【第九話】特別な日をあなたと

7/8
前へ
/150ページ
次へ
「期待してたんだ?」 「違う! 結婚以前に私たちまだ……」  全力で否定しようとした矢先、呼んでもいないのに目の前にタクシーが止まった。  二人は思わずそのタクシーの方を見た。  すると、後部座席の窓が開き、中に居たのは上機嫌な笑みを浮かべた一条 菜知だった。 「やあ、二人とも! 偶然だね」 「一条さん、お久しぶりです」 「確かに少し久しぶりだね。今日はすごくおめかししてるんだね。何か特別な日だったのかな?」 「あ……、私の誕生日だったんです。奏がディナーに連れて行ってくれて……」 「ふぅん。奏、私には何も教えてくれなかったね?」  菜知はじとりと奏の方に視線を合わせた。 「知る必要があった?」 「勿論。知っていたらプレゼントを用意したのに! ごめんね、真琴。誕生日おめでとう。」 「いやいや、そんな……気になさらないでください」 「また日を改めて何か準備するよ。それじゃあ、またね。」  菜知がそう言うとタクシーの窓はゆっくりと閉じられてゆき、出発して行った。  窓が閉じる寸前の菜知の表情は、おもしろいものを見たような含み笑いをたずさえていた。  そろそろ一駅分歩いたところだったので、自分達もこのままタクシーに乗って帰ろうと奏が提案し、真琴もそれに従うことにした。  タクシーの中での二人は、終始無言の時間が続いた。  真琴は今後のことをぼんやりと考えながら、タクシーの窓から見える街並みを見つめていた。  いつの間にか人前でも近い距離を許していることに、自分の好意に彼はもう気づいているのだろうか。  この期に及んで素直になれず、彼頼りにしてしまっている自分に溜息をつきたくなるも、こんな素敵な日に暗い顔は見せたくない。  なるべく暗いことを考えないようにしようと目線を前に戻そうとすると、奏がこちらを見ていることに気がついた。  しかし奏は何かを発言するでもなく、そっと自分の手を真琴の頬に添わせた。  キスをされるのかと思ったけど、顔を近づけてくる様子もない。ただうっとりとした表情で、真琴の瞳を無言で見つめ続けていた。  どういうつもりかわからない奏の行動に頬がカッと熱くなるのを感じた。  いつまでこのままなのだろうと思って固まっていると、タクシーはあっという間に奏のマンション前に到着した。  奏は何事もなかったかのように会計を済ましてタクシーを降りるも、真琴の心臓はまだドキドキが止まらなかった。
/150ページ

最初のコメントを投稿しよう!

328人が本棚に入れています
本棚に追加