副業編・5月

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心と体が決めた人だから◆ 「わたしは男性とは違うわ。与えられることも、身体のつくりも。忍ちゃんが思い描いていたセックスとは、ぜんぜん違う。それでも、いいの?」  同性に抱かれることが、初めての思い出になる。  それで満足できるのか、不安そうに瞳を揺らして毬子さんは聞いてきた。価値観はそう簡単に変えられるものではないんじゃないかと。  ……ってまじめに考えようとしているのに、空気を読まずまさぐる指が思考を中断させる。 「んんぅ、」  お湯の温かさと風呂の熱気でほぐれた肌は、敏感になっていた。  胸元を隠すタオルの下で、人の指がわきわきと動く。布一枚隔てている光景ってかえっていやらしい。  主張を隠せない尖りを指が弾いて、何か言う前に喉が喘いでしまう。 「あのそれ、っ、胸わし掴みにしながら言うことですか」 「揉みながらでも話せるわよ?」  私がまともに話せないのですけど。  漏れる吐息を噛み殺しながら会話に応じても、毬子さんは平然と言ってのける。心と身体は別ってことなのか。  本能に忠実な指は置いておいて。不安になってしまうのも当然だろうと思った。  体を重ねる段階になってやっぱ無理だわ、ってセクを自覚する人はいる。  実際私がそうだった。女の子とお試し感覚で付き合った際、自分にタチは無理だと行為を中断してしまった。  じゃあ、今はどうだろう。  与えられる快楽に身と心を委ねてみると、自ずと答えは見えてきた。 「いいに……決まっているじゃないですか」  あの一件から、自分は同性愛者にはなれないんだろうなって勝手に決めつけていた。  女として、可愛がられたかった。  確かに相手が男性であれば、誰一人とて私を男役扱いはしないだろう。  けど、誰でもいいわけじゃない。 「最初の頃……覚えていらっしゃいますか。私のどこがいいのってLINEで聞いたことです」 「ええ」  聞く姿勢になったのか、ぴたっと胸への刺激が止まった。  創作の世界でしか聞かないような歯の浮く台詞が湧き上がってきて、感情の導くままに声に出す。 「あのとき、とてもかわいい女性だって言ってくれたから。きっとそのときから、私は惹かれていたんだと思います」  これまで、お世辞以外でかわいいなんて言われたことはなかった。  無駄にでかい身長と大人顔のせいで、物心ついた時から頼れるお姉さんでいなければならなかった。  同年代の子どもたちと遊んでいても、彼らの保護者役は常に私だった。  調子に乗ってた頃の上里さんは常に、かっこいいふりをしたキャラクターを演じていた。  名前も中性的だから、その路線がいいよと友人知人からは褒められた。  それがみんなの求める私だったから。  馬鹿みたい。学芸会でお姫様役を勝ち取った女の子にあこがれていたくせに。 「毬子さんじゃないと、嫌です」  絞り出すように叫ぶ。  あなただけが特別なのだと。あなたに女にしていただきたいのだと。  この人に何度もかわいいって言われるたびに、胸が高鳴る音がした。  一人の女性として可愛がってくれた。  ずっと欲しかった言葉を、すとんと射抜くように掛けてくれた。  幸せは目の前の人の形をしていた。  もっと愛されたくて、それ以上に愛したい。それ以上の理由なんてなかった。 「うれしい」  かすれ気味の声に乗せて、毬子さんが微笑む。  そしてまた指が動き出す。  めっちゃ爽やかな笑顔の下で、相手にボディーブローの快楽を送り出すやらしい手付きで。おい余韻どこ行った。 「うぁ、あぁ」  反論は嬌声にかき消される。  言ってることとやってることのギャップがすごい。  御顔は清純そのものの無垢な透明感があるのに、手慣れた女だなんて見てくれじゃ絶対分からない。 「すごくかわいい顔してる」  舌が伸ばされて、下唇が舐めあげられる。思わずぎゅっと目をつぶって、肩が上がってしまう。  つつ、と頸動脈に沿って舌が這って、揉みしだいているだけだった指がフェザータッチ程度のこそばゆい刺激に変わって。  自分の声とは思えないような、甲高い喘ぎが吹きこぼれた。 「胸、されるのそんなに好き?」  固く主張する性感帯をなぞりながら、艶を含んだ声で毬子さんがささやく。 「っ、毬子さんが、うまいから、ですよ」 「へえ」  挑発的な返事をこぼすと、片方の手が腿へと伸びてきた。  え、もうそこなの? 「一緒にしてあげる。どっちのほうがいい声出すかなあ」  くつくつと笑って、毬子さんの瞳が心底楽しそうに爛々と光る。  ベッドの上じゃなくても難なくこなしているあたり、お風呂でもさんざんしていたのだろうか。  シャワー中に盛り上がって二回戦とか。 「ま、待ってくだ、」  心の準備が整っていなくて、反射的に両腿に力が入ってしまう。 「大丈夫大丈夫、まだ挿れたりしないから。ね?」  