変質

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 ショパンの『タランテラ 変イ長調Op.43』を聴きながら、()()は黙々と作業していた。彼女の左手には殻付きの()()が、右手には牡蠣ナイフが握られている。  牡蠣は、貝柱を切ってしまえば意外とすんなり開けられる。千嘉にとっては慣れた作業だ。ナイフを差し込み、貝柱を切り、殻を開け、身を()ぎ取る。ピアノの旋律に合わせ、流れるように一つ二つと、三つ四つと、牡蠣の身をボウルに入れていく。  合計で十二個の牡蠣を取り、それを流水で洗った。今夜のおかずは牡蠣フライだ。それは千嘉の夫である(ひろ)(ゆき)の大好物で、食べるなら新鮮なものが良いと、殻付きの牡蠣を買うようになった。最初は四苦八苦していた千嘉だったが、いつしか注意せずとも剥けるようになった。何であれ、実践に勝る経験はない。  下処理を終え、十二対の殻を持って庭に出た。そして庭の一角で、牡蠣の殻をハンマーで叩き割り始める。千嘉にとっては、牡蠣処理の過程でこの作業がもっとも好きだった。夫への恨み(つら)みを込めて、心の中で毒づきながら殻を砕く。徹底的に、粉々になるまで、胸に(わだかま)る怒りが消えるまで、何度も何度もハンマーを振り下ろす。  冬の陽光を浴び、きらきらとして見える砕けた殻を集め、庭の一角にぱあっと()いた。牡蠣殻は有機石灰の一種で、土壌を酸性からアルカリ性に傾ける酸度調整の役割を持つ。カルシウムも豊富で、安全な石灰として園芸初心者にも人気が高い代物だ。  そろそろ庭の手入れをしないといけない。牡蠣殻を撒き過ぎたせいか、よく分からない草が生えている。何らかの花を植えるにしても、酸度調整は欠かせないだろう。今の庭は多くの植物にとって都合のよい中性に保たれている。千嘉の好きな躑躅(つつじ)(すず)(らん)は、この家の庭では育ちにくい。
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