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宇宙を知った人間は、決して前と同じ人間ではいられない。
──ラッセル・L・シュウェイカート──
いまどき和服を着て外を出歩いているのなんて、近所でウチの両親くらいだ。古風で過保護な両親の元に生まれてきてしまった私は、もう高校生だというのに、スマホも持たせてもらえていない。
「便利な道具は人をダメにする」
それが両親の口癖だった。時代に置いてかれてダメになってるのはお前らの方だろうが。両親と言い争いをする度に、そんな言葉を吞み込む。
おかげで私は、高校生活が始まって一年と数ヶ月経った今も、周囲に馴染めていない気がする。
友達はみんな優しいから、私の前では「アプリ」とか「ソシャゲ」とか、そういった単語を使わない話をしてくれている。そんな見え透いた気遣いが心苦しい。いつか友人たちに見捨てられるかもしれないという怯えにも似た懸念が、自分の中で日増しに大きくなっていく。
この便利な世界にひとりだけ、不便で不憫な私が存在していることが辛かった。
今日も授業が終わり、いつものように私が向かったのは、学校を出て少し歩いた先の狭い路地。そこに設置してあるボロボロの公衆電話だ。私以外にこれを使っている人間を見たことがない。この公衆電話で親の迎えを呼ぶ度に「お前らは車とか乗ってて良いのかよ」と心の底から思う。
一畳にも満たないボックス式の公衆電話に入り、テレホンカードを挿入口に押し込む。
「×××-××××-×××× ←超可愛いコの携帯」
「○○○-○○○○○○ ←友達募集中」
いつ書かれたのかもわからない掠れたラクガキ。ボックス内のそこかしこに書かれたそれが、その日は妙に気になった。
マッチングアプリとかいうのをやってる友達もいるし、私だってこれくらい試してみても良いだろう。どうせ繋がりっこない。でも、もしかしたら……好奇心と、両親への反抗も兼ねて、私は
「△△△-△△△△-△△△△ ←ヤバい」
と書かれた電話番号を押し、受話器から音が聴こえてくるのを待つ。
規則的な単音が数回続いたあと、プルルと聴き慣れた発信音がした。
まさか本当に繋がるなんて。途端に緊張してきた。背中に冷たい汗が伝う。
どうしよう、切ろうか……いや、ここで切ったら親への反抗も友人たちに近づくことも諦めることになる気がする。私は受話器を強く握りしめ。相手が電話に出るのを待った。
ブツ、と音がして、私はびくりと背筋を伸ばした。
「アー、アー。聴こえる!? おい同志たち、繋がったぞ!」
そんな声が聴こえた直後、受話器の向こうから小さな歓声が上がった。どうやら向こうには何人かいるらしい。しかしその声は一様に、エフェクトをかけて無理やりオクターブを上げたような、変に高い声をしている。
「あの……もしもし? 公衆電話にこの番号が書いてあったからかけてみたんだけど……」
私がそう言うと、向こうは興奮冷めやらぬといった様子で応えた。
「この番号にかけてくれたこと、まず礼を言おう。早速だが、お前の名前を教えてくれ」
「名前……私は小日向彼方。高校二年生。あなた、いや、あなたたちは?」
「ではミス・カナタ、説明しよう。我々はアンドロメダ座エス星に住む者たちだ。お前の立場から言えば我々は宇宙人、または異星人ということになる」
「はぁ? 嘘をつくな」
「マジだが? そう頭ごなしに否定されても困るんだが?」
「その喋り方やめろ。大体、あなた達が本当に異星人なら、なんで言葉が通じ合ってるわけ?」
「こちらで翻訳機を介しているからだ。我々の言語はお前の国の言語に変わってお前の耳に届けられる、逆もまた然り」
「ぜっっったい嘘。それっぽいこと言っときゃ信じると思ってるんでしょ、騙されないから」
