【短編】石蹴り1

1/2
12人が本棚に入れています
本棚に追加
/80ページ

【短編】石蹴り1

 私は今日も仕事を終え帰路についていた。電車を降りると駅から距離のある家へ歩き出す。今の会社に勤め始めてから長年通ってきたもはやルーティンと言っても過言ではないルート。目を瞑っていても家まで行けてしまいそうな程に通った道。そこを今日も例外なく歩く。  だが今日はいつもと違う変化があった。  いつもより少しばかり疲れた体で歩いているとふと落ちている石っころが目に留まった。それは大した変化でもなければ、特別なにかある訳でもないそこら中に転がっている石っころ。  何となく、私はその石っころが足元まで来ると蹴り飛ばした。最初は勢いよくそして徐々に減速する石っころの転がりは綺麗な丸じゃないせいでぎこちない。  その石っころが止まると後を追い足を進めた。そして再び、次は少し強めに蹴ってみる。石っころは二バウンド目で大きく跳ねあとは小刻みに転がった。  その様子を眺めながら私は懐古の情に駆られ喜色を浮かべた。 「子どもの頃もこうやって石っころ蹴ってたな」  記憶のアルバムを捲りながら後ろを振り返る。子ども頃に通った道じゃないが、向こうから幼い自分が駆けてくるのが見えた。ただ毎日、その日が楽しければいいと全力で遊んでいたあの頃の自分。  私は通り過ぎた自分を追い前を向くと石っころまで少し小走りで向かい軽く蹴飛ばす。今回、軽く蹴ったのはさっきみたいに強すぎると制御できず危険だからだ。なんて子どもの頃はしなかった配慮をする。 「私も大人になったな。というには少し年を取り過ぎた気もするが」  だがまさかこんなことで自分の成長を実感することになるとは。なんて若干センチメンタルな気持ちになりながらも石蹴りを再開した。  丸くない石っころはどこに転がるか分からずコントロールが難しい。だから一蹴り一蹴り丁寧にかつあまり力を入れ過ぎないように気を付ける。繊細な作業だ。イメージは一歩先で止まるぐらい。  だが頭では分かっていても久しぶりだったから最初はあっちへ行ったりこっちへ行ったり。まるで反抗期の子どものように言うことを聞いてくれない。  それでも不慣れな足つきで蹴っていると段々あの頃の感覚が戻って来た。全勢期の私が戻ってきたのだ。  段々と楽しくなってきていた私は石っころを蹴ると足を止めた。 「あの日、突如として姿を消した石蹴り界の鬼才が再び我々の前に姿を現しました」  そして一人妄想にふけり始めた。 「彼は今までどこで何をしていたのでしょうか? いえ、今はそんなことはどうでもいいでしょう。それよりもあの華麗なプレーで再び我々を魅了してくれるのでしょうか? 鬼才は未だ健在なのか? それともあれはもはや過去の栄光に過ぎないのでしょうか? さぁ、全世界が見守る中、開始のホイッスルが鳴り響きます!」  私は小走りで石っころに近づくと出来る限りテンポ良くサッカーのドリブルのように蹴り進んだ。ラグビーボールのようにどこへ跳ねるか分からない石っころ。だがバスケットボールのように手で操れないそんな石っころを足だけで上手く扱うのが――例えあらぬ方向へ跳ねようが対応するのがこの石蹴りに求められるスキル。それを誰よりも上手く出来るのが、私が鬼才たる由縁なのだ。  そしてそれは長い間この競技から遠ざかっていた今でも健在だった。意識せずとも動ける。どうやら体にすっかり染み込んでいるらしい。それもこれもあの血の滲むような努力の、血反吐を吐く程した練習のお陰だろう。 「ありがとう師匠」  顔は全く思い浮かばないが、それっぽい人がいるはず。  にしても少し息が上がってきた。全然走っていないのに。しかも小走り。どうやらスキルは健在でも体力は衰えているらしい。ならここから色々と見せ場がある予定だったが、それももういいだろう。  私は足を止めると膝に手を着きはぁはぁと上がった息を整え始めた。老いを感じながら。  その時、一人で変な事を呟き石っころを蹴りながら小走りしている姿を冷静になりながら思い出してしまった。すると運動不足ではない別の理由が心臓を強く脈打たせ始める。私は体を起こすと後ろを振り返り辺りを軽く確認した。 「誰かに見られてはなさそうだ」  そのことにホッと胸を撫で下ろした。大の大人が石っころを蹴りながらテンションを上げ走っているなど恥ずかしすぎる。しかも一人で。最悪通報されてもおかしくない。とりあえず変な目で見られなくて良かった。 「さぁ、帰るとするか」  そして私は足元にある石っころをあくまでも常識人として蹴り歩き始める。  それからは特に何事もなく順調に石っころを蹴り進んだ。いつの間にか石っころもちゃんと蹴った方向に転がるようになっていた。二つの意味で丸くなったらしい。  そんな出会ってからここまでの道のりを共にしてきた石っころ。いつしか私たちの間には友情が芽生え始めいた。彼の意志は分からないがきっと同じ想いだろう。そう思うと心なしか転がる石っころが「早く行こう」と言っているようで、その後ろ姿が可愛らしく見えた。  そんな石っころに視線を落としながら足を踏み出す動作と共に蹴る。その一連の動作には一切無駄がなく、まるで川の流れのようにスムーズだった。そして思わず上達したなと少しドヤってしまうが、それは心の中だけだったので誰かに見られる心配はない。いや、もしかしたら少しぐらいは漏れていたのかもしれない。  だがそんなことを考えていた所為か私は少し石蹴りを疎かにしてしまい少し強めに蹴ってしまった。勢いに身を任せた石っころは数歩先まで転がっていく。  私はそんな石っころの先にあるモノを見ると思わず目を見張った。転がる先で彼を待ち構えていたのは下水溝。普段なら特に気にも留めない下水溝だったが今の私には獲物を求め大きく口を開くバケモノに見えてしかなかった。底なし沼より深い暗闇と獲物を確実に捕らえる牙。極限にまで動きを抑えているが時折、呼吸に揺れている。  そこへまるで好奇心旺盛な子どものように石っころは転がっていった。 「ちょっ、待って」  私は思わず焦った声を出してしまった。それに加え届くはずもない手を石っころへ伸ばす。
/80ページ

最初のコメントを投稿しよう!