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「でもいまわたしにはオジさんが居る」
わたしはいま、それだけで生きている。なにもなかったわたしのなかで、オジさんがわたしを支えている。
待ち遠しいな、週末が。
「ハァ〜イ♪ 来月からjkの、まゆちゃんでぇ〜す♪」
「今日はずいぶんとテンションが高いじゃないか」
高いよ。オジさんは、わたしにとって太陽だから。
「今日はちょっと、話があるんだ。他人がいるとこじゃなんだから、山の中腹の展望台に行こう」
話? なんだろ。
車が郊外の道を抜けて、観光道路を登っていく。
「卒業シーズンだからかな。意外と人がいるな」
「なにか問題でも?」
「あるよ。だんだん忘れがちになってきてるけど、きみとの関係自体が犯罪だよ」
今さらじゃん。
「わたし、来年16だよ」
オジさんは無言で駐車場に車を駐めた。ふたりで降りて、街を眺めた。
「ここ、街全体が見えるね」
ひとつひとつの場所ごとに、オジさんとの思い出が頭に浮かぶ。
「ちょっと、飲みもの買ってくる。話が長くなりそうだからきみのも。なにがいい?」
「ミルクティー」
オジさんにペットボトルを手渡された。
「オジさん、最近会社で評判がよくってね。表情が明るくなって以前より覇気がある、態度に落ち着きがあるって」
「へぇ、よかったじゃん」
普段そんな話しないよね。
「上司とミスの叱責以外で話す機会も増えて、だんだん重要な仕事にも関わるようになってきた」
「へぇ、よかったじゃん」
どうでもいい自慢話は、どうしても返事がオウム返しになる。
「言われてみれば、まえは他人と話す機会なんてほとんどなかったもんね。作らなかったし」
「わたしのおかげって言いたいの?」
「そうだよ、ありがとう」
それはどういたしまして。
「車のなかに戻ろうか。ここから先は、他人のまえで話したくない」
オジさんとともに車内に戻った。どうせ丸聞こえだと思うけど、そこは気分の問題だろうな。
「合コンの数合わせにも呼ばれるようになった」
は? わたし以外に欲情しないで。
「そっちはただの数合わせだけど、上司が娘さんの話をするようにも。もういい歳なんだけど、なかなかこれという男と縁がないって」
何の話をするつもり?
「もう、察しがついたかな」
察しなんてつきたくない。
「わかんないよ」
オジさんの顔が怖いくらいに真顔になった。
「この関係を終わりにしよう」
「ふざけないで」
「真面目だよ。オジさん、きみが邪魔になっちゃった。きみも、オジさんを卒業するべきだ」
「いきなり、そんなのってないよ」
頬を涙が伝う。今さらオジさん無しの人生なんて考えられない。
「わかってくれよ。この関係は異常なんだ」
「今さらじゃん」
異常なのはこの関係じゃない、この関係がわたしにとって必要不可欠な現状だ。
「今さらになりつつあるのが異常なんだよ。これ以上は、危険だよ」
「わたしには、これからも、いやこれからもっとオジさんが必要なんだよ!」
「声が大きいよ。いったん飲みものを飲んで落ち着こう」
わたしはキャップを開けてミルクティーを飲んだ。何回も振って泡立っていた。
「落ち着いた?」
「うん」
飲みものくらいで落ち着くわけないじゃん、とは言わなかった。
「ついこの前卒業式だっただろ? きみにとって、いい節目のはずだよ」
「節目って何? 節目って。わたし、オジさんのことばっかり考えてたんだよ!」
「おかしいよ」
わたしがおかしいのなんて、その前からだよ。人生も、親も。
「わたし、喜んでたんだから! 『高校を卒業すれば、18になれば大人になれる、そしたらオジさんと結婚できる』って」
「そんな未来は無いんだよ」
ひとつひとつが否定される。言葉も、将来の展望も。
「悩みもあったんだよ! 『もしオジさんがロリコンなだけだったらどうしよう、高校生になったわたしは嫌いかな』って」
「そしたらオジさん、『合コン』? 『縁談』? 相手が大人でもいいなら大人になったわたしでいいじゃん! なんでそれじゃだめなの?」
目のまえの景色が涙で歪む。世界から太陽が消えた気分だ。
「オジさん、やっぱり自首しようかな」
「なんで? やめてよ!」
「なんでって、性犯罪者だからだよ。もしそこのことを言ってるんじゃないなら、オジさんの気持ちをわかってよ」
意味がわからないよ。オジさんが捕まるなんて間違ってる。ひとを救ったら犯罪だなんて間違ってる。
この先オジさんがわたしを救わないだなんて間違ってる。
「オジさんはなにも悪いことなんてしてないよ! わたしオジさんに救われたんだから!」
「そっか、そう思ってもらえてたんだね。オジさんさ、最近の変化を良く言われるたびにきみの顔が浮かぶんだ。オジさんはきみで変わった。きみも、出会ったころから随分変わった」
それは認める。わたしをもっと変えてよ、オジさん色に。
「表情が明るくなって覇気も落ち着きも出てきてると言われて、真っ先にきみの顔が浮かんだ。オジさん以上に、今のきみの未来は明るいんじゃないかって」
「明るいのは、オジさんありきの話だよ」
「もっと冷静に世界を広く見るべきだ。オジさんよりもいい男なんていっぱい居るよ。オジさんと違って、関係性を堂々と周りに言える男も」
そう思うのはオジさんの自己評価が低過ぎるからだよ。オジさんほどのいい男なんて、そうはいないよ。
「いまのきみに、オジさんは邪魔だよ。きみはオジさんを踏み台にするべきなんだ。
きみはもう、オジさん無しでもやっていけるよ」
オジさんを踏み台にだなんてしたくない。踏み台に使うだなんて勿体ない。
「嫌だよ。いくらオジさんの言うことでも、それは嫌」
「オジさんの選択肢はもう2つだけだよ。自首するか、きみと別々の道を幸せに歩むか」
「これからまっすぐ交番に向かうか、それとも帰るか」
どっちも嫌だ。
「第3の選択肢。いつまでもグズるきみを嫌いになるか」
もう無理。オジさん、聞く耳を持たない顔してるもん。
「わかったよ、自首はしないで」
「なら、携帯返して」
オジさんはスマホを受け取ると、車から出て川へと投げこんだ。迷いが無い。固めた決意が揺るがない。
水深の浅い川からは、割れて砕ける音がした。
「最後にひとつだけ、お願いがあるの」
「聞くだけ聞こうか」
「オジさん、最後にもう一度だけ抱いて。約束するよ、その後オジさんとはもう二度と関わらない。
でもわたしは、絶対にオジさんを忘れない。忘れたくない。だからわたしに、オジさんを刻んで」
今日、わたしの世界から太陽が消える。それはもう諦めた。でもだからこそ、在りし日の記憶を身体に焼き付けたい。
「わかったよ。だけどもう本当に最後だ。明日から、きみとオジさんは他人だよ。
きみはきみできみらしく、幸せに生きてね」
オジさんがナビに打ち込みサイドを下ろすと、車はまっすぐ走り出した。初めて身体を重ねたホテルに向かって。
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