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【第九話】特別な日をあなたと
時刻は、夜の十一時五十八分。
真琴は時計をチラチラと気にしながら寝る準備を整えていた。確実に針は進んで時を刻んでいく。
あと数秒で日付が変わる。明日は八月一日。真琴の誕生日だ。
日付が変わるのと同時に部屋の扉からノック音がした。この家には真琴と奏しか居ないのだから、ノック音の相手は決まっている。
「何?」
「開けて、真琴」
扉越しではダメらしく、奏は扉を開けるよう申し出た。
真琴には相手の目的はわかっている。面倒だが扉の方へ歩み出し、扉を開くと、そこには奏が笑顔で立っていた。
「誕生日、おめでとう』
「……ありがと」
「今までで一番早くに言えた」
奏は上機嫌そうに言っているが、真琴は半分呆れ顔だった。
奏は真琴の誕生日には毎年祝いの言葉とプレゼントを送っていたし、それを出会ってからただの一度も欠かしたことはない。
奏は必ず直接会って伝えることにこだわっていたようで、メッセージアプリではあえて伝えてこない。
奏が上京して、真琴がまだ地元にいた時でさえ毎年律儀に帰ってきていた。
今までで一番早いタイミングだったのは学生時代、登校前に迎えに来て家の前で待ち伏せされていた時だったから、大幅に記録更新だ。
しかし、今日はもう体力の限界で、早く布団に潜り込んで横になりたいという気持ちでいっぱいだった。
明日は(正確にはもう今日だが)、ディナーの予約をしていると数日前に奏から聞かされていたので、スケジュールを万全に過ごすために、夜更かしをしたくない。
「祝ってくれるのは嬉しいんだけど、もう今日は眠いの。朝起きてからにしてくれない?」
「元々そのつもりだよ。どうしても一番早くに伝えたくて」
「……」
奏は本当に嬉しそうに、にこにこと笑顔を絶やさない。
自分のことでそんなに喜んでくれるなら自分も何かしてあげたいという気持ちが真琴の中に芽生えてしまう。
奏の腕を軽く掴み、目をじっと見つめた。
「ちょっと屈んで」
「ん?」
真琴の身長に合わせて、長身の奏が身を屈めた。
それでも顔の位置が少し高いところにあるので、真琴は背伸びをして、自ら唇を重ねた。
軽く触れるだけのキスを一度だけ。
「ありがとね。……おやすみ」
真琴は顔を少し赤らめ、視線を逸らす。
奏が少し驚いた表情をしていたのが見えたが、お構いなしに扉を閉じてがすかさず鍵を締める。
そのまま布団の方へ向かおうとした時、扉越しにまた声がした。
「おやすみ、また明日ね」
それにはあえて返事をせずに、布団の中に潜り込んで、部屋の灯りを暗くする。
そして深い夢の世界へ落ちていった。
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