終焉

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***  学くんが住んでいるマンションの傍にある公園の中を、ひとりきりで歩いた。見覚えのある花が目に留まり、花壇の前にしゃがみ込む。学くんからもらったドライフラワーがこの花だとわかり、手前に咲いている花にそっと触れてみた。 (同じ花だと思ったのに、よく見ると花びらの先の色が、もらった花と少しだけ違う……)  そのことに気がついて花壇を眺めてみたけれど、ドライフラワーと同じ花はひとつもなかった。  学くんがどうしてあの花を私にプレゼントしてくれたのか、理由を聞かずに受け取ってしまったため、疑問に残るひとつだった。 「それを聞く暇がないという……」  あのコの傷害事件は、サラッとニュースで流れた。夫によるドメスティック・バイオレンスの末路の犯行として。世間があのコに同情しているところに、真実を晒す雑誌が売られた。  まさに、タイミングを計ったような感じだった。事件が放送されたのと一緒に出すんじゃなく、あのコが世間からの同情を集めた絶好のときに販売することで、人々の注目を一斉に浴びる形になる。  実名報道している関係で、雑誌にもそのまま名前が載せられ、ワイドショーにも取り上げられた。  あのコに関わった人物は、軒並みテレビ局のレポーターに追いかけられることとなり、私は学くんのマンションに雲隠れする羽目になった。ちなみに学くんは、セーブしていた仕事を再開したことにより、絶賛こき使われ中。  尾行の仕事で全然帰ってこないので、遠慮なくマンションを使わせてもらってる。  驚いたのは、被害者にあたる恋人や奥さんだけじゃなく、あのコと関係のあった男性がワイドショーに出ていたこと。 『はるちゃんを好きになったから彼女と別れて、結婚しようと思ったのに、俺ってばすぐに捨てられたんですよ。彼女じゃなく、はるちゃんを選んだのに、これって酷くないっすか?』  まるで自分が被害のように語る男性に、ワイドショーの出演者が毒舌で一刀両断するというパフォーマンスまで放映される始末。雑誌で使われた蜘蛛女という言葉もトレンドワードになり、お笑いのネタに使われたりと、一世を風靡した。 「すべてが終わったのに、どうして気分が晴れないんだろ……」  雑誌やワイドショーでふたりがとりあげられたことにより、ここぞとばかりに叩かれている現状を目にしているのは、本来ならもっとスカッとするはずだった。ざまぁ見ろって感じで。  それなのにものすごく冷めた自分があのコたちを見て、無感情を貫いてしまう。この感じはそう、流産したときの空っぽになったときによく似ている。  良平さんに堂々と嘘をつかれた状態で浮気されて、ストレスを抱えたまま体調不良中にあのコと逢ったことで、守っていたお腹の子を失って、なにもかもなくなってしまった、絶望の淵だったあのとき――。 (ああ、そうか。復讐をやり遂げたことで、私の中に渦巻いていた憎悪が昇華したんだな。なにも感じないくらいに綺麗になくなった)  その後のふたりがどんな人生を歩もうと、まったく興味はないし、知りたいとも思わない。 「美羽姉!」  花壇の花から顔をあげて、私に声をかけた幼なじみを見る。爽やかさを感じさせる笑顔を浮かべて、駆け寄ってくれた。 「学くん、帰ってたんだ?」  話しかけながら立ち上がると、学くんは私が見ていた花壇を眺める。どこか嬉しそうに見えるのは花壇を見た途端に、唇の端が上がったから。 「ついさっき帰ったばっかり。半休ついでに着替えを取りに帰ったのと、シャワーをしてきた。溜まってる洗濯物、お願いしていい?」 「洗濯物ね、いいよ。まかせて……」  露っぽいウェーブヘアが学くんの優しげなまなざしを彩っていて、太陽の光を浴びたことでキラキラしているのを目にした瞬間、ドキッとした。見慣れているハズの顔なのに、意識するたびに落ち着かなくなる。 (――学くんって、こんなに格好よかったっけ?) 「美羽姉、なにかあった? なんか元気ないみたいな感じ。もしかして、テレビ局のヤツらに追いかけられたとか……」  私の声の調子だけで、いつもと違うことを察することのできる有能さに、幼なじみはダテじゃないなと思わされた。 「学くんの秘密基地のおかげで、追いかけられることはないよ」  花壇から私に視線を移した学くんと、バッチリ目が合い、彼の口元が一瞬引きつってから声を出す。 「え、そ、うなんだ……」 「うん、私は元気だよ」  お互いになぜかぶわっと頬を赤らめて、すぐに視線を外した。告白したあとで、こうやってあらためて喋ると、この間のことを思い出してしまって、ドギマギしてしまう。 「……副編集長が教えてくれたことがあって」  学くんが妙な間のあとに、なぜかまくしたてるように喋る。多分、気を遣って話題を提供してくれたんだろう。 「なにを教えてくれたの?」 「その後の上條さんの容態。刺された傷は酷いものじゃなかったんだけど、神経を傷つけたとかで、左半身に麻痺が残る障害になったって。奥さんに理不尽な暴力を振るって、バチがあたったんだろうって副編集長が言ってたよ」 「へぇ、そう……」  ワイドショーを見ているときと変わらない無感情が、声になって表れる。 「美羽姉?」  リアクションの薄さに気づいた学くんは、腰を落として私の顔を覗き込む。 「学くんや一ノ瀬さん、副編集長さんに村田先輩や美佐子おばさんとお母さん。私の復讐に巻き込んでしまって、すごく申し訳なかったはずなのに、今はその後悔すらなくなっちゃった」 「そうか……」 「あの人たちのことをあんなに憎んでいたのに、それすらも消滅してね。あれだけ世間にこっぴどく叩かれている姿を見ることができて、ここぞとばかりに喜ばなきゃならないのに、冷めきってる私の姿は、協力してくれた学くんたちに、すごく悪い気がする」  自分の中にある感情を思いきって告げたら、細長い両腕が私の体を攫うように抱きしめる。 「いいじゃん、それで」 「だけど――」  シャワーを浴びたあとだからか、学くんの体から石けんの香りがした。それを吸い込むだけで、強ばっていた心が自然と癒されていく。私を抱きしめる両腕は強すぎず弱すぎずで、彼の優しさがそういう所作として表れているのがわかった。 「俺さ思うんだけど、誰かを憎む気持ちは、ものすごいエネルギーが必要なんじゃないかって。今の美羽姉はガス欠してるだけだよ。ずっと頑張ってたし」 「学くん……」  私の欲してる言葉を告げてくれる優しい彼に、またもや頼ってしまいたくなる。もっと強い人間でありたいのに。弱いままじゃ、またなにかあったときに、誰かに頼ってしまうことになるから。 「美羽姉の中が空っぽになってるのなら、俺が愛情で埋めてやる。それじゃあダメかな?」 「え?」  思わず頭を上げて、学くんを見た。頬だけじゃなく耳まで真っ赤に染めた彼の顔がそこにあって、顔を赤らめる理由がわからず、ポカンとしてしまう。
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