入社編

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バレた  雪景色の中を走行するため、本庄さんは速度を少し落としてハンドルを動かしている。  私は横から雑談と指示を。タクシーを利用している感覚だ。 「上里さん、徒歩でいらっしゃったのでお酒飲まれるのかなと思ったのですが」  おかげでこうしてお話できてよかったです、とくすぐったい言葉を本庄さんは掛けてくれた。自転車の飲酒運転も禁止だからね。 「あれは単にタイヤがパンクしちゃっただけなんです。朝から」 「えっ、それで会社まで歩いてきたのですか?」 「ええまあ、1時間もかからないですし」  軽く流すつもりだったんだけど、本庄さんはえぇっ、と信じられないものでも見たように声量を上げると。 「なんなら明日もわたし、送りましょうか。それだと不便ですよね」 「いえいえいえ、そんな」  突き出した手を思いっきり振る。余計な心配をかけさせてしまった。  先輩をアッシーちゃん(死語)代わりに使うなど。新人パートの私がどの面下げて頼み込めるというんだ。 「パンク修理グッズありますので。大丈夫です」  嘘です。明日買ってきます。自力で修理が当たり前だってことをさっき調べて知った。 「ちょっと寄りますね」  コンビニの灯りが道路脇に見えてきて、入り口の位置に本庄さんがハンドルを切った。 「何か買われるのですか?」 「ええ、明日用にお弁当を」  意外だ。給湯室でおにぎりをレンチンするときにたまに本庄さんに出くわすけど、いつも自前のお弁当箱だったよな。 「金曜日って、たまにお弁当作りサボりたくなるんですよね。昼食代かかってもいいから人の作ったものが食べたくて」 「あー、分かる気がします。1週間頑張った自分へのご褒美というか、ちょっと財布の紐がゆるくなりますよね」 「まさにそれなんですよー」  私も今になってお腹が空いてきた。  外食中はほとんど空かないのに、帰り際になって食欲が復活するのは私あるあるだ。 「じゃあ、私買ってきますよ。ご希望を伺ってもいいですか」  私は支払いを申し出た。  送迎してもらってる立場だし、これくらいのお礼はしないとな。 「そんな。悪いですよ」 「お気になさらず。タクシー代として受け取ってください」  私は新人だからまだ徴収はしないって言われたけど、本庄さん含む社員さんは歓迎会の会費を払っている。  せめて何か自分にできることをしたかった。 「では、ありがたくおごられちゃいますね」  わぁいと頭を揺らしてはしゃぐ仕草をした本庄さんから、親子丼のオーダーを受ける。  上司に可愛がられる社員ってこういう人を指すんだろうか。 「お待たせいたしました」  二人分の弁当を買って、車へと戻る。  あとは発進するだけなんだけど、なぜか本庄さんはシートベルトをつけようとしない。  代わりに、さっきの話の続きをしましょうと話題を振ってきた。  コンビニとはいえ私有地なので気になっちゃうな。なるべく長話にならないようにしよう。 「ちょっと絵を見ておりまして」 「絵、ですか。風景画とかですか?」 「それも好きですが……えと、人物画です。女性の。写実的なのじゃなくて漫画チックなやつで」 「漫画ちっく、はあ。少女漫画とかですかね」  美少女イラストが好きなんです。  これめっちゃ言いづらいな。どう切り出したものか。  一般的な認識じゃ、絵を見てたっていうと絵画を連想するもんな。  ごく普通のイメージ候補を掲げる本庄さんへと、なんとか私は自分の伝えたい言葉まで持っていこうとする。 「……あの、本庄さんはライトノベルの絵とか大丈夫な側ですか? ソシャゲタッチとも言いますか」  一般的には男性向けとされる絵柄だから、女性の好みに合うかは五分五分だ。  さて、この方はどっちだろう。 「ソシャゲ……美少女擬人化とか、あのあたりですかね。お馬さんとかお城とか」 「そうそう近いです。そのあたりです」 「でしたら、おっけーです。いける口ですよ」 「ほ、本当ですか? 無理に合わせる必要はまったくないので」 「はい。大マジです。アプリも入れてますよ」  見せてもらうと、カンストレベルまで育成した女の子のステータス画面が次々と出てきた。まさかのガチ勢だ。 