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新卒で今の会社に入社して二年が経った当時、私には苦手な同僚がいた。
結城さんという一流国立大の大学院を首席で卒業した人で、父親の仕事の都合でアメリカとドイツで小・中学生時代を過ごしたので英語とドイツ語はもちろん、他にも中国語、韓国語、スペイン語、ポルトガル語、フランス語が話せる。
細身の長身で往年の銀幕スターのような美男子、おまけに人より十倍も二十倍も仕事が出来る。
だけど部署の飲み会に誘っても、資格のスクールに行くだの大学の公開講座に出席するだのと何だかんだ理由をつけて断り、賢い人独特の近寄りがたい雰囲気を漂わせている結城さんの存在を、私は疎ましく思っていた。
同じ理由で結城さんを苦手としていた人を、私は四人ほど知っている。
ある日、結城さんの退社を社内メールで知った。
心の中でガッツポーズをしたのは私だけではないはずだ。
退社理由について、私は深く考えなかった。
仕事も外国語も出来る人だから、ヘッドハンティングでもされて転職するのだろうと気にもとめなかった。
そして迎えた結城さん最後の出社日、私は結城さんと残って仕事を片付けていた。
自分の送別会すら頑として断った結城さんを、最後まで好きになる事が出来なかった。
仕事が終わって帰ろうとしたら、課長と人事課の同期に会議室に呼ばれ、私は結城さんの退社理由を聞かされた。
商談相手が来社された時、自分でも気づかない内に失礼な事を仕出かして先方を激怒させたのを、結城さんが庇ってくれての退社だという。
自分が何か失礼な事をしてしまった事すら知らなかったので驚いた。
頭が真っ白の状態で会議室を出た。
結城さんに謝ろうと思ったのに、彼の姿はもう部署になかった。
机の上には開封済みの明治マカデミアナッツチョコレートの箱。
社内の売店で買った、通常より少し高い価格の限定版チョコレートある。
仕事が終わったら食べようと、楽しみにとっておいたのだ。
箱には付箋が貼られており、それには結城さんの字で
「一個ぐらいもらっても構わないですよね?」
とあった。
見ると、本当に一個だけ無くなっていた。
あれから更に二年の月日が流れだけれど、彼とマカデミアナッツチョコレートの事は、忘れてはいけない教訓として今も私の中に残っている。
あの時苦手としていた人は、今は私の目標である。
あれから周囲に心配されるほど気合いを入れて仕事に励み、その甲斐あって、チーフの辞令をもらった。
同期の女子社員で役職がついた一番乗りであるが、それは退社しなければ、私ではなく彼が命じられていたかも知れない役職である。
出社の準備をしている私のそばで、朝食の皿を並べているのは私の夫である。
夫は得意の語学を活かして私立高校の非常勤講師として英会話と中国語会話を教える一方、翻訳の仕事をしている。
あの時苦手だった人が、最愛の夫として近くにいてくれている。
二年前、メールで謝罪文を送ったら、
「あなたのオススメのスイーツを奢ってください。それで終わりにしましょう」
と暗にデートに誘われて、デートをした日に告白されてお付き合いが始まり結婚した。
課長にも同僚にも驚かれたのは言うまでもない。
自分でも驚いている。
今日は初デート記念日なので、思い出のスイーツを買って帰ろうと思いつつ夫が贈ってくれたアルマーニのパンプスを履いた。
私が彼を苦手としていたのは自分で思っているのとまったく別の理由なのだと、初デートの時に彼に指摘されて気がついた。
彼のそういうところは今も違う意味で苦手としている。
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