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ドアスコープを覗きながら玄関で靴箱の開閉や、そこら辺にあるもの使って手当り次第、騒々しい音を出した。後ろ髪を引かれるように帰るアバズレを確認後、一旦切った一ノ瀬さんのスマホにリダイヤルして耳を当てる。
「一ノ瀬さん、やっと帰りました」
今回はアバズレが登場する前から、スマホをずっと通話中にして、一ノ瀬さんに直接会話を聞いてもらった。もちろん、美羽姉に聞かせるボイレコも起動している。
「白鳥、お疲れ様。おまえ、今回はヤバかったぞ。何度か素が出てた」
一ノ瀬さんに指摘されなくても、自分がそのことを一番わかってる。
「すみません……」
「あの女は、人の顔色を窺うのがうまいんだから、常に白鳥翼を演じ続けなければ駄目だ。どんなに腹の立つことを言われても、幼なじみのことを考えて耐えぬけ」
「わかりました、肝に銘じます」
しょんぼりしながら反省したら、スマホのむこう側でクスクス笑いだした。
「しかしあからさまだったな。白鳥に彼女がいるって知ったとき、女の声がガラッと変わった。まさに別人になったっていう感じか」
「人の大事なものを盗るのが、心底お好きなんでしょうね」
声だけじゃなく、俺を見る目が明らかに変わったのがわかった。ターゲットに狙いを定める、血に飢えた肉食獣と表現したらいいのかも。
「自分が人妻だっていうことを、絶対忘れてたぞ」
「新婚なのにセックスレスというのも相まって、今すぐヤられるんじゃないかという危機感を、ひしひしと感じました」
「どんだけだよ、それは」
やべぇ、腹痛いなんて言いながら、声をたてて笑いまくる。
「一ノ瀬さん、笑い事じゃないですって。スマホ越しでしたけど、一ノ瀬さんがいてくれて、本当によかったです」
俺が閉めかけた扉に、足を挟み込むという力技を目の当たりにして、背筋がゾッとした。しかもモノ欲しげな顔で見上げられて、話したいと言われたときのアバズレの顔は、マジでホラー映画に出てもおかしくないくらいに、恐ろしい面構えだった。
迷うことなく通話中だった一ノ瀬さんにヘルプしたら、空気を察知してくれたおかげで、今回はなんとか事なきを得ることができたのだが。
「多分アバズレは、旦那さんの許可をとらずに、俺の家に来ると思います」
「ああ、新婚なのにセックスレス。まともな会話もしなさそうだしな。向こうからの返事は早くくるだろう。『翼くんOKだったよ。春菜はいつでもお邪魔できるから、翼くんの都合に合わせるね♡』なぁんてラインが飛んでくる」
「一ノ瀬さん、声真似が下手すぎて気持ち悪い……」
「とりあえずだ、3日後に呼んでやれ。無駄に日づけを長引かせて、白鳥の集中力が続かなくなることが一番怖いからな。それに――」
「はい?」
「時間が経てば経つだけ、向こうは腹を空かせてやって来ることになる。白鳥の身が危ない。それだけは阻止しなきゃなんねぇ、童貞喪失の危機だからさ」
なんていうとても恐ろしいことを口にされたせいで、当日アバズレに逢うのがものすごく怖くなってしまったのだった。
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