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今の60代はまだまだ若い。青井常男に至っては未だ精力絶倫の遊び人だ。当年取って65歳だが、親から莫大な財産を相続し、仕事や金に困ることなく人より悩み少なく、お陰で皺も少なく、ほとんど遊んで暮らして来たから屈託のない若々しい顔をしている。しかし、彼にも不満があった。最近の若い女は昔の女に比べて確かにスタイルが良いのが多くなったから女を選ぶのに困らないかと言うと、そうではないのだ。幼少の頃から親から甘やかされ、顎まで甘やかされ、柔らかい物ばかり食べて歯応えのある硬めの物を食べて来なかった所為で下顎が発達せず小さいので上の前歯が前に突き出て見えるのだ。しかし、若い世代はそれが当たり前だと思っているから気づかず気にせず、まるで出っ歯を自慢するかのように剥き出しにして笑う。それが長年に亘って女を観てきただけに見っともなく常男の審美眼には映る。時と次第によってはネズミ男を連想する。それ位、下卑て見えるのだ。口を噤む時なぞもどうしても不自然な感じになる。ラジカルに言えば、オラウータンかチンパンジーの口元のように丸く盛り上がるのだ。また出っ歯だとアヒル口になりがちだが、常男は出っ歯の所為だと思うから決してかわいいとは思えない。寧ろ日本の女は劣化していると蔑視する。それに引き替え、元妻の何と美しかったことかと25歳の時に結婚した愛美のことを懐古する。当時、愛美は24だったが、嗚呼、40年前だと言うのに何と洗練されたスタイルとプロポーションを兼ね備えた美人であったことだろう。もし、今見ても最高だろう。あんな美人はもう二度とお目にかかれない。胸の大きさだって今の巨乳女に引けを取らない。形に至ってはあれ以上の代物はないと言える。美に於ける顔と乳房の高次元の両立、天は二物を愛美に与えたのだ。しかし、彼女も年には勝てなかった。で、常男は彼女が40の時に見切り、爾来、結婚せず、只管、牧草を美味い美味いと食べていた牛みたいに偏に愛美を味わっていたのに、あれもこれもと煩悩に掻き回されながら選りすぐりの若い女をとっかえひっかえ遊んで来た訳だが、最近になって若い女に不満を持つようになった次第だ。
ま、しかし、体自体は美食飽食の家庭に育って食べ物の硬い柔らかいに関係なく栄養が行き届いているお陰もあって良好なのが多いので、そこに価値を見い出せて相変わらず金に飽かして女遊びをする常男。
そんな彼の大邸宅を青井常太郎が女性を連れて訪れた。彼は常男と愛美との間に出来た二人にとっての一人息子で二人が離婚後、愛美の連れ子となり、常男が出してくれる養育費や学費のお陰で教養を身に付けて成人し、今や36歳になるが、丁度、自分が立ち上げたベンチャー企業が軌道に乗って絶好調、つまり儲けに儲けている時であった。
常男は取次に出た、40年以上も務めている家政婦が驚愕した体で、「旦那様、常太郎様が見覚えのある、それはそれは綺麗な女性と一緒に面会を願っておられますが、如何いたしましょう?」と告げたのを聞いて聞き返した。
「見覚えのある、それはそれは綺麗な女性だと?」
「はい、有体に申しまして、その、昔の奥様の生き写しとしか思えない女性と・・・」
「何!何をまた、お前は戯言をほざいているのだ。常太郎が不倫報告に来たとでも言うのか!而も愛美の生き写しだと!そんなの有り得るか!お前、到頭、ぼけたか?」
「いえ、旦那様、私めの眼には確かにそう見えたのでございます」
「お前は老眼も酷くなったんじゃないのか?」
「いえいえ、旦那様、そんなに馬鹿にしないでください。私めは飽くまでも確かな確かなことを申しておるのでございます」
「ほんとだろうな?」
「はい、何で嘘なぞ申しましょうか」
「よし、ま、何はともあれ、興味津々になって来たから今直ぐ応接間に通せ!」
「はい、畏まりました」
常男は半信半疑ながら女好き故、わくわくする心がポジティブシンキングを呼び起こし、もし婆が言うことが本当なら常太郎はどういう積もりでやって来たのかと考えると、ひょっとして父のことを思って飛び切り美人を紹介する為に訪れたのではないかと思えて来るのだった。
やがて、「トントン!」とノックする音。
「誰だ?」
「常太郎です」
「うむ、話は婆から聞いておる。さあ、入れ」
「はい」
常男は自分に似ず相変わらず慇懃な常太郎の次にどうだと言わんばかりに得意満面の笑みを浮かべながら昂然と入って来た女性を見るなり天地が引っくり返る程、びっくり仰天した。
百万ドルの左笑窪も若き日の愛美そのものだと思うものの俄かには信じ難かった常男は言った。
「つ、つ、常太郎!この方は誰だ?!」
「はい、御覧の通り僕の母です」
「な、何だと!」と叫んだ後、放心して愛美に見惚れる常男。
「ま、訳は座ってから話しましょう」
きょとんとしてしまった常男の向かいのソファに常太郎は愛美に瓜二つの女性と共に常男に一揖してから座った。
「お父さんが驚かれるのも無理はありません。実は僕の事業が順調に進みまして僕の懐もとても温かくなりましてね、ここは一つ親孝行しようと思い立ち、お母さんをより綺麗にして差し上げようと美容整形外科××クリニックに行かせましたところ、このように若さと美しさが復活した訳です」
「と言うと云百万かけて整形手術をした訳か?」
「いやいや、そうじゃないです。お母さんはそこまでする必要はなくてですねえ、お父さんに見切られたのが余程悔しかったんでしょう。離婚後、美容ケアを欠かさずするようになりましてね、ほら、お父さんは同世代だからよく御存知でしょ、松田聖子。あの人みたいにお金をかけてって言うと、誰が出したんだって思うでしょ。僕ですよ。僕はお母さんの若い頃の写真を宝物のように大事に持ってましてね、妻より遥かに優れたベースを持つお母さんにお金をかけるべきだと、そう強く思ったんですよ。ですが、ヒアルロン酸やコラーゲンの注入だけでは流石に若い頃のイメージ通りとは行かないですからフェイスリフト、ネックリフト、序にバストリフトをして完全になった訳です」
「と言うと、胸の形も?」
「勿論です。ねえ、お母さん!」
「そうよ。青井さん、うふ」と愛美は言葉尻で常男に色っぽく笑って見せた。
その嬌笑に常男は思わずドキッとして稲妻に討たれたようにシャキンとして瞬時にもう再婚するしかないと思った。
「あ、あの、君はまだ常太郎と暮らしてるの?」
「そうよ」
「じゃあ、独身?」
「そう」
「よ、よく、独身でいられたねえ。離婚してから男に色々誘われたろう?」
「ええ、でも、悉く断ったわ、私、あなたを見返したいとばかり思っていたから」
「と言うと、俺のことをずっと思ってた?」
「みたいなものね。私、あなたみたいに女遊びし捲る男を独り占めにしたいの。そう出来れば、女にとってこれ以上、名誉なことはないわ」
「な、成程、いやあ、俺も君にそう言われて男としてこんな名誉なことはないよ」
斯様に言い合って自ずと互いの胸中に嘗て激しく燃やした恋心が芽生え、仲睦まじそうに二人が見つめ合うと、常太郎は万事上手く行ったと思って言った。
「お父さん、お母さん、焼けぼっくいに火が付きましたね」
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