副業編・5月

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別れとこれから  楽しいGWはあっという間だ。  ……いや、世間ではまだGWだけどね。今年は最大9連休らしい。  まだ私は有給が取れないから、月曜となる今日は普通に出勤日だ。 「それでは、長らくわが社に貢献いただいた川角さんへと。拍手」  工場長の掛け声と共に、朝礼ミーティング中の広場にはまばらな拍手が沸き起こる。  今日は川角さんの最終出社日。  前々から辞めることは知らされていたものの、明日からは優秀な社員さんが一人減ってしまうというのは寂しいものだ。  GW中なのに有給を取っている社員がひとりも見当たらないのも、それだけ川角さんに人望があったってことなのかな。 「では、各自仕事に移りましょう。解散」  川角さんの最後の挨拶が終わって、散り散りに持ち場へと戻っていく。 「ようやくこの会社も、送別っぽいことするようになったかぁ」  並んで歩く鳩山さんが感慨深そうにつぶやく。その言い方だと今までどうしてたんだろ。 「なんにも。休む日が連続で続いたら察する感じ。朝礼で工場長が”〇〇さんは昨日付で退職されました~”って言って終わりだよ」 「そーそー。上里さんのときにやった歓迎会も、つい最近から始めた習わしだし。部長が来てからだっけか」 「うち高齢化に歯止めかかんないしね。社員大事にしなきゃって焦ってんだろうな」  会話を聞いていた花崎さんも、バックレはよくあることだよと補足してくれた。  どこぞのサラ○シみたいに社員みんなが家族~みたいなズブズブ関係も息苦しいから、これくらいの距離感がちょうどいいけどさ。 「お疲れ様です」  お昼の時間になったので、機械を止めた。  最終日のため、川角さんの今日の仕事は私の監視役。  これまで彼女が一人でこなしてきた業務を私一人に任せても大丈夫か、ある意味卒業試験のようなものだ。  ずっとやってきた業務とはいえ、見られているとなるとやっぱり緊張する。  機械を止めるほど商品があふれるとかのもたつきはなかったものの、まだまだスムーズにこなせているとは言い難い。  汗だくのまま、私は頭を下げた。  ぜえぜえと荒い息を吐きながら。 「汗びっしょりじゃん。ポカリ買ってきたから飲みな」 「ありがとうございます……」  速さと効率が求められる仕事のため、どうしたって発作の頻度は高い。  薬と気の持ちようで重症化はコントロールできているとはいえ、まるで長距離走を終えたような心地だ。  口にしたポカリの甘みは強烈な刺激で、一気に半分以上を飲んでしまうほど美味しく感じられた。 「この数ヶ月、よく頑張ったよね。根性あるわ」  最終日だからか、川角さんの声はいつもより柔らかい。  社員推薦してあげてもいいよー、なんてお世辞まででてきたから思わず謙遜してしまった。 「いえ、私はまだまだです。すべての業務を把握したわけではありませんし、精進あるのみです」 「いやあ、向上心はでっかく持っときなよ。付け上がらないのもいいことだけどさ。そしたら会社はずーっと、パートであなたを安くこきつかうだけだよ。いつまでも同棲に甘んじて、結婚する気がない彼氏みたいに」  ちゃんと工場長と部長を説得しておくからね、と強く手を握られる。  ほんと頼もしくて肝が据わってるな、川角さん。とても昔は鬼上司と恐れられてたとは思えない。 「みんな褒めてたよ。ここまで続いた若者、特に女性なんて久しぶりだって。本庄さんにも言えることだけどさ」 「川角さんからここまでお褒めいただけるとは、大変光栄です」 「どーも。じゃあいいムードになったところで、これからお昼ご一緒する?」  川角さんからそう言われて、一瞬返事に詰まってしまった。  大人としての付き合いを考えるのなら、最後くらい送別会の代わりに参加するべきなのだと思う。  しかし、狭山さんはどう思うだろうか。  親しい友人だった川角さんとだけ語り合いたいのに、好ましくない私が来ることには。 「冗談」  そんな私の心情を見透かしたように、川角さんは肩を叩いた。 「危うく飲み会に強制参加させるような上司になるとこだったわ。あぶねあぶね」  ほら先約のお友達が来てるよ、と川角さんは入口付近を指差した。  指し示した先には予想通り、毬子さんが立っていた。  他の男性社員と話しているように見えて、視線はこちらをちらちらと。  なんともまあ、わかりやすいお人になったものだ。 