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開始前に一悶着あったけど、その後は何事も無く始まったマラソン大会。
最初は男子がスタートして、しばらくした後に女子が走り出す。
あたしは開始直後から飛ばしていって、順位は現在トップ。学校を出て、町中をどんどん走って行く。
後続はだいぶ引き離したし、さっき一緒に走ろうって言ってきた二人の女子の姿もない。
あの子達には、意地悪な事言っちゃった。でもどうしても、手を抜きたくはなかったの。
だけどペースを守りながら走っていたけど、不意に後ろに気配を感じた。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。
嘘、誰かが追い付いてきたの? そう思った瞬間、並ぶようにすぐ横に、ぬっと頭が現れた。
「ふふふ、やっと追い付いた」
「え、あんたは?」
それは今朝一緒に走ろうって声をかけてきた、セミロングの女子だった。
この子、あたしについて来れてる⁉
「ありがとう、一緒に走ってくれて。嬉しいなあ、一人で走るのは寂しかったの」
その言葉に……いや、声をかけるという行為にカチンときた。
ほほーう、マラソン中にお喋りとは余裕ですなあ。喋ったらその分息が乱れて、ペースを保てなくなるってのに。
あたしは負けてたまるかとペースを上げたけど、彼女はニコニコ笑いながら、すぐ横にピッタリとくっついてくる。
嘘でしょ、かなり飛ばしているのに、なんでこの子は笑っていられるの?
「私ね、ずっと誰かと一緒に走りたかったの。だって友達はみんな、走るのが苦手な私を置いて、先に行っちゃうんだもの」
こっちは真剣に走っているってのに、相変わらず暢気に話しかけてくる彼女。だけどふと、その言葉に違和感を覚える。
走るのが苦手って、アンタ今先頭を走ってるでしょうが。
「一緒に走ってあげるって言ってくれた友達もいたのに、酷いんだよ。約束を破ってどんどんペースを上げて、私を置いていくんだから。ホント、ヒドイヨネ……」
明るかった声がひどく沈んでいって。同時に、ゾクゾクした寒気が背筋を走った。
「私はみんなに追い付こうと、必至で走ったの。前を走る人の背中だけを見て、追いかけて。だから、周りが見えていなかったの。走って来るトラックに気付かなくて、道路に飛び出したあたしは、そのまま……。ねえ、アナタは一緒に走ってくれるよね。約束シタモノネ。ウラギラナイヨネ。ズットズット、イッショダヨネ。ハハハハハハハッ!」
――――ッ⁉ こいつ、ヤバい!
笑っているはずなのに、その顔からは全く精気が感じられず、まるでホラー映画に出て来る幽霊のみたいに、うつろな目をしていた。……そうだ、幽霊って言えば!
思い出したのは、前に陸上部の先輩から聞いたある出来事。
確か一昨年のマラソン大会で、トラックにはねられた女の子がいて。そして去年のマラソン大会では、その子の霊が目撃されたとか。
まさか、この子がそうだって言うの? あんなの、ただの冗談だと思っていたけど。
「イッショニハシロ、イッショニハシロ、コレカラズット、イッショニハシロー!」
ひぃぃっ!
