副業編

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 身体で返すということ  約束の日の正午を回った頃、LINEには『今から伺いますね』とお辞儀する羊のかわいいスタンプが送られてきた。  それから15分くらいで、聞き慣れないバイクのエンジン音が到着した。  ……ん? バイク? 「いきなり住宅街に知らない車が入ってきたら、みなさんびっくりすると思いまして」  ヘルメットを脱いで、本庄さんは淡々と説明してくれた。  確かに。田舎の人って車の姿どころかエンジン音で分かるっていうし、本庄さんの車はそれなりに大きいから置き場所に困るか。 「でもバイクで15分ですか。本当に近かったんですね」 「駅の西からちょっと行ったとこですよ」  本庄さんのお部屋か。常に綺麗にしているんだろうな。  やっぱりそういう目的で部屋に招いたり……しているよねきっと。  最近の子は進んでいらっしゃる。 「では、ちゃっちゃと片付けましょうか」  玄関の外にはすでに、おびただしい量のゴミ袋の山ができている。  腕をまくって、意気揚々と玄関に入ろうとする本庄さんへと。  私は隠していた罪を告白する子供のような心境で告げた。 「そのことなのですが、だいたい終わりました」 「……どういうことでしょう」  案の定。  目を吊り上げて仁王立ちした本庄さんの前で、私は正座させられていた。 「わたし、ゆっくり休んでくださいとおっしゃいましたよね」 「すみません……玄関と水回りと客間と廊下と自室だけは譲れなくて」 「それほぼ全部じゃないですか」  ごめん、本庄さん。初回から雇い主を働かせるわけにはいかなかったんだ。  匂いがこもっていたらいけないのでお香も焚いた。  家中白檀の香りに包まれて、まるで葬式会場みたいだ。  そうやって己のちんけなプライドのために、連日深夜をまたいでしまった。 「正直にお答えください。本日の睡眠時間を」 「…………3時間です」  嘘は言ってません。  拭き掃除を夜通し行って、朝日がのぼるころに終わったので。 「……仕方のない人ですね。自分の家を誰かに片付けさせるのは抵抗があるでしょうからお気持ちは分かりますが」  長く息を吐いてからぱちぱちーとあざとく声に出して、本庄さんが手を叩いた。  急に褒められると調子狂う。悪い気はしないけど。  家に上がって真っ先に、本庄さんは母親の仏壇へと手を合わせた。線香も上げてくれた。  家庭事情なんて一度も暴露したことがないのに、しっかりしてるなと思う。 「で、デートの準備はできておりますよ」  そのあと、私はお茶を淹れた。  お茶菓子も添えて、どうぞと促す。 「この湯呑み……模様が剥げていないということは新品ですか?」 「使い古しのものをお出しするわけにもいかないので」 「お茶菓子も、こんなにたくさん」 「どれが好物か分からなかったもので、とりあえず外さないだろーなーって定番のやつを揃えました」 「テーブルクロスも真新しいもので、電気カーペットもそうですよね」 「本庄さんのために働く決まりですので。仕事のひとつだと思ってください」  傍から見れば、ヤリモクかもしれない相手にここまで尽くすのはバカバカしいと映るかもしれない。  でも、思い出は残るから。  好きでいてくれるうちは、つけ上がらない限りはおもてなしの文化を大切にしたい。 「ちなみにお茶菓子は、この中にないものでもいいので好物はございますか?」 「上里さんが食べさせてくれるのでしたら、なんでもいただきますよ」  さらっと飛び出した口説き文句に、一瞬硬直する。  漫画みたいな台詞がキザったらしくなく、自然で様になっている。言い慣れてるんだろうな。  それくらいならとカステラを切って口元に運んであげたところ、なんでも言ってみるものですねーと桜色の唇がフォークを捕らえた。  それで機嫌はひとまず直してくれたらしく、険しかった表情も緩んできている。  糖分は偉大だ。 「では、ここに関しては素直にご厚意に甘えます。