「仲良くなさい、なんて言ってそう簡単には上手くいかないだろうけどね。でもまあ、そのうち狭山さんも分かる日がくるよ」 「どういうことでしょうか……?」  意図がわからず、恐る恐る聞き返してみると。 「仕事ができるとか長く勤めているとか。そんなの関係なく老いは訪れるんだってことさ」  自分は初期の認知症にあるのだと、川角さんは衝撃の事実を打ち明けてくれた。  確かに年齢的には60も半ばだからおかしくないとはいえ、今の60代はまだ若い。  川角さんにとっては計り知れないショックだっただろう。 「あれだよあれ、って固有名詞が出てこない日が増えた。帰宅ルートを間違う日があった。冷蔵庫の中身を覚えていなくて、同じものを買ってきてしまう日が増えた。子供から指摘されても、認めたくなくて病院には行きたくなかった。定年後ずっとだらだらしてる人じゃなく、なんで私なんだって」  もっと認知症対策が進んでいる時代に生まれたかったね、と悔しそうに川角さんは腕を組む。 「自分より若い人を疎ましく思っちゃう気持ち、分かるよ。特に女は。老けて露骨に相手にされなくなった頃のこと、はっきり覚えてる。馬鹿だよね。歳を取って、人間性を見られるようになっただけの話なのに」  どんなに美しくても、どんなに天才的な頭脳や運動神経を持ち合わせていても。  歳を取ればみな等しく、どこも老いていくだけなのだ。  うろちょろしている子供や若者を迷惑がっていても。  自分もやがては、要介護や徘徊老人になって迷惑をかけるかもしれないのだ。  そのときになって、さんざん馬鹿にしていた若者の手を借りねばならない未来がくる。  若者を大事にせねば、やがて国は衰退する。  それを今になって気づいたのだと、川角さんは語ってくれた。 「少子化……はもう食い止められないだろうけど。君らの時代には、もっといい薬ができていることを祈るよ」  ひらひらと手を振って。  今はまだ、しっかりとした足取りで歩きだす川角さんの背中を見送る。  私はZ世代ってやつらしいけど、この時代に生まれて良かったなんて思ったことはなかったなあ。もっとひどい時代もあったのは分かっているけど。  今の老人は逃げ切り世代でいいよなけっ、なんて好景気の頃に生まれた人たちが心底羨ましかった。  結局、いいとこだけを見ているから嫉妬するんだよね。  隣の芝生は青く見えるってやつなんだろうな。  帰り道。私は毬子さんの車に揺られて、駅前の駐車場へと向かっていた。食材の買い足しのために。  GW中なので毬子さんとのプチ同棲は続いている。  なのでこっそり、朝も一緒に出勤したわけだ。 「世代、ねえ」  商店街へと並んで歩く途中。  毬子さんにお昼の川角さんの話を振ると、『わたしはZ世代万々歳よ』と返ってきた。 「同性が好きでもいいんだって、教育を受けられるようになったから。戦中は同性愛者ってだけで精神異常者扱いだったらしいじゃない。同性婚制定の動きも順調らしいし、バラ色ならぬ虹色の毎日よ」  ああ、レインボーってLGBTQ+をあらわすんだっけそういや。  確かにその視点で考えれば、堂々と毬子さんと手をつないで街中を歩けるのはいいなと思う。  なにより、生まれる時代が違ったらこうして出会っていなかったんだよね。 「じろじろ見るのは失礼だけど。目を凝らすと、意外とそれっぽい人はいるんだね」  男性同士で腕を組んでいたり、女性同士で買い物袋の端っこを持ったり。  視野と解像度が広がると、思っている以上に世界は広いことがわかる。 「同性じゃ子供ができない、なんて考えも廃れたわね。精子提供で子供を作ることは可能だし、養子縁組で子供を持つカップルも増えたわ」 「家族のかたちも多様化してるんだ」  私たちが老いる頃にはどんな未来が待っているのだろうか。  もっとあらゆるものが多様化して、色とりどりの世の中になっているのだろうか。  まあ、今はそんな難しいことよりも本能が先だ。 「ところで毬子さん」 「なあに?」 「今日は私から攻めてもいい」 「いいわよ。忍ちゃんだけのネコになってあげる」  未来は決して明るくないかもしれない。けれど、隣の最愛の人と歩ける日々は、どこまでもまぶしく広がっていくだろう。  何よりこれからやりたいことはたくさんある。楽しい気持ちが、尽きないのだ。  あなたがいれば、それだけで。
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