絵本の海

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絵本の海

 図書館は円形書架で、ほぼ360度、本を見渡すことができる。とはいえ、本棚にあるのは絵本だけ。それも、トワが理解できない言語で書かれているものもある。  様々な国の言葉が入り混じっているのだ。  トワは、分かるも分からないも、とにかく手当たり次第に読んだが、中でもお気に入りの絵本があった。  女の子が、キツネのぬいぐるみと共に“きしゃ”に乗り旅立つ話。  2匹のネズミが、雪の中でおかしな穴を見つけることからはじまる物語。  小さな男の子が、おばあちゃんに会うため、ただただ、まっすぐ歩いて行くストーリー。  その子は川を越え、丘を登り、ウマという生き物に遭遇し、ハチに追いかけられる。  絵本を通して、外の世界に、季節があることを知った。  大地を駆け抜ける、春のあたたかな息吹、夏の空の眩い雲、秋の深まりに鳴く虫の声、きんと冷え切った空に舞う氷の結晶ーー冬。  この温室内は、常に一定で、暑さに顔をしかめることも、寒さに震えることもない。  本という自由が、トワの心を外の世界へと駆り立てた。  外界への憧れ、そしてーー。  何も知らないまま、母なる大柳になって、自我が消えてしまうことに対する、底知れぬ恐怖。   「トワじゃないか、どうした? もう借りる絵本は決まったのかい」 「あ、いえ……」  声をかけて来たのは、図書館の貸し出し管理をするセンセイだった。    ただ、このセンセイ、他の栽培員(センセイ)と違い、やや風変わりだ。  黒い羽織に、狐のお(めん)を被っている。  素顔を見たことがない。  他の栽培員(センセイ)たちは面などつけていない。狐面の理由を訊いたことはない。  ただ、何度か話して、こわい人ではないと知っているから、トワは密かに、“狐のセンセイ”と呼んでいたりする。 「あの、センセイ。ひとつ質問してもいいですか」 「どうぞ」  狐面に隠されていない唇が、にっこり笑って答えた。 「ぼくたちは、どうして母なる大柳(マザーウィロウ)になるんでしょう」 「嫌なのかい」 「分かりません」 「ふうん。トワ、きみ、他の子が大柳になるのを見たことある?」 「ありません」 「それはちょうどいい。では今夜、わたしと一緒に見に行こうじゃないか。こっそり見学してやろう」 「え? でも、立ち会えるのは栽培員(センセイ)だけなんじゃ」 「だから、こっそり行くんだよ」  狐のセンセイは、人差し指をそっと唇に当てた。誰にもナイショ、ということか。  トワは胸がどきどきしてきた。  全身が叫び出しそうだ、見たい、知りたいと。知らないものをそのままにしておきたくない。  他のみんなと考えが違うから……そう思って、ずっと鍵をかけていた心の中の箱。隠さなくていいなら、どんなに楽だろう。  トワは、勇気を振り絞って、狐面のセンセイにお願いした。   「あの。友達をひとり、連れて行ってもいいですか」
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