ですが、本日のデートのプランはわたしに決めさせてください」  本庄さんが提案した内容は、とってもシンプル。  ”睡眠不足が深刻のため、夕方までお休みになってください”それだけだった。  それじゃデートにならないよと反論しようとしたけど、2徹も平気だった学生時代とは違う。頭が重くて、目元も急にしょぼしょぼしてきた。 「抵抗しても強行いたしますので」  有無を言わさずベッドへと運び込まれて、胸の上まで毛布をかけられてしまった。  さすが現場の社員さんというべきなのか、細い身体からは信じられないほどの力がある。 「すみません……つまらないですよね」  眼鏡を外してケースへと仕舞う。ピークの眠気で、上がらなくなってきている重いまぶたをこする。  せっかく片付けたのにこれでは、良かれと思ってやったのに全部裏目に出ている。  こないだみたいにまた介抱されるパターンだなんて。 「上里さんがそうお考えなのでしたら、来週もこの時間にお約束いただけますか?」 「も、もちろんです。次はコンディション万全の状態でお出迎えいたしますので」 「やたっ、どさくさに紛れて次の約束取り付けちゃいました」  あ、そういう魂胆だったのか。  でも、そんなことない楽しかったですと下手ななぐさめをもらうくらいなら、堂々と利用してくれたほうがいい。  デートのお誘いの成功率は、タイミングも大事だから。 「ごゆっくりお休みくださいませ」  私の片手を取ると、本庄さんは指を絡めた。夜這いしない証拠らしい。 「わたしはどこにも行きませんし、まだ何もしませんから」  まぶたを閉じた直後。額に本庄さんの体温が被せられる。  ゆっくり行き交う動作から、撫でられているらしい。  まるで子供を寝かしつけるお母さんの図だ。  恥ずかしい光景なんだけど襲いくる眠気には勝てず、私の意識は暗い水底へと沈んでいく。額に送られてくるぬくもりに包まれて。  次に目覚めたときには、外は真っ暗になっていた。  想像以上に深い眠りに落ちていたらしい。 「よくお休みでしたよ」  枕元のすぐ横。頬杖をついた本庄さんがスマホから顔を上げた。  右手はまだ、現在進行系で本庄さんの体温を感じる。  どうやらしっかりつないだまま、今までスマホで時間を潰していたらしい。器用な子だ。  私が身体を起こすのを待って、もう時間も時間だからと本庄さんは帰り支度を始めた。  デート、初回はこれで終わりなのか。  デートですらなかったな。爆睡して終わったし。 「それではこちら。上里さんの好きに使ってくださいね」 「えっ」  封筒を渡される。  受け取った際に、それなりの厚みと重みを感じた。 「待ってください。こんなには受け取れません」 「初回ボーナスみたいなものです。次からはいくらがいいかお聞きしますので」  こんな大金をポンと出せるくらい、彼女の家は裕福なのかな?  ありがたく受け取っておくべき場面なのだろうが、デートとは到底言えない時間の無駄に終わってしまったので気持ちが晴れないのだ。 「お支払いって。その。どう、すればいいですか」  お代は私自身。  私もいい大人なので何を意味するか察しがつくけど、一応聞いてみる。 「そうですね。どうしましょうか」  本庄さんは無邪気な笑みをたたえると、あえて答えずにオウム返しをしてきた。  じらして転がしている。いやらしい笑い方だ。 「大金を受け取った後ですし、今日なにもできていないので。どうしたらご満足いただけるかなと」  本庄さんは顎に指を添えると、んー、と声を漏らした。  それからこちらに向き直って、私に向かって手招きする。 「例えるならば、ですが」  言い終わらないうちに、両の手首が抑えられた。しかも片手で。 「え、え?」  起き上がりかけていたベッドへと私は寝っ転がらされて、ぎしっとマットレスが軋む。  私を見下ろす、本庄さんの整った顔があらわになった。 「上里さんさえよければ、こういったことをしたいと思っているのですよ」
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