「そうか、では公衆電話をよく観察してみろ」
そう言われて私は受話器を耳に押し当てたまま公衆電話内をぐるりと見たが、これといって変わり映えするものはない。
「なんもないけど?」
「お前がさきほど開けたガラス製の扉だ。そこに直径三ミリ程の穴が空いているだろう、上の方だ」
「最初からそう言えよ……うーん……あっ! ほんとだ、あった」
「それは我々が今いる場所から放った超貫通型のレーザーによって空けられた穴だ。そのレーザーで我々の通信番号を刻印した」
「ええと……あんた達が今いる場所ってどこ?」
「我々は宇宙船に搭乗し、エス星の周りを旋回している」
「そのエス星から地球ってどれくらい?」
「二四七万光年だ。ちなみにレーザーの射程は250万光年」
「遠すぎてピンと来なさがハンパじゃないんだけど」
しかし言われてみると、例のレーザーで刻まれたらしい番号は、確かに穴の対角線上に記されていて、他のラクガキよりも真新しく、軽く指でこすっても消えることはなかった。冗談にしては手が込み過ぎている。
「信じて頂けたかな?」
「信じない。でもその冗談には乗ってあげる。あんた達、悪そうな人ではないっぽいしね」
「そうか。信じてもらえないのは残念だが、交信を断たれるよりはマシだろう。さて次は根本的な質問だ。お前はなぜここにやって来た? お前の星の若者は公衆電話よりも遥かに発達した文明の利器を皆所持しているはずだが」
私はムッとして答える。
「私は例外なの! 親が古風で口うるさくて面倒くさい二人だから、その文明の利器とやらを持たせてもらってないわけ、おわかり?」
「驚いたな。我々の星では文明の発達に抗う者は極刑に値するというのに」
「あんたらの星に移住したいわ。じゃあこっちも根本的な質問ね。なんであんたらはこんなとこに番号を書いたの?」
「それは、いわゆる救難信号だ。我々の星は他のどの星よりも文明が発達している。故にその文明を奪おうとする別の星の連中と現在戦争中で、劣勢を強いられているのだ。なので我々が宇宙船に搭乗し、中立の立場にいる様々な星に様々な方法で救難信号を送っている。しかし気づいてくれたのはお前が初めてだ、ミス・カナタ。我々の正式名称はアンドロメダ座エス星第三迎撃部隊。そして我々の任務は、敵であるエム星の懐柔、もしくは撃破」
「……話がなげぇよ! こっちは話せる時間が限られてんだから手っ取り早く説明して!」
「要するに、助けてくれ」
「私にどうしろっての……」
「お前の星の、一番使えそうな文明の利器をくれ。その公衆電話と我々の宇宙船を繋ぐワープホールが設けてある。お前がそこに何かを置いて立ち去れば、こちらでそのワープホールを起動させ、我々の手元にその利器が送信される仕組みになっている」
「さっきも言ったけど、その任務に私は人選ミスだよ。文明の利器なんて、何にも持ってないもん!」
「頼む、ミス・カナタ。今、我々の星を救うことができるのは、お前だけなんだ」
その言葉にハッとした。
日頃から、スマホがないと何もできないと両親に喚いていた私が今、遥か遠く、見ず知らずの星の命運を握っている。時代遅れな私にしか受信できないエスオーエス。そう考えると、このまま見過ごすわけにはいかなかった。
最先端の機器を持つことよりずっと重大な任務を課せられた私は、ダメ元でバッグを漁る。中に入っているのは、ノートと教科書とペン。案の定、役に立ちそうな物はない──。
いや待てよ、さっきここへ来る前にコンビニで買ったじゃがりこ(サラダ味)がある。これで良いかな……良いよね、良いやこれで。どうせ冗談なんだし。
「あった、これ! この星の文明の利器! 名前はじゃがりこ! あんたの星にはないでしょ! これあげ……」
