藤吉誠子の本願

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 その矢先、あんなことが起きて私は身も心も、暗闇へと突き落とされてしまったのです。そうです、霧島に椅子を蹴られ、子供が私のもとからいなくなってしまい、同時に「しばらくは妊娠しづらい身体になるだろうし、メンタルシックで投薬中であれば妊娠自体を考え直した方がいい」という医師からのアドバイスを聞きました。つまり私は、場合によっては健康体であっても子供が産めない身体のままでいることになってしまいます。彼もショックを隠しきれず、それがだんだんと波紋を生むようにして関係がギクシャクしてしまい、あちらのお母様からも「責任を取る必要は無くなったのだから」と別れてほしいとほのめかすような言葉をかけられました。  互いの心にある歯車が合わなくなり、彼は私を腫れ物に触るようによそよそしく扱い、私はそんな彼の態度を見て、自分を責めるようになり、気がついたらもう必要ないはずなのに子供服や靴を大量に買ってきて、日がないちにちそれらを眺めては、童謡や子守唄を歌うようになりました。部屋には手のひらに乗るほど小さな、薄緑色の、ちょうど茶道に使う棗みたいな円柱形の骨壷に入ったあの子の遺骨があったので、その周りに飾ってあげていたんです。  守ってあげられなかった、産んであげられなかった、せめてもの罪滅ぼしに。  彼はそんな私を見て、もう関係を続けることはできないと、はっきり口にしました。  私の方はすでに彼との関係を続けることより、この子といたいという気持ちで頭がいっぱいでしたから、遺骨と子供服や靴、それから自分の身の周りのものを片付け、実家へ戻り、彼との生活も、関係も全て終わらせました。入籍をする前でしたし、互いに書き換えなどの面倒な作業もなく、あっけないものだったと記憶しています。  実家に戻ってからしばらくして、権藤と霧島、あの二人がまだのうのうと威張り散らし、仕事もろくにせず給湯室や更衣室で喋ってばかりいる上に「藤吉は順序を間違えたんだからああなって当然」だとか「私たちが元に戻してやったんだから感謝すべき。気遣いがなっていないから、子供に嫌われたのよ」などと言いたい放題していると聞いて、私の中で何かが壊れてしまったのです。
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