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10話【虚ろな目』】
翌日1月2日。俺は牧野より一足先にA総合病院に来ていた。
病院内は、シワシワの手で杖をつきながら歩くご老人や両手で車椅子を漕ぎながら院内を移動する人の姿が見受けられる。
マスクを少しずらして鼻で息を吸うと空気に混じって病院特有の消毒のにおいがする。
「こんな大きい病院に来たのは母さんが死んだとき以来だな……」
俺はロビーのソファに座ってソシャゲをしながら呟く。
(亡くなってからもうすぐ3年か……早いもんだな……)
そんなことを思っているとようやく牧野が集合場所に現れた。
ロビーの壁に掛けられた時計を見る。時刻は11時30分にもうすぐなろうとしていた。
「自分から提案しておいて遅刻かよ……何やってんだよ」
「ごめんごめん。病院にいる彼女の為にお菓子買ってたら遅くなっちゃってさ……いやぁ〜まさか2時間近く行列に並ぶなんておもってなかったよぉ」
牧野は苦笑いを浮かべる。
「ハァ……たくよぉ……」
ため息をついてから視線を左斜めに移すと牧野は右手に小さな焦げ茶色の見るからに高級そうなものが入っていそうな紙袋を持っていた。
「ずいぶんとご立派な袋だな。で、並んでまで買ったお菓子とやらはなんなんだよ。ちょっと見せてみろ」
俺がそう訊ねると、牧野は「マカロンだよ。ほら」と言って袋を俺に渡してきた。
手渡された袋を見てみると、中にはピンクや黄色、黄緑といった色とりどりのマカロンが入っていた。ざっと見た感じ6個くらい入っている。
(へぇ、こいつも一応女子なんだな、いいモノを買うじゃないか……)と感心しながら他に何か入っていないか袋の中をまさぐっていると、
「それ彼女にあげるものなんだからあまりごちゃごちゃかき回さないでよ?それより、ほら行くよ?」と牧野は言って、そそくさと俺を置いて総合案内の窓口のほうに歩いて行こうとする。
「おい待てよ。置いて行くな!」
俺はマカロンの入った袋を持って牧野の後を追う。
牧野に少し遅れて総合案内の窓口に着いくと、「あの……ここにミレイナ.マカロフって女性が救急車で運ばれたって友人から電話で聞いたんですけど。本当ですか?俺たち彼女の友人で見舞いに来たんですけど……」と病院に来た目的を俺は窓口の女性に告げた。
実際には警察署の刑事から教えてもらって来たのが事実だが、そんな事を言ったら話がややこしくなりそうなのでそこはなんとか誤魔化した。
後ろで事実を知っている牧野が笑い出しそうなのを必至で堪えている。
窓口の女性は「少々お待ち下さい」と言ってからどこかに電話をかけ始めた。そして電話を終えると「はい。確かに去年の12月28日、女性はこの病院に搬送されています。それで今女性は精神科病棟がある5階の509号室に 入院中です。病室に入る際はナースステーションでストラップを受け取ってください。退室する際も同様にナースステーションに立ち寄りストラップを返してください」と丁寧に説明された。
ミレイナさんがこの病院にいることは間違いないようだ。
「わかりました。ありがとうございます」
「ありがとうございます」
俺と牧野は窓口の女性にそれぞれお礼を言って、エレベーターで5 階へと向かうことにした。
――ウィー……という駆動音と共にエレベーターが上がっていく、
2階、3階と階を過ぎもうまもなく5階に到着する。
「…………」
この時俺は内心モヤモヤした気持ちでいた。
なぜかというと、
昨日の電話で警官は『安心してください。幸い女性は気を失ってはいましたが生きていました。今は病院に運ばれている最中だとおもいます』と言っていた。
窓口の女性も『確かに去年の12月28日、女性はこの病院に搬送されています』と言っていた。
搬送中か搬送された後かの違いはあれどそこは心に引っかかるような問題じゃない。
問題は『女性は精神科病棟がある5階の509号室に 入院中です』と窓口の女性が言っていたことだ。
彼女が病院に搬送された後医者からどういう診断を受けたのかはわからない。
精神科病棟に入院したということは記憶喪失になった可能性もある。
けれど、それでもどこかしっくりこない気持ち悪さが残っていた。
すると、唐突に牧野の声が聞こえた。
「なにしてんの?達也、早く降りなよ。もう5階だよ」
顔を上げると牧野が呆れた顔でエレベーターのドアを抑えて立っていた。
「あ、悪い気づいてなかった……今降りる」
「しっかりしてよね……」
牧野は呆れたように嘆息する。
エレベーターから降りて直ぐにナースステーションに寄ってそこで『面会者』と書かれたカードが付いたストラップを受け取る。
そしてそのストラップを首から下げて俺と牧野はミレイナさんの居る病室へと向かった。
天井に吊るされた蛍光灯の光がワックスがけされた廊下に反射している。
5階も1階と同じように沢山の患者さんがいる。
501、502、503……と順番に病室を通り過ぎ、とうとう509と表示された病室の前に着いた。
壁に固定されたその部屋に居る患者名を示す札にはしっかりと『ミレイナ.マカロフ』と名前が書かれていた。
「ここみたいだな。先に俺が入る。お前はその後に来い」と牧野にそう言って俺は横開きの病室のドアをゆっくりと開けて中に入る。
その後に牧野も続く。
病室内は左右に3つずつ、白い医療用ベッドが向かい合うように並べられ、そのベッドで入院用の水色のパジャマを着た患者の人たちが寝ている。
ミレイナさんは入り口から見て左側の一番奥のベッドに居た。だが、眼の前の彼は死んだ魚のような虚ろな目で外を眺めていた。顔色も悪く、出会った時のような元気で明るかったイメージは完全に影を潜めてしまっていた。
右手首に巻かれた包帯が痛々しい。
本当に本人なのかと内心疑ってしまうくらいの変わりように俺は言葉を失った。
とてもじゃないが話しかけられるような状態じゃない。
牧野も状況を理解したのか真剣な顔で何も言わずミレイナさんのことを見つめている。
すると病室のドアがスッと開き、30代後半くらいの男性医師が入ってきた。
男性医師は患者さんひとりひとりに軽く挨拶をしながら立ち尽くしている俺と牧野のところに来ると頭を下げて軽く名前と自らが精神科医であると話す。
そして、
「確認ですが、この女性のご友人の方ですか?」と柔らかな口調で訊ねてきた。
どうやら窓口の女性はこの医者と話をしていたようだ。
「はい、そうですが……」
気落ちした声で俺がそう答えると医師はミレイナさんが去年の12月の28日に病院に搬送されてきたこと、病院に搬送された際、右側頭部から出血しており両脚と右手首は骨折していたことを話された。
それだけでも開いた口が塞がらなくなるほどショックだったが、次の医師の言葉はそれ以上にショックだった。
「精密検査では脳機能へのダメージや異常は見られませんでした。頭部の出血と両脚と右手首の骨折は止血と骨折箇所を固定する処置を施しました。頭部の怪我は数日、骨折はリハビリをすることで完治するでしょう。ただ、ご友人である貴方がたも気づいていると思いますが、女性の精神状態はいいとはとても言えません。食欲もなく、毎晩悪夢にうなされているようでほとんど眠れていません。また、見ての通り顔色もとても悪いです。このことから女性はうつ病を患った可能性が極めて高いと思われます」
その言葉に俺も牧野も絶句してしまった。
頭の回転が追いつかない。
それくらい男性医師の言った言葉は衝撃的だった。
to be continued
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