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心臓、れいぞうこのなか(6)
チャイムのボタンを押すのなら、ありえないほど取り乱していなければいけないと思って、殺人事件でも起きたのかと言うほど汗をかき、青い顔をして、髪を振り乱して駆け込んだのに。
ワタシは、誰かに助けを求めたい時は、死ぬ一歩手前くらいの状態でなければいけないと思っていた。
あんなに頑張って醜態を晒したというのに、お姉ちゃんはワタシを労わってくれない。
ワタシは身勝手にも、彼女に自分を慰めてほしいと思っていた。
そういった類のことをしてくれるものだと期待していた。
それなのに彼女ときたら、過呼吸のような息の仕方にも、真っ赤に血走った目にも興味は薄く、掃除はいいわ、とそれだけだ。
彼女からしたら、ただ日ごろ挨拶をかわすだけの隣人にトイレを貸しただけなのだ。
それが夜で、はじめてのことで、突然で、相手がものすごく動揺しているような体に見せていたとしても、どうでも良いことなのだ。
ワタシは、優しくされたらきっと。自分はそんなに憐れなんかじゃない、と跳ねのけてしまったに違いないのに。それでも何かもっと他に。宥めすかして、肩を抱いたりして、甘やかすような言葉や、嘲るような言葉をかけて欲しかった。
いっそ散々惨めになりたかったのに。
手のひらに付着した胃液の混じった唾液が手首を伝って行き、腐敗したような臭いが広がった。
あ、う、と言う自分の餌付く単音に、水音。音量は0に近いテレビの光。
お姉ちゃんはトイレに背中を向けている。服から覗く肩から首筋にかけてのラインが三日月のようだ。
ふ、う、と声を我慢しながらも耐え切れず、その事実に興奮した。
終るまでの間、きっとずっと掃除をしていない換気扇が、カタ、カタ、カタ、と同じ間隔でリズムを刻んで鳴っているのが遠く聞こえた。
お姉ちゃんは、いつでもおいで、と言った。
相も変わらずどうでもよさそうな調子で。
それからワタシは彼女の家にちょくちょくお邪魔するようになったのだ。
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