「じ、実は私もそれ。やってます」 「本当ですか? わあ、女性のプレイヤーさんってリアルで初めてお会いしました」  よ、よかった……早まらないでよかった…… 『気持ち悪い』『性的搾取にまみれた絵が好きなんてありえない』『理解あるオタ女面して男ウケアピってんの?』  こんな言葉しか今まで掛けられたことなかったから、やっと好き寄りの人に出会えて涙が出そうだ。 「なかなか言いづらくて。女でこういう絵が好きって」 「肩身狭いですよね……わたしも高校時代は、BLかレディコミ以外は女子の中で相手にされない風潮だったもので」 「本庄さんのクラス、そんなにオタクの子が多かったんですか?」 「オタクじゃない女子はいなかったと思います。確か」  最近は当たり前のように深夜アニメの映像が地上波にも流れているし、クラス全員がオタクってのも珍しくないんだろうな。  あの進学校でそんなにいたのは驚いたけど。 「ちなみに、本庄さんはどういった絵が好きなんですか?」 「わたしの場合は、絵柄よりも作家さんで見ることが多いですね」  ログインしたユーザー画面から、ブックマーク一覧が開かれる。  美少女イラストっていっても細分化されてるからな……  本庄さんの好む絵は可愛いと綺麗寄り。女性作家さんに多く見られる絵柄だ。  にしても。  作家さんごとに構図に癖や偏りがあるとはいえ、ブクマの1ページめは全部女の子のペアで偏ってるな……単体が見た感じひとりもいない。 「……あっ」  何かに気づいたのか、本庄さんはスマホを伏せようとしてしまった。  別にアダルトな絵はなかったと思うけど。 「すみません、わたしから聞くのを忘れておりました」  こういうの大丈夫ですか? と本庄さんはおそるおそる私へと聞いてきた。  スマホを握りしめる手は、しくじったとでも言いたげに震えている。 「大丈夫、とは? 見た感じとてもきれいな絵でしたけど」 「へ、変に思わなかったですか? あの漫画家さんは界隈では有名なので、その」 「界隈?」 「お、女の子同士の関係を得意とする方。です」  いつものよどみなく喋る口が嘘のように、本庄さんは頬を染めて途切れ途切れに伝える。  女の子同士。その関係を得意とする漫画家さん。  あー、そういうこと。単体好きとペア好きはまた似て異なるからね。  まだまだ人を選ぶジャンルであることも間違いはない。 「好物です。いける口ですよ」  さっきの本庄さんを借りた言い回しで返す。  男性向けジャンルだとナチュラルにこの手の関係性が強調されていることは多いし、女の子オンリーの恋愛ゲームもたまーにやってる。 「よかったあぁぁ……」  本庄さんはひと呼吸置くと、大きく息を吐いた。長く語尾を伸ばして、だらりと両手を下げる。心の底から安堵した仕草だった。 「すみません。ついテンションが」 「いえいえ、難しいですよね。こういうときの距離感って」  上里さんが大丈夫な方で安心しました、と手を取って本庄さんは握手会でもするようにぶんぶんと振る。ついでにLINEも交換した。  あんまりコンビニに留まっているのも悪い気がしたので、そろそろ出発することに。  ……結局、絵を描いていたことについては聞けなかったな。  投稿サイトのアカウントもブクマばっかでロム専っぽいし。また次の機会にするかあ。  空からはらはらと舞い落ちるみぞれは、まるで羽吹雪のよう。  街灯の降り注ぐ光に色づいてなかなか幻想的なんだけど、フロントガラス越しだと視界はめちゃくちゃ悪い。道行く車のライトと合わさって余計に。 「ふう……」  夢中になってくっちゃべったせいか、喉がかわいてひりひりする。  久々にこんなにいっぱい話したからなあ。舌が思考スピードに追いつかなくて何度も噛んだよ。  お茶を一口飲んで、絡まった痰の感触を覚えたので軽く咳払いをする。  あれ、つかえが取れない……?  何度か繰り返して取れたと思ったら、乾いた喉に吸い込んだ空気が張り付いていく。  まとわりついて、気道を侵食していくようで。  喉に当てた指先に冷たい汗がにじむ。  うまく、息ができない。  ……うそだろ、おい。  まじで? こんなときに?
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