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入社編
女性1割の職場
1月半ばに入社して、3日が経過した。
私の新しい勤め先、『奥平産業』はいわゆる製造業。
私はそこの事務員として採用された。
今の社員があと数年で定年となるため、その後釜として。
しかしここの会社、駅からだいぶ離れているし、近くにコンビニどころか飲食店の一つもない。工業団地によくある光景とはいえ。
それは、車か自転車で通える人しか来ないはずだ。
タイムカードを押しに、2階の会議室へと入る。
中には1人の若い女性がいた。離れた席で厚い本を読んでいる。
「おはようございます」
工場内では数少ない、女性の社員さんだ。
いつもこの時間にいるから、直属の上司の次にこの方の名前を覚えた。
「はい、おはようございます」
現場の社員、本庄さんは読んでいた本を閉じてこちらに振り返った。
きれいな方だなと思う。初見はモデルさんが職場を間違えたのか、と勘違いしたほど。
小顔だし、お目々ぱっちりだし、眉もきりっと整っている。
ゆるめに巻かれた、紅茶色の長い髪は流れ落ちるって表現がぴったりなくらいに艶があった。
朝日の差し込む会議室で本を読む光景は、さながら深窓の令嬢。
なんでこんなゆるふわ美人が、3Kの工場勤務なんぞしているのだろうか。
私とこの人を除けば、あとは中高年ばかりというのは年齢層が偏り過ぎだと思う。でも新卒がわざわざ、こんな辺鄙なところに来るわけがないか。
「本当に何もありませんよね、ここ」
出勤認証を終えたタイミングで、本庄さんが話しかけてきた。
こちらの心を読んだかのような発言に、きゅっと身体が硬直してしまう。
入って3日で仕事に慣れましたか、では無理があるから別の切り口にしたのだろうけど。天気か、立地の話は定番だ。
「駅と駅の間ですしね。景色はいいので嫌いではないのですが、買い物は少し面倒そうです」
「あー、自転車だとそうですよね。一番近いコンビニでも駅近くまで漕がないとありませんし」
「仕出し弁当があるとはいえ、たまにはコンビニの軽食も恋しくなりますね」
「あ、はい。でもご自分で作る方も多いですよね」
事務員は朝礼後に希望の個数を確認して、弁当屋さんに注文を入れるのが最初の仕事となる。出勤時にチェックを入れるのを忘れずに。
利用者は半々といったところ。私も気になっていたので、今日はチェックを入れてみた。
が、1食500円は微妙な値段だ。
「そういえば上里さん、もしかしてわたしとタメですか?」
「え? えと」
同じくらいの方が来るって初めてなのでー、と本庄さんはフランクな口調になった。
ずっと中高年の職場にいた方からすれば、近い世代の人に親近感を持つのも当然か。
「25です」
もうすぐ26だけど。
「2歳差ですか。ほぼタメですね」
どっちだろう。肌の透明感からこの人がアラサーって線は考えづらいから……え、そうなると新卒でここ入ったのか。
「本庄さんは新卒でこちらに?」
「ええ、なるべく自宅から近い場所に勤めたかったので」
だからって貴重な新卒カードを、こんな零細企業に使うのはもったいない気がする。
人それぞれ事情があるんだろうが。
「あ、敬語別に大丈夫ですよ」
「いえ、さすがに」
入社数日で上司にタメ口など、よほどの大物じゃないんだから使えるわけがない。
なんなら私は、家族と友人以外の人間には総じて敬語だ。相手が子供だろうがタメ口になれない。
私にとっての敬語は敬意からではなく、警戒心から来ているのかもしれない。
次の人がタイムカード打刻に来るだろうし、ここで下がったほうがいいだろう。
「ではそろそろ。失礼いたします」
「はいはーい、また後で」
本庄さんは屈託のない笑顔で手を振ってくれた。
「華があるっていいですね」
拭き掃除の途中。机を挟んで斜め前へ座る、小太りの中年の男性が話しかけてきた。
あざーすと軽く笑って返す。
名前は……だめだまだ部長という役職でしか覚えていない。
メモ帳の最初のページに挟んである名簿を確認すると、『小川』とあった。まあいいか部長固定で。
社員さんのほとんどは朝礼が終わると現場に行くので、必然的に事務所にいる面子は固定されてくる。
小川部長、隣に座る事務員の狭山さん、それと工場長の高坂さん。最初の面接で顔を合わせたのは工場長だったかね。
「上里さん、前職はどちらで?」
部長は話し好きなのか新人の私と少しでもコミュニケーションを図ろうとしているのか、たまにこうして唐突に話しかけてくる。難しいだろうね、距離感。
「飲食です」
「ああ、異業種からの転職なんですね」
「はい。業績不振で潰れてしまったので。次はサービス業以外がいいかなと」
持病もあるからね。発作をこらえながらの接客は正直しんどすぎた。つか悪化した。
「厳しい業界ですからね……こんなご時世なのでどこも似たようなもんですが」
「ここで骨を埋められるといいのですけどね」
この台詞は建前ではない。
私の人生で二度と経験したくないことベスト3はノロウイルス、推し絵描きの垢消し、堂々の第一位が就活だ。
「若い人材にお越しいただき、こちらとしても喜ばしい限りです」
部長は軽く頭を下げると、印刷物を取りにコピー機の方へ向かっていった。
実際ここは定年間近の社員がひしめいてるくらい年齢層が偏っているから、世代交代が上手くいかないと未来はないって上は危惧するだろうね。
……だとしても、若者以外がいる事務所内で堂々と言うのもどうかと思うんだ。
ほら隣の狭山さんとか、会話に一切混じってこないのが怖い。頼むぞ部長。
さて、気を取り直して。
各営業所から送られてきた発注書をPCに読み込んでいく。
私はOfficeの資格を一通り取ってたからって理由で採用されたらしいけど、まだこの会社では使ったことがない。
独自の社内ソフトだ。意味ねえ。
……中小ってだいたいそうだよね。
「お疲れ様です。奥平技研、上里が承ります」
相手によって使い分けなければならないのが少々面倒だ。
他の営業所から発注したいから在庫確認してとの電話があり、折り返し連絡することに。
「名古屋営業所から。足場インサートのCサイズ、明後日までに20ケース欲しいとのことですが……」
この商品自体は30ケース在庫があったものの、本日別の営業所に15ケース出荷する予定となっている。つまるところ在庫割れ。
狭山さんに聞いてみると。
「その場合は工場長に相談を。あるぶんだけ出荷するか、依頼通りの個数を仕上げてから出荷するかって判断いたしますので」
「わかりました」
とりあえず、すぐ隣の工場内へ急行する。
現場に足を運ぶのは初日以来だ。
機械音が響いていて、油っぽい独特の臭いが立ち込めている。
「…………」
一通り工場内をうろついて、他の社員さんに訝しげな目を向けられつつ私はため息を吐いた。
どこだ。工場長。
足で探すって効率悪くね?
今まではどうしてたんだろ。放送で呼び出すか、仕事用の携帯電話に掛けるかでいいんじゃない?
背を向けて、開いたシャッターから外へ出ようとすると。
「おっと」
向こうから運転中のフォークリフトがやってくるのが見えたので、邪魔しない位置で通り過ぎるまで待つ。
ヘルメットからなびく髪束が目に入って、運転手が女性であることに気づいた。
……え、あの人本庄さん?
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