誘惑

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***  派遣社員として、ウチに転職してきた長谷川春菜が俺に興味を抱き、意味なく視線を注いだり、ときにはモーションをかけていることに気づいていた。俺が美羽と付き合っていることを知っているだろうに、それでもめげずに無意味な接触を図ろうとする彼女に、心底げんなりしたのを覚えてる。  モーションがあからさまになったのは美羽と結婚後、お昼を食べるために俺がひとりきりで会議室にいたとき。あえて所属している部署と離れた会議室にいたというのに、春菜はわざわざ俺を捜しだして、外で購入したコーヒーを手渡しながら、厄介とは思えないお願い事をした。  間違って多く作ったときに食べてほしいと言ったクセに、弁当を作ったというラインが毎日送られてくる。そのラインのメッセージを読むだけで、妙な不安が沸き起こった。  自宅でひとりきりの美羽に、誰かが手を出す可能性――悪阻で具合が悪いというのは嘘で、実際はどこかの男と逢っているかもしれない。なんてありえないことを考慮しつつ、牽制するように美羽にメッセージを送る。 (家にいます)(大丈夫)と打ち込まれた内容を何度も確認しているのにもかかわらず、1時間おきに在宅の確認をしてしまう俺は、相当疲れているのかもしれない。それくらい長谷川春菜から押しつけられる好意に対して、断れなくなっていた。 「上條課長、今夜春菜のウチに来てください。ポトフをたくさん作りすぎちゃって」  いつものように彼女から弁当を受け取った会議室で、ついに誘われてしまった。 「悪い。今日は美羽に買い物を頼まれているから」  20歳を超えた女が自分の名前を口にしたことに、ものすごい違和感を覚える。だからこそ、慌てて取って付けたような理由を口にしたというのに。 「それなら私もお手伝いしたいです。美羽先輩のお役に立つために、お買い物に付き合いますよ!」 「でも……」 「お買い物しなきゃいけないということは、晩ご飯は用意できないってことですよね? だったら私の家に寄って、ポトフをお持ち帰りしたら、美羽先輩が楽できるじゃないですか」  畳みかける彼女の口撃をやり過ごす術を持っていない俺は、そのあと適当な買い物をして、春菜の家にお邪魔することになったのだった。
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