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歓迎会
朝。自転車にカギを回していつも通りサドルにまたがると、妙な感触を覚えた。
アスファルトを弾むいつもの力強さを、タイヤに覚えない。スムーズに漕げないのだ。
空気漏れか。そう思って空気入れを必死に動かしブチ込んだんだけど、乗り心地の不安定感は変わっていない。
……もしかして、パンク?
タクシー代はもったいないし、ここからなら歩けないこともないか。まだ冬場だからいい運動にもなるし。こういうとき自転車だとやっぱ不便だな。
朝からこれとはな。
しかも今日は、私の歓迎会という名の飲み会があるのに。
「本日は私のために歓迎会を開いていただき、本当にありがとうございます。一日も早く皆様のお役に立てるよう、今後とも精進してまいります」
幹事の工場長に続いて、私はよろしくお願いいたしますと頭を下げた。控えめの拍手が沸き起こる。
居酒屋の料理はバイキング形式で助かった。これなら食べたいぶんだけを盛ればいいので、残す心配もない。
ぶっちゃければ、私は今回の宴会に気乗りしなかった。
いい歳して私はお酒が飲めないし、持病の関係で外食も苦手だ。
歓迎会の主役が断れるはずもなく。
ちびちび烏龍茶を煽りつつ、確実に食べられる量に盛った皿の料理を片付けていく。
「あれ、おかわりはいいの?」
すでにバイキング2周めから帰ってきた、隣に座る狭山さんに心配そうな声をかけられる。
私からすれば、どうしてそんなに食べ続けられる胃袋があるのか不思議だ。
「ああ、はい。またお腹が空いてきたら周ります」
「そうなんだ? いつもお昼おにぎりとかだったしね。燃費良くて羨ましい」
昼食メンバーなら少食ってのは分かっちゃうよね。
基本おにぎりオンリー(たまに惣菜パンとバナナ)なのは弁当に詰めるのがめんどくさいってのが大きいけど。
……まだ始まって30分くらいしか経ってないのに、私は居心地の悪さを覚え始めていた。
談笑する狭山さんと川角さんに混じりつつ、もう食べないの? という白い目を白い皿に向けられる。
なお、2人はその間にバイキング3周目へと突入していた。
すみません、入らないんです。お皿を空にできただけでも、私の中ではノルマ達成なんです。
気が乗らないのは、本庄さんが遠いところにいるからというのもある。
やっぱり美人で気さくで仕事もできる人だからか、彼女は終始男性社員に囲まれてにこやかに話していた。
人気すぎて近寄れない。そりゃ、みんな話したくもなるか。
先日彼女が絵を描いている光景を見て、もしかしたら話が合うかもしれないと機会を伺っていたのだけれど。
「モテモテだねぇ、本庄さん」
急にこちらへとやってきた男性の気配にびっくりして、私はそ、そっすねと素っ気ない返し方になってしまう。
男性は鳩山さん。
寡黙な方が多い社員のなかでは一番話し好きで、よく主語を抜いた言葉で話しかけてくる。
狭山さんも社員名を教える際に『坊主頭の鳩山さんは嫌でもすぐ覚えるから。エンカウント率高いし』と言っていた。どうなんだその説明文も。
「プレス機とかすぐ覚えちゃったしね。やっぱ若い子は吸収力が違うのかしら。私の下についてふた月持った子なんていなかったのに」
「そりゃ川角さん。あんたの教え方が雑なんだよ。梱包から機械整備まで全部やれ言われたってすぐ出来るかい。あとなんか圧があるし」
「あらやだ職人気質って言えよ」
この会社でいちばん長く勤めている川角さんに、ここまで遠慮なく言い合えるってすごいなー。
それでギスってる感じもなく、いい喧嘩友達って雰囲気だし。
「本庄さん、出身校もすごいんだってね。××高校出てるって聞いたし」
「それ県内一の進学校じゃん。やべえな」
「大学も××行ってて、薬学部なんだよ。超エリートだよね」
「なんでそんないくらでも選択肢あるような人がうち来たんだか」
この人たち、なんでそこまで人様の学歴に詳しいの。こええよ。
にしてもやっぱ、できる人はそこから違うのか。住む世界も違うんだろうな。
……ん?
