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「ありがと」
低く呟く比佐の声にはっとして顔を見上げたら、青白い顔に、長いまつげが濡れて光っていた。
「そんな黒ずくめで出歩いてたら車に轢かれるぞ」
「仕方ないじゃないですか。黒シャツしか持ってないんだ」
「葬儀屋かよ」
「とんかつ屋だけどね」
駅の方へ歩きながら茶化すと、比佐は憂いを帯びた眼差しで私を見た。
「というか」
足を止める。
「家ってどこなの?」
昔と同じ地元に住み続けているのならば、私の家と逆方向。
「えっちゃんちに泊めてほしい」
質問には答えず、比佐はただ要求をする。「おい」と言い返そうにも、180センチ超ありそうな比佐に見下され、萎縮した。鋭い眼光が私を試しているように感じた。
こちらが答えあぐねて黙っていると、比佐がさらに言葉を重ねた。
「離婚したんだよね」
「……え」
何で知っているんだ。
誰にも伝えていないことを、比佐は知っていた。
「約束したのに、何で破ったのかなあ……」
傘を奪い取られ、比佐はすたすたと夜道を歩く。顔をしとしと降る雨に濡らしながら、慌てて追いかけた。
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