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村田先輩の誘いで、元いた会社の近くで仕事をすることになった。久しぶりの外の世界は刺激があり、自分を頼りにされることにやりがいを感じることができたりと、キビキビ仕事に勤しめる。
自宅で鬱々と良平さんのことをまとめていたときと比べて、場所が違うことと、ほかの職員さんとの会話があるだけでも、自身のメンタルが向上しているのがわかった。
そんな充実した毎日を送っていたけど、今日は午後からお休みをいただいた。あのコが学くんの住むマンションに、顔を出す日だから。
良平さんたちが暮らすマンションから、学くんが住んでるマンションまでの経路を考えて、うまく隠れることのできる場所を見つけた。そこに身を潜めて、今か今かと待ちわびていると、鼻歌まじりでスキップするように歩くあのコが、右から左へと横切って行く。
「くっ……」
ふつふつと沸きあがってくる怒りを、奥歯を噛みしめてやり過ごした。私の視線の先で学くんが扉から顔を出し、あのコが嬉しそうに笑いながら中に入っていく。
複雑な気持ちを抱えたそのときだった。誰かに肩を叩かれて「ひゃっ!」と変な声をあげてしまった。
「ごめんごめん、驚かせちゃったね。幼なじみちゃん」
良平さんの背格好に似た男性が、背後で困った顔をしながら私を見下ろす。
「あ、の?」
「紹介が遅れたね、一ノ瀬です」
「学くんの同僚のカメラマン……」
百発百中の人だと咄嗟に思い出したので、じりじり後退りしてしまった。
「白鳥のヤツ、俺をどんな扱いで説明したんだ……」
さらに困った表情で頭を掻く一ノ瀬さんに、慌てて頭をさげた。
「す、すすすみません。ビックリしただけでして、けして変な意味はなくて」
「うん?」
「このたびは一ノ瀬さんには、本当にいろいろお世話になりっぱなしなのに、ずっと挨拶できなくてそれで」
「ストップ。とりあえず立ち話もなんだから、そこにある車に乗って、白鳥の家の中の状況を確認しない?」
マンション前の駐車場に、黒いワンボックスカーが停められていて、一ノ瀬さんはそれに指を差した。家の状況がわかるというセリフで迷うことなく、一緒に車に乗り込む。
一ノ瀬さんは運転席に、私は後部座席に座らせてもらった。運転席と助手席の間にパソコンが置かれていて、既に室内が映し出されている。
「幼なじみちゃん、俺がイメージしていた感じと全然違っていたから、声をかけるのに躊躇した」
モニターを見ながら、一ノ瀬さんは呟く。
「私のイメージですか?」
「そう。白鳥の好意をうまいこと利用するために男をたらし込む、復讐に燃える女鬼のイメージだった」
人差し指をぴんとたてて語られたのは、傍から感じることのできる私の印象だった。
「そうじゃなかったんですか?」
「そんな女なら、そもそも白鳥が好きになるわけないんだよな。か弱そうに見えるけど、心に芯の強さがある感じで――」
顎に手を当てながら、まじまじと私を見つめる一ノ瀬さん。
「白鳥の抱きしめたいってセリフ、あれか。正常位ってことだったんだな」
「あの、いったいなんの話を?」
「幼なじみちゃんの笑顔を、いつも傍で見ていたいっていう気持ちがあるから、白鳥が抱きしめたいんだそうだよ」
(――それと正常位って言葉が、まったく結びつかないんだけど?)
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