第一章 公正中立Jの妻の条件

1/28
前へ
/128ページ
次へ

第一章 公正中立Jの妻の条件

 私の中の彼のイメージは、いつも穏やかで冷静で真面目そのもの。まさに品行方正を体現したような人で、それは出会った頃から変わらない。  けれど今、私を見下ろしている彼の瞳はかつてないほどに揺らめいて、熱のこもった視線に息さえ止めそうになる。まるで知らない人みたい。 「千紗(ちさ)」  低い声で名前を呼ばれ、心臓が跳ね上がる。彼の長い指が私の頬を撫で、顔の輪郭に沿わされながらゆるやかに首筋に這わされる。  瞬間的に背中がぞくりと震え、鳥肌が立った。初めての感覚になんだか泣きそうだ。  でもここで涙を見せたら、大知(だいち)さんはきっと止める気がする。優しくて、いつも私を思いやってくれるから。  ぎゅっと目をつむって堪えていると、瞼にそっと口づけられた。驚きで目を開けるとすぐそばに彼の顔があり、至近距離で視線が交わる。 「ちゃんと俺を見て」  そう告げる大知さんの表情はどこか切なげで、まずいことをしたのかと不安になる。  どうしよう。どうしたらいいんだろう。  経験のない自分が恨めしい。つい目が泳ぐ。  そのとき唇が重ねられ、私の意識はすべて彼にもっていかれた。 「実感してほしいんだ。誰に抱かれるのか……誰のものなのか。俺が結婚したのは千紗だよ」  知っている、わかっている。本当はあなたが私と結婚する予定じゃなかったのも。  訴えかけてくるような真剣な声色に、我慢している涙が視界を滲ませていく。彼の願いを聞き入れられず、これではますます失望されてしまう。  大知さんからうかがうように顔を近づけられ、私は目を閉じて彼の口づけを受け入れた。どこまでも深く、蕩けそうなキスだ。  その間に、大きい手のひらが私の肌を撫で、甘い痺れを引き起こす。 「んっ……んん」 「千紗」  熱い吐息まじりに囁かれた名前は、他のだれでもない私のものだ。 『千っていう字は人が前に進む様子を表したとも言われるんだ。数を表すだけじゃない』  そんなふうに言ってくれたのは彼が初めてだった。言った本人はたぶん覚えていないだろうけれど。  大好きな人に初めて抱かれるのに、嬉しさよりもやるせなさで胸が詰まりそうだった。
/128ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5024人が本棚に入れています
本棚に追加