る。と言い切る前に、穴だらけのテレホンカードが電話から吐き出されて、私たちの交信は遮断された。
私はじゃがりこを電話の傍に置いて、家まで歩いて帰った。どうして迎えを呼ばなかったのかと、親にこっぴどく叱られた。
次の日、私が昨日と同じ公衆電話に行くと、じゃがりこは跡形もなく消え去っていた。
おおかたかくれんぼでもしてた近所の子供が見つけて、これ幸いとばかりに持ち帰ったのだろう。そう思うことにした。
下ろしたてのテレホンカードを挿入口に押し込み、今日こそ家に電話をかけようとする。
「△△△-△△△△-△△△△ ←ヤバい」
どうしても目に入ってくる文字列。
クソ、こんなふざけた文章の誘惑に二度も負ける自分が情けない。
私は自称アンドロメダ座エス星第三迎撃部隊の皆さんと、二度目の交信を行う手順を踏んでしまった。
「うんめぇえええええええええ!」
開口一番、耳をつんざく声が受話器から聴こえてきて私は飛び上がった。
「うるさっ! 受話器にちけーんだよバカ! 脅かすな!」
「すまない、お前がくれたじゃがりことかいう食べ物が余りにも美味すぎたものでな」
よくよく聴くと、奥の方では「俺のだぞ!」「俺にも一本よこせ!」「卍△◎∋§〜^」などという喧騒も聴こえる。
多分最後の言葉は声が遠過ぎて翻訳機に拾ってもらえなかったのだろう。
「そんなに美味しかった? じゃがりこ」
「ああ、言葉では言い表せない美味さだった。後にも先にも我々はあんなに美味いものを食べたことがない。お前の星は食の文明が発達しているのだな」
「そうなのかな……」
「なんにせよ、このじゃがりこという文明の利器を我々の力で複製し、生産すればエム星の連中も懐柔できることだろう」
「ほんとかよ……」
「ああ、お前のおかげで休戦に持ち込むことができるはずだ。礼を言わせてくれ、ありがとう」
「いえいえ……」
「お前は自信を持っていい。この宇宙で一番文明の発達した我々を救ったのだから」
「そりゃどーも、じゃあ今日はこのへんで切るね。親呼ばなきゃいけないし」
「わかった。本当に恩に着る」
「はいはい。私もあんたらの星の平和を願ってるよ」
ガチャンと受話器を置いた後、もう一度テレカを挿し込み、家に連絡を入れる。親の車が私の前に停車するまでの間、私は自称異星人の言葉を反芻し、心を躍らせていた。
翌日から中間試験が始まった。いつもより早く帰れるので、迎えを呼ぶ必要はない。必然的にあの公衆電話に入ることもなく、私は帰り道のコンビニでじゃがりこを買ってから家に帰った。
その日の晩。時計の短針は11と12の間を指していた。私は二階の自室でじゃがりこを食べながら、翌日の試験範囲の復習をしていた。
付けっ放しにしたテレビからは、売れなさそうなアイドルがライブか何かの告知を行なっている。その中の一人が「あたしUFO見たことあるんですよぉ」などと無邪気を気取った声で話している。
そろそろ寝ようかな、そう思ってふと窓に目をやると、カーテンの隙間から妙な光が漏れていた。不思議に思い、両手でカーテンを開けた。
そこには青白い輝きを放つ巨大な円盤が、私の部屋の窓にぴったりとくっついていた。
「なにこれえ!?」
思わず窓を開けた瞬間、私の前髪が一本残らず全部上に持ち上がった。物凄い風圧。さきほどまで机の上にあったプリントは全て、窓とは逆の壁にすっ飛んでいった。
私が窓を開けたのを見計らうように、円盤の一部が開き、中から細長い人間のようなものが二十人ほど降りてきた。しかもそのままぞろぞろと、窓から私の部屋に入ってくるではないか。
「せっま! おい! ちょっと! 狭い! 密着してくるな! 何かヌルッとしてるしキモいな!」
