母性

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レグルスという男がいる。 彼は、非合法なことを生業とする組織の、トップにいる。もうすぐ三十五歳。少し彫りの深い、彫刻のような美しい顔と、そんな組織のトップとは思えぬ物腰の柔らかさと、奇妙な無邪気さを全て持っている。そして何より、彼は人肉しか食べることができない。 ただ、こんな組織であっても、毎日新鮮な人間の死体が入るとは限らない。 よって、今日も腹ペコの彼は、朝から大層不機嫌であった。真っ白い長テーブルに併せられた金色の椅子に掛けて、テーブルを金のフォークで叩きながら唇を尖らせている。 「昨日から何も食べられていない! もう限界だよ」 とはいえ、そんな簡単に、人肉を獲って来てステーキには出来ないのは、この組織でも変わらない常識だ。数多くの胸とお尻の大きい女性が連れて来られ、御機嫌を取る為に近くに侍らされた。 しかし、レグルスにそれが通用するわけもなく、とうとう彼は立ち上がった。右手に錆びた鉈を持って。満面の笑顔で。 「君達をまとめて、美味しいカレーライスにしよう!」 この凶器で彼は多くの人間を捌いて来た。間違いなく、今回も、手当たり次第に首を斬り落とすのだろう。 部下たちが一斉に悲鳴を上げて後ずさりする。逃げ出そうとする者から腕をレグルスに掴まれ、すわ血飛沫が舞うのか、と思われたその時だった。 「お待ち下さい、レグルス様!」 ぱーん、と両開きのドアが開かれ、入って来たのは、血よりも真っ赤な女性だった。深紅の長髪とドレスを翻し、緋色のハイヒールでずかずかと、逃げ惑う人々の流れに逆行し、その場に押し入って来る。 彼女の名前を、レグルスが呆然と呟いた。 「シャウラ」 シャウラは、三歳の時からレグルスの組織で働く女性である。故に、思考も仕事も、全く合法的ではない。使用するのは主に手製の毒、後は持ち前の優れた演技力で、問題を解決する。 シャウラはレグルスの顔を、そのルビーの様な瞳で睨んだ。 「レグルス様! すぐこうやって、怒るんですから。もう」 美しい指でレグルスの頬を包み、頬を緩める。 「お腹が空いてるからって腹を立てるなんて、子供じゃないんですから」 レグルスは一旦ぼんやりとし、それからぱぁっと顔を明るくした。 「シャウラ、来てくれたんだ」 レグルスの機嫌が一気によくなって、周囲の人間がほっとする。こう言った組織において、沢山の女性を侍らせるのはよくあるが、中でもレグルスはシャウラがお気に入りだった。 これは、シャウラにしか出来ない仕事である。 「良いなぁ。シャウラ。君を食べてしまいたいよ」 シャウラが笑顔で、ずっとレグルスの命を狙っていることを、レグルスはずっと、知らずにいる。
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