湯の中で。他人の手のひらが内ももをのぼっていく。  じらすように、下腹からそけい部、脇腹をなでなでと。  これからされるんだって期待感と不安が入り混じったこそばゆい感覚に、ぞわわっと肌が粟立つ。 「ゆっくり深呼吸して。無理だと思ったらはっきり言って」 「っ、はい」  へその下。すでに熱を帯び始めている下腹部をとんとんとつつきながら、とどめの言葉が放たれる。 「それから、いっぱい聞かせてね」  私を翻弄する声と指にもみくちゃにされて、浴槽内にふたたび女の悲鳴にも似た声が響き始める。  上と下、どっちがいいかなんて。指の動きひとつで反応してしまうんだから答えようがなかった。  たっぷり時間をかけられて身体がすっかり出来上がる頃には、自力で寝室に戻るのが困難なくらい足腰の感覚がなくなっていた。  それでも裸はベッドの上までおあずけ、という譲れないロマンから。座って身体を拭いて、バスローブを気合でまとうくらいには頑張ったけど。 「忍ちゃんの肌ってきれいねぇ」 「それは、毬子さんもですよ」  それから。  ベッドに四肢を投げ出しバスローブを剥ぎ取られたあたりから、記憶がさっぱり抜け落ちている。  指で、舌で、道具で。  悦楽の海に引きずり込むものはなんでも使われて、私は何度も上り詰めていた。  喉が枯れるくらい声を振り絞っていたらしく、酸素を取り入れるとひりひりと痛みが走る。  下半身に感覚がない。虚空に投げ出されているかのように、背中から下にかけてふわふわと浮遊感がある。  初日だからちょっとずつ慣らしていこうってことで、浅い場所への責めに留まったのもあるのだろうけど。けど。  初めてってこんなんなの? 毬子さんがうますぎるの?   朦朧としている頭を振って、覆いかぶさる一糸まとわぬ恋人の顔を見上げる。 「大丈夫? 痛みはない?」 「え、ええ」  さっきまでさんざん弄っていた指は、今は穏やかに頬を撫でている。  最中の断片的な光景がよみがえってきて、ぼっと頬が熱くなる。  ぜんぶ見られて、なにもかもをさらけ出して、暴かれて、満たされたなんて。  穴があったら入りたい気持ちから横の毛布に手が伸びそうになるけど、しっかり毬子さんに抑え込まれているので叶わなかった。 「もう少し見せてほしいなー」  これ以上どこをさらせと言うのか。  相変わらず余裕の笑みを浮かべている毬子さんにちょっとは返したくなって、欲を声に出した。 「私も、あなたに触りたいです。いいですか」 「ええ、お好きに」  すがるように手を伸ばして、毬子さんの背中へと触れる。  きれいだ。一切の肌荒れがない透き通った肌はしっとりと指に吸い付いて、もっと触りたいという欲が湧いてくる。  なめらかな感触を堪能するかのごとく撫でまくっていると。 「こーら、いけない手付きね」 「むちゃくちゃ触りまくっていた人が言うことですか」  当然毬子さんのように経験はろくにないからただ触っているだけで、与えられているとは言い難い。  なのに、ときおり漏れる甘い声を聞くともっと出してほしい、なんて火がついていくのを感じる。  あれだけタチは無理だって思っていたのに、自分がされるだけでは物足りないって心と体が一致しかけている。  男だからとか、女だからとかじゃなくて。  毬子さんだから、欲しいんだ。 「夢みたい」  ふいにこぼれた声は、震えていた。 「ずっとこうなりたかった。心も身体も結ばれたかった。叶う日がくるのをずっと待っていた」  涙混じりに紡がれる言葉には、万感の想いが込められていた。  今まで、どれだけの出会いと別れを繰り返してきたのか。  私の拭えぬ嫉妬心をいとも簡単に塗りつぶしてしまうほどに、毬子さんの整った顔はくしゃくしゃの決壊寸前にあった。  ティッシュを枕元から引き抜いて、押さえてやる。  透明な雫はしばらく止まらなかった。  いつも大人びていた頼れる先輩の殻が溶け落ちて、今は泣き腫らすひとりのあどけない女性の顔があった。  いつまでもお傍におりますよ。そう言おうとして、言い回しにしっくり来ず喉で堰き止める。  毬子さんの涙に触れて、心の殻が同じく溶け落ちたような気分にいた。  見えない膜が剥がれて、新たな感情が芽生えていた。  久しく発していなかったその言葉遣いは、目の前の人に使うことがふさわしいと頭の片隅で声がした。 「毬子さん」  両腕を伸ばして、今はか弱く愛しい恋人を胸へと引き寄せる。  いつか交わした約束を果たす時が訪れたんだ。  迷いなく決意を乗せて、私は声に出した。 「これからは、ずっと。私がいるよ」  信じられないものを耳にしたかのように、一瞬だけ毬子さんの身体が硬直した。 「絶対に離さない」  大きく頭が揺れて、また熱い雫がこぼれ落ちていく。  けれど口元には、はっきり笑みが浮かんでいた。
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