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霧島によって椅子を蹴り倒され、その拍子に子供を失ったときも数日ほど入院していましたが、私はそこでも権藤と霧島の二人から逃げることができませんでした。搬送先を「敢えて」霧島の父親とコネクションがある病院にされてしまい、何度か私の様子を謝罪することや、心配することではなく「娯楽として嬲る、楽しむ」を目的に訪れていました。
よく生きてたわね、悪運が強いから頭にくるわ。
ここはパパの知り合いがやってる病院だから、出禁とか頼んでも無駄だよ。
傷口を見ようと部屋着を脱がそうとしたり、好き勝手する上に入院患者には縁起が悪いからと敬遠される鉢植えを「お見舞いだよ」とうすら笑いを浮かべた霧島から、差し出されたこともありました。妊婦にはタブーとされている、鬼灯の鉢植えでした。
奈々恵も見たと思います、母が「どうしてこんなものを」と怒りながら、鉢植えを持って帰る様子を。
あれは全部、霧島が権藤に頼まれて買ってきた、鬼灯の鉢植えです。
妊婦が口にすると、流産する危険性があると昔から言われているものをニヤニヤしながら持ってきて、私が泣きながら帰ってくれと追い返したり、母がお引き取りくださいと頼んでも、ずっと居座って、逃げようとしてもベッド周りのカーテンを閉められ、逃げることができませんでした。
入院中であっても関係なく、悲しみに打ちひしがれて弱っている者を追い詰めるやり方を、罪悪感なく行う態度を見て、退院後、私はある「決心」を抱いて過ごすことに決めました。
あいつらをどうにか、私と同じ目に、いやそれ以上悲惨な状況へと突き落としてやろうと。
そう決めたと同時に、あの子が、私の子供が遺骨になってもなお、語りかけてきてくれました。
お母さんに会いたかった、本当に会いたかった。
でも会えなかった、あいつらのせいで。
だからお手伝いする、お母さんといるなら、何も怖くないよ。
なんていい子だろうと、小さな小さな、円柱形の骨壷をぎゅっと抱きしめ、私は思い切り泣きました。
そして、覚悟を決めたのです。
この子と共に、あいつらから、何もかも奪ってやろうと。
きっと、全てが終わった時は、私もあの子もきっと、闇よりも深く冷たいところへと身体も魂付き落とされ、やがて消えてしまうかもしれません。しかしそれを承知の上で、私はこの道を選びました。
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