねた。中途半端なサイドテールになるが、これが一番しっくり来る。  顔をぺたぺたと触ってみる。白花の低燃費な顔よりは少し幼くて好奇心旺盛に見えるが、黒華の悪戯っぽい顔よりはまだいくらか落ち着いている。 「姿見じゃないから、身体全体はよく見えないね」 「わたくしの目視では、身長は百六十四センチ、体重は五十三キロ程度で御座います。もっとも、それは中身が人体である場合の密度評価ですが」 「それはちょうど足して割った数値だね。じゃあ、年も足して割ってハタチってことでいーのかな」 「宜しいのではないでしょうか。人生を二つ足して四十歳というのも、今生まれたから零歳というのも、あまり意味のある数字とは思えませんので」 「だよね。名前も同じ感じで決めると、白と黒を足して割って灰なんて安直すぎるかな」 「わかりやすくて宜しいと思いますよ」 「いーね。じゃ、皇灰火です。それじゃ改めておはよう、遊希ちゃん」 「おはようございます、灰火さん……?」  そう言いながらも、遊希を手品を見た猫のような顔で首を傾げる。  わかったようなわからないような、漠然と起きていることは何となくわからないではないのだが、それを理路整然と説明できるロジックが遊希の中にはない。 「うーん、今の会話から最大限リーズナブルな推測をすると、灰火さんは白花お姉さんと黒華のお子さんみたいなものですか? 僕の記憶が正しければ、子供の人生は零歳の赤ん坊から始まるはずですが」 「あーそれ、結構近いかも。気持ち的にはそーいう感じだよ」  蛆と蚊の混合群体、皇灰火は神々しく照らされ始めた山に向かって両手でメガホンの形を作った。そして大声で叫ぶ。 「おぎゃー!」  気持ちの良い産声が富士の裾野にこだました。  反響して小さくなっていく声。それは減衰していつか完全に消えるのではなく、少しずつ小さくなりながら、宇宙が滅亡する日まで永久にどこまでも響き続ける。  世界を無限遠まで覆っていく声。あらゆる場所を満たすこだまは、いつどこにいても見つけられるだろう。  どこにでも湧いて出る、あの厄介な虫の群れと同じように! (完)
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