光の無い目でケタケタ笑う彼女に、思わず恐怖する。
こんなのと一緒に走るなんて冗談じゃない。だけどいくら飛ばしても彼女はアタシのすぐ横をピッタリとくっついてきて、離れてはくれなかった。
ど、どうしよう。このまま一緒に走ってたら、何をされるか分からない。誰か、誰か助けて。
「そこまでです!」
不意に前から聞こえてきた、凛とした声。
見ると道路の先には、今朝声をかけてきたもう一人。ツインテールの女の子が立っていた。
ひょっとして、あの子も仲間? あたしを、挟み撃ちにするつもり⁉
だけどツインテールの子はあたしに目もくれず、隣を走る彼女にスッと詰め寄った。
「浄!」
精気の無い彼女の胸に手を当てて何か叫んだかと思うと、手から光が放たれて。それが段々と大きくなっていく。
な、ななな何これっ⁉
「ア、アア……」
「あなたはもう十分走りました。苦手なマラソンを頑張り続けて、立派でしたよ。だからもう、ゴールしてもいいんです。きっと皆、笑顔で迎えてくれますから」
放たれていた光はだんだんと小さくなっていき、隣を走っていたセミロングの彼女の輪郭が、徐々にぼやけていく。
そして光が完全に消えた時、もうそこに幽霊の姿はなく。ツインテールの女の子と、腰を抜かして道路にペタンと座り込んだあたしだけが残されていた。
「い、今のは何だったの? それに、あんたはいったい……」
「私は一年四組の水原知世。ただの祓い屋です」
「は、祓い屋?」
「はい。お気づきかもしれませんけど、さっきの彼女は人間ではありません。二年前のマラソン大会で事故に遭い、以来ずっとゴールできないまま一人で走り続けてた、孤独な魂です」
やっぱり、そうだったんだ。祓い屋だという水原さんの事も気になったけど、それ以上に胸を突いたのは、ずっと独りで走り続けていたという彼女のこと。
二年間ゴールできずに一人ぼっちだった彼女は、いったいどんな気持ちだっただろう。
一緒に走ろうって声をかけてきたのは、一人じゃ寂しいから? もしそうだったら、あんな意地悪言わなかったのに。
「あたし、余計な事したのかなあ」
「知らなかったのですから、仕方がないですよ。けど彼女も、怒っていないと思います。きっと今ごろ病院で目を醒まして、ゴールできた喜びを家族と分かち合っているはずですよ」
だといいけど……って、へ? 病院って。
「ちょっと待って。あの子幽霊だったんじゃ? 成仏して、あの世に行ったんじゃないの?」
「実は彼女、生霊だったんですよ。生きているのに魂が体から離れた状態をさします。もっとも彼女は自分が亡くなっているものと、勘違いしていたみたいですけど」
「体から離れるって、それって大丈夫なの?」
「大丈夫ではありませんね。そのせいで本体は目を醒ますことなく、寝たきり状態でした。ですが一年のうち今日だけ、マラソン大会の時だけ姿を現すと言う情報をつかんだので、祓い屋である私が来たのです。ちゃんと体に帰しましたから、もう安心ですよ」
水原さんの言うことが全部わかったわけじゃないけど、生きてるってことでいいのね。だったら今度、お見舞いに行こうかな。怖い思いはしたけど、一緒に走った仲だもんね。
そんなことを思いながら、立ち上がって汚れを払っていると。
「こらー、水原ー! お前何をやってるかー!」
見れば後ろからは他のランナー達が走ってきていて。それに何故か体育の先生まで、鬼の形相でこっちに駆けて来てる。けどランナーはともかく、なんで先生まで?
そして水原さんの方を見ると、こっちはひどく青ざめた顔をしていた。
「先生怒っているみたいだけど、どうしたの?」
「それは……。し、椎名さんが悪いんですよ。霊に目をつけられたって分かったから守ろうとしたのに、一人で先に行っちゃうから」
えっ、水原さんが一緒に走ろうって言ったのって、あたしを守るためだったの?
「私、走るの苦手だからどんどん離されて。仕方なく、アレに乗って追いかけてきたんです」
水原さんの指差す先にあったのは、何と自転車だった。
ちょ、ちょっと待って。つまりあたしを助けるために自転車に乗って駆けつけてくれたけど、そのせいで先生が怒ってるってこと?
「だから一緒に走ろうって言ったのにー!」
さっき霊を祓っていた時の力強さが嘘みたいに、涙目になる水原さん。だけど先生は許してくれなくて、彼女はいったん学校まで戻され、一から走り直すことになっちゃった。
「あの、先生。私さっき全力で自転車を漕いで、除霊もしたばかりでへとへとなんですけど」
「何をわけのわからんことを言ってるんだ! いいから走らんと単位をやらんぞ!」
「そんなー!」
問答無用で連行されて行く水原さん。
えーと……ゴメン! 事情を知っていたら、さすがにペース落として一緒に走ってたわ。
だけど今さらどうしようもなく、ただ見送るしかできずに。
その後あたしはマラソン大会で優勝することはできたけど、最後に虫の息になりながらゴールする水原さんを見ると、とても喜ぶ気にはなれなかった。
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