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   その年の春は何かがいつもと違っていた。  暖かく纏わりつくような霧の夜の翌日、突き放すような眩しい日差しの午後もあった。  わたしは風邪でもひいたように微熱が続き、ぼうっとする日々を過ごしていた。    風の冷たい3月の初旬。そのはがきは届いた。 「高橋美玲様」  クラス会の案内だった。 「日時 3月30日(土) 午後2時~  場所)藤堂小学校 6年2組教室」 (懐かしい……) わたしは窓から遠くの空を眺めた。  その日、春の嵐が吹き荒れていた。 「きゃっ、吹き飛んじゃうよ」  舞い上がる砂ぼこりを避けるように、目をつぶった明日香が言った。  突風が断続的に二人を襲い、髪の毛を激しく揺さぶった。 「これじゃ美容院に行かなくても同じだったね」  二人とも小学校を訪れるのは卒業以来8年振りだった。大学2年の春休み。外見はそれなりに成長したと思うけど、いまだ何かが足りない気がする。 「学校、変わってるかな」  明日香が言った。わたしたちは街中の道路から角を曲がり、校門へ続く石段の前に出る。 「わっ。懐かしい」  まだ少し肌寒いのに、石段の両脇の桜は早くも満開だった。 「石段て、もっと長くて急な感じがしてたけど」 「そう、あの頃はそう思ってたよね」  それにしても桜はきれいだった。東京の大学にいるとビルとアスファルトに慣れてしまって、帰省すると緑が新鮮だった。 (また春が来たのね) と思い出に浸る間もなく次の風が満開の桜を襲った。 「あっ……」  一瞬のうちに無数の花弁がむしりとられ、あっという間に飛び散った。それらは五線譜の音符のように風に乗ってあっという間に行ってしまった。 「きれい」 「でも、ちょっと可哀そう……」  透けるような薄桃色の花弁は、足元にもたくさん落ちて、その上をすでに多くの級友たちが歩いていた。  わたしは何かを思い出しそうになり、どこかで見たようなその光景の中で、何故だか前に進めずにいた。 「美玲、行くわよ」 「あっ、ごめん」  石段を上りきり、校門をくぐって敷地に入った。その途端、わたしは胸の奥を何かに掴まれたような息苦しさを覚えた。 (ここだ。ここに立って、ここを歩いて、駆けめぐって過ごしていた)  わたしは一瞬であの頃に戻り、あの賑やかな子どもたちの声や風の匂いまで思い出した。 (忘れられる筈もないあの日々を、わたしはずっと忘れようとしていた)
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