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学くんの苛立った様子で、タッパーの中身が気になりつつも、あのコの行動を窺うと、クローゼットの上から大きい布状のものが落ちてきて、タイミングよく行く手を阻んだ。
『あ~っ! これって、春菜が公園で翼くんと初めて逢ったときに着てたシャツ♡』
「白鳥、おまえどんな片付け方をしたら、あれが落ちてくるんだ?」
「えっと、お気に入りだったので、慌てて隠した……みたいな感じです」
(あのシャツは学くんと一緒に買い物に行ったときに、似合いそうだなって目に留まって、引き寄せられるように私が手にとったものじゃなかったかな)
感嘆の声をあげたあのコがそれを手に取り、シャツに顔を埋める。隠しカメラの位置の関係であのコの背中しか映せない状況は、なにをしてるのかまでは、ハッキリわからなかった。
「白鳥の匂いを思いっきり嗅いで、体をブルブル震わせるって、どんだけだよ……」
呆れた声をあげた一ノ瀬さん。私も同じことを思ったし、気持ち悪さも感じた。
『あぁん、翼くんもっと!』
変な声を出したあのコに、三人揃ってギョッとした。震えていた体がクローゼットの前で仰向けに倒れ込んだため、なにをしてるのかがハッキリわかってしまい、それのせいで車内に妙な空気が流れていく――。
「白鳥、おまえのシャツを使って、いたしてるぞ……」
「そんなことを言われても……」
困った顔した学くんが物言いたげに、横にいる私を見る。
「わっ、私もこんなことになるとはまったく想像できなかったし、したことないから、その……」
しどろもどろに答えた私を、学くんの綺麗な瞳が見逃さないように捉える。
「美羽姉、したことないんだ」
「そんな恥ずかしいこと、私に聞かないで……」
そう言ってる時点で、嘘をついたのがバレバレだと思ったのに、学くんから注がれるまなざしに陰りができた。
三人それぞれ微妙な雰囲気になってるところに、あのコの声が車内に響く。
『もぉダメっ、翼くんのでイっちゃうぅぅう!』
顔に学くんのシャツを被ったまま、スカートの中に手を突っ込み、腰を激しく振って派手にイったらしい姿に、一ノ瀬さんがボソッと呟いた。
「白鳥、時間だぞ……」
「もう?」
「コンビニの往復時間と会計する時間、多めに見積もって今くらい」
「わかりました」
掴んでいた私の指先を放し、足元に置かれていたコンビニの袋を手にして、車のドアに手をかける学くんのTシャツの裾を迷うことなく掴んで、強く引っ張った。
「私も行く」
「えっ?」
「学くんの部屋でなにをしてるのって、あのコに文句を言う」
圧のかかった口調で言い放った私を見る学くんの視線は、驚きに満ち溢れていた。
「幼なじみちゃん、それは絶対にダメだ。行かせないよ」
一ノ瀬さんの言い方はとても優しいものなのに、表現できない強さが言葉に滲み出ていて、私の行動を見事にとめる。学くんのTシャツを掴む手の力が、思わず抜けかけた。
「だって、あんなあとの部屋にふたりきりでいるなんて、どう考えても危険すぎます」
私を行かせないように一ノ瀬さんにとめられたけれど、どうしても学くんを守りたかった。
「君が乗り込んで行って、女を怒鳴りつけたりしたら、あの部屋にカメラをしかけていたことがバレてしまう。それでもいいのかい?」
「でも……」
私が守らなきゃいけないっていう使命感があるのに、突きつけられた正論をどうしても論破できない。悔しさに耐えるように唇を噛む私に、一ノ瀬さんがわかりやすく現実を教えてくれる。
「毒も使い方次第で薬になるように、悪いことだって別の使い方をすることで、善にすることができる。それにすべての証拠が揃っていない今は、相手に喧嘩を売るタイミングじゃあない。悪いが我慢してくれ」
説得力に満ち溢れた一ノ瀬さんのセリフで、掴んでいた学くんのTシャツを力なく手放した。引っ込みかけた私の手を、大きな手が掴んでぐいっと引っ張る。
「えっ?」
柔らかい唇が、てのひらに押しつけられた。学くんの唇の感触と一緒に、吐息がかかった瞬間、今まで感じていた焦燥感や苛立った気持ちが溶けてなくなっていく。
「美羽姉のために、俺はうまくやる。だから見ていて」
「学くん……」
「俺が頼れる男だって証明してみせる」
やんわり手放されたてのひらを握りしめて、静かに頷いた。自身の不甲斐なさで泣かないようにしなきゃと、必死に笑いながら学くんを見送る。
細身の背中が遠くなっていくのを、いつまでも眺めていると、一ノ瀬さんが私の肩を叩いて「大丈夫だ」と言ってくれた。
「白鳥だからこそ、あの女に響く言葉を伝授してある。アレを使われたら、誰もアイツに手を出すことができない、そりゃあすごい言葉さ」
学くんがマンションに到着するまでの間、モニターに映ったあのコはクローゼットを閉めたり、身支度を整えたりと、バタバタ慌ただしそうだった。
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