そういえば××高校って、エリート校ではあったけど、確か。
気になってスマホで調べると、ビンゴだった。
この高校は、普通科のほかに『美術科』もある。
でも、美術の学校出身じゃなくても描ける人は描けるしなあ。それに高校の学科がそれなら、大学も美大あたり出てるだろうし。
専門分野の学科は受験範囲の3割くらいしか学習しないらしいから、いい大学に行こうと思ったら普通科が有利に決まってる。うーむ。
ここにいない人の学歴談義に混じるのも失礼だと思い、私は学科を聞けずに終わってしまった。
時間が経って、気づけば狭山さんも川角さんも鳩山さんも、みんな席を離れてしまった。
寝っ転がっている社員さんもいる。締めの合図、そろそろなのかな。
よし。周りに誰もいないということは。
これで堂々と本日の推し絵巡りができる。飲み会ぼっちは、むしろ歓迎だ。
私はスマホを開いて、イラスト投稿サイトの海を漂い始めた。
ああ、今日も尊いな……
「何見てるんですか?」
「ひゃいっ」
頭上へと舞い降りたフローラルな香りと鈴を転がす声に、私は大げさに肩を跳ねさせる。
あぶねえ。アダルトなページじゃなくてよかった。
「すみません。少しだけ匿わせてください」
本庄さんはそう言って、私の隣へと腰を下ろした。
座布団座ればいいのに。いま誰もいないんだから。
とりあえず私がひとつ隣へ移動して、私がいた場所に来なよと促す。
「構いませんが、どうして私に?」
「上里さん、それソフトドリンクですよね。シラフの人のとこに逃げ込みたかったんです」
匿うとか逃げ込むとか、何かに追われてるみたいな言い回しだ。理由を尋ねると。
「……実はわたし、自家用車で来たので」
ああ、なるほど。送迎に付き合わされるのが嫌だったのかな。
「本庄さんもお酒は飲まれないのですか?」
「飲めないことはないのですが、帰るときは1人がいいかなと」
これ内緒ですからね、と本庄さんは口止めするように指を立てた。
男性が見たらあざとい仕草なのかな? でも、きれいな人がすると様になる。
「わかります。帰り道とか電車内とか、なんか話さなきゃなんないような空気あってしんどいですよね」
このお気持ちは、会社から帰宅する際にも表明できる。
ロッカーでくっちゃべりながら同僚の仕度を待って、駐車場か駅までご一緒する。そういった暗黙の了解みたいなものがしんどい。
「そう。それなんですよ。会社の方々を嫌っているとかではなくて、業務時間外は1人でのんびりしたいのです」
もしかして。お昼は会議室にいないのも、そんな感じの理由なんだろうか。
「本庄さんが羨ましくなります……」
私はテーブルに突っ伏した。
あの2人のことは嫌いじゃない。私にも話を振ってくれるし。
なんだけど。この光景がずっと続くことを考えると、気が重い。
「逃げてしまえばいいのに。わたしみたいに」
いつになく乾いた声で本庄さんはつぶやくと、『でも新人のうちは難しいですよね』と明るいトーンに切り替えた。
影の一面を見た気がして、一瞬どきっとしてしまう。
「あはは、でも、最近はあまり嫌でもなくなってきたかなって」
「本当ですか? 無理していませんか? わたしは無所属ですから本音でけっこうですよ」
他言はしないって意味かな。
でも嘘は言ってない。黙って話を聞いているだけでも、その人を知る時間と考えれば有意義ではあるから。
「どうしたってあの2人は私とは歳が離れておりますし、腹割って話しづらいじゃないですか。でも、私ではなく同年代の2人でなら遠慮なく話し合える。どんな人なんだろって、表面的な部分以外も知れる機会になるかなって。私はなかなか社員さんひとりひとりと話す機会がないので」
つまるところ、人間観察だ。
そりゃ自分を攻撃する”合わない人”なら遠慮なく距離を置くけど、そうでない人なら人となりを知ってみたい。
なぜ、この人はこんな考えなんだろうかと。
自分から遠慮して一方的に距離を置くのも、まだ早いと思ったのだ。
「上里さんは忍耐強いのですね」
「伊達にこの名前じゃないんで」
名前ネタが出てくるとは思わなかったので、あははーと適当に流す。
案外滑りやすいんだよね、こういうの。
あ、そうだ。
せっかくイラストサイトを巡ってる光景を見られたのだから、いい機会かもしれない。
「そろそろ締めるよー」
これ気になりますかと言いかけたところで、工場長が勢いよく手を叩いた。
くそ、タイミング悪い。
何か言いましたか、と尋ねる本庄さんにあ、いえまたの機会にとスマホを胸ポケットに戻そうとすると。
「続きはわたしの車で話しませんか?」
本庄さんは手を取って、出入り口を指差した。
「いえ、ですが」
本庄さん、帰るときは1人がいいって言ってたよな。私も同じ会社の人間だし。
「だって上里さん、徒歩で来られてましたよね。いま、雪ですよ」
「えっ」
座敷を出て、廊下の窓へと目を向ける。
マジだった。白いみぞれがざあざあと止むことなく、暗闇に降り注いでいる。
雪なんてここ何年も降ってないから油断してたよ。
「だ、大丈夫ですよ。ここから歩いて20分くらいですし。折りたたみ傘もあります」
「ダメです。こんな視界が悪い夜道を若い女性が歩いてはいけません」
私より若いあなたが言う台詞じゃなかろうに。
本庄さんはなおも食い下がり、私の手首を離そうとしない。
「みんなに捕まって、ずっと上里さんのところに行けなかったので。もっとお話したいんです」
「…………」
う、そんな上目遣いで見つめてくるのはずるい。
それに、イラストで語り明かしたいのは私も同じだ。
工場内では朝とお昼くらいしか顔を合わせないし、貴重な1人の時間を邪魔したくはないから。
「わ、わかりました。道案内しますので、しばしの間よろしくお願いいたします」
「はい、お持ち帰りしちゃいます」
本庄さんはいたずらっぽく無邪気な笑みを浮かべると、自分の席まで荷物を取りに行った。
こうして私は、年下の先輩に送迎される形となった。
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