私の猛抗議によって二十人は綺麗な隊列を組み、部屋に多少のスペースができた。その中の代表……恐らく私と通話をしていた奴が口を開く。無理矢理オクターブを上げたような、あの声で。
「これで信じていただけたかな?」
「うるせぇ! なんなの一体!? 私の役目は終わったはずじゃん!」
「それが実は、誠に言いにくいんだが、我々としたことが、じゃがりこに夢中になりすぎて全部食べちゃったんだ」
「うわぁ、めっちゃバカじゃん。本当に宇宙一の文明持ってんの?」
「それも信じてほしい、だからこうして、じゃがりこを貰いに会いにきた」
「いや近所迷惑とか考えろよ! 夜中だぞ! 警察呼ばれたらどうすんの!」
「安心したまえ、ここら一帯に防音システムを作動してある。更に言うと宇宙船本体にも、搭乗員にしか視認できないステルスシステムが作動している」
「私、搭乗員でもないのにガッツリ見えてるんだけど、宇宙船」
「いや、お前は立派な搭乗員だ、宇宙船の上部に付いているアレをよく見ろ」
私が窓に近寄り改めて宇宙船を見ると、楕円形の船体のてっぺんに長方形の物体がくっついている。あれは、私が毎日使っていた、あの公衆電話だ。
「お前との交信記念に、勝手ながら船体に取り付けることにしたんだ。これでお前も搭乗員の一人ってわけさ」
「そんな後出しジャンケンあり? まぁ良いけどさ。はるばる二四七万光年から長旅お疲れ様」
「というわけで、我々には時間がない。早いとこじゃがりこをくれ」
「はいはい、さっき食べてたやつどこいったっけな……」
私は強風で吹き飛ばされたじゃがりこを床から拾って、異星人に渡す。
「一本とは、お前もケチだな」
「どうせこれから何本でも複製できるんでしょ。それに、美味しいからしょうがない」
「それは我々も同感だ。しかしこんな時間に食べてたら、太るぞ」
「確かに。二つの意味で一本取られたわけね」
「…………」
「笑えよ」
「すまない、我々は表情筋を持っていない。声色だけで喜怒哀楽を表現できる種族なんだ」
「笑い声も聴こえなかったけど?」
「単純につまらなかったからだ」
「ぶっ飛ばすぞ、早く星に帰れ」
「わかった。それと今、この家に微弱な電波を送信している」
「急に怖っ!? 何それ!?」
「なに、焦ることはない。我々と同じ価値観を一部、共有したくてね。お前に対する我々なりの恩返しだ。ではさらばだ、ミス・カナタ」
そう言って、アンドロメダ座エス星第三迎撃部隊の皆さんは物凄い速さで母星へ帰っていった。空中で直角に曲がりながら進む物体を初めて見た。
次の日の夜、学校の近くの公衆電話がなくなっていたことを伝えると、両親はすんなり私にスマホを買い与えてくれた。なるほど。異星人が言っていた「価値観の共有」の意味を、私はそこでようやく理解した。文明の発達に抗う者は極刑とかなんとか言ってたっけな。
それからトントン拍子に、我が家のホウキは床を這い回る自動掃除機になり、父はニュースを新聞ではなくタブレット端末で確認するようになり、リビングには話しかけるとAIが返事をしてくれるスマートスピーカーが鎮座した。
このアプリが便利だとか、このサイトが面白いとか、クラスメイトから色々なアドバイスをもらい、私はようやく輪の中に入れた気がした。
アンドロメダ座エス星第三迎撃部隊の電話番号は、一番最初に登録した。一度おもいきって発信してみたが、案の定電話番号は存在しないことになっていた。
でもいつかきっと、二四七万光年先からのリダイヤルがかかって来るんじゃないかと期待している。完全な平和を取り戻したという報告が聴けるんじゃないかと思っている。
二階の自室の窓から空を見上げると、ひとつの星が、一瞬あたたかい光を放ったような気がした。
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