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銀白の杖と召使い
満月が照らす遥か東。
俺とお嬢様は黒いローブを身にまとい、森を歩いていた。
時刻は、およそ零時を過ぎたあたり。
俺たちは、三匹の狼がこちらへ視線を注いでいることに気づく。
五時の方向だ。
ガリガリに痩せていたその狼たちは、息や腹の虫さえもを押し殺し、茂みに紛れて機会をうかがっている。
アイコンタクトを交わし、じわじわ俺たちとの距離を詰めているところからして、決してあいつらも阿呆ではない。
だが存在を把握した以上、一枚上手なのは俺たちの方だった。
「とっくに気づいていますわ。いらっしゃったらどうです?」
と、お嬢様が甲高い声で振り向きもせず、狼たちを挑発する。
隠れる意味がなくなった以上、あいつらはもう、我慢ができなかったのだろう。
月光を浴びる俺たちの背中めがけ、三匹の狼が一斉に飛び掛かってきた。
俺たちはローブの左肩を掴み上げ、それぞれ振り向きざまに後ろへ投げつける。
視界を遮られた狼たちは怯み、後退。
お嬢様は肩まで下ろした自身の銀髪と、明るく澄んだ青い瞳を露わにする。
俺もぼさぼさの金髪と、色の深い翠眼をお披露目したのだが、まあこっちはこの際どうでもいい。
だってローブを投げつけたと同時に、しりもちをついたから。
「イテテ、やっぱ俺にカッコよくってのは無理ですね」
「机にかじりついてばかりだからそうなるのですわ」
俺はお嬢様に腕を引っ張ってもらい、起き上がる。
そしてお嬢様は、仕切り直しとばかりに狼たちへ啖呵を切った。
「わたくしたちは、ここに潜む魔物を退治しに来ましたの。あなたたちに構っている暇はありませんわ」
俺の主人であるノートお嬢様は、裕福な商家に生まれたお方で、今年で十八歳になる。
だけどなぜか、彼女は王国中を旅して魔物を退治するという、いわばハンターの仕事を生業にしていた。
お嬢様は幸か不幸か、ハンターとしての才に長けているのである。
銀白の魔術師という異名が広まるあたり、彼女は相当な天才だ。
だが付き人である俺にとっては、彼女との冒険は心臓に悪い日々でもある。
なにせ命懸けだからだ。
「あの、俺はなにをするべきですか?」
そしてかくいう俺は、町医者のせがれ、ウィル。
親が主従関係で、年齢も同い年だから、と宿命的にお嬢様の召使いや付き人をやらされている。
今回も高飛車な彼女の付き添いで、深夜に危険な森へとやってきてしまった。
俺の仕事は基本、お嬢様が旅する道中の家事やお世話。
だから現場にはついていかなくていいのでは? と思った時もあるが、宿で武運を祈っているだけだと、心配で心臓ばかりか、胃腸にも差し障りが起きると分かったので、そこは素直に従っている。
「何もしなくてよろしいですわ。下がってなさい」
「はい、なんかすいません」
俺は、二、三歩下がり、狼との戦闘を控える。
男の割には細くて小柄。そんな俺が装備として着ているのは、藍染めされたズボンに白シャツ、その上から布地の茶色い鎧、クロスアーマーだ。
またズボンには、革のウエストポーチが備え付けてある。
武器であるナイフと、父さん直伝のキズ薬が入っているのだ。
「三匹とも、ウィルには興味ないようですわね」
狼の視線は、すべてお嬢様に注がれていた。
薬臭いチビ野郎の肉よりも、抜群の美貌を持つ女の子の肉がおいしそうだ、という結論に関しては、俺が狼でも普通にたどり着く考えだろう。
実際、お嬢様の肌は細くて肉付きがいい。
俺の良心に邪な感情が湧き上がるくらいに魅力的だ。
まあ、俺の場合は間違いを起こしたら半殺しじゃ済まないので、そこはなんとか抑えています、はい。
どうせ俺はエサとしても、男としても魅力がない人ですよ。
「お嬢様の美貌に見とれているのでは?」
狼たちの選好みが癪だったので、俺は外野でお嬢様をおだててみる。
「あら、ウィルったらお上手ですわね」
すると隙ができたと感じたのか、一匹の狼がお嬢様めがけ、月明りを遮るように迫ってきた。
お嬢様は後退して間を合わせ、狼の頬に蹴りを一発浴びせる。
彼女が纏う黒いワンピースがひらりとなびいた。
スカートの丈が長いため、下着が見えるはずはないのだけど、俺は瞬間的に目線を外してしまう。
戦場で目をそらすのは、下手をすれば命取りだ、と反省はする。
だけどつい心の中で言い訳をしてしまう。
彼女が魅力的なせいだ、と。
「ウィル、どうかしまして?」
「いえ、なんでも」
お嬢様の足元に、気絶した狼が転がっている。
キックが顔をもろに直撃していたから、おそらく脳が揺れたのだろう。
その後、ほかの二匹はお嬢様をただ唸るだけ、睨むだけでなかなか動こうとしない。
「ハァ、やっぱり時間の無駄ですわ。あなたたちにあげるエサは無くってよ」
と、しびれを切らしたお嬢様は、腰に巻いている太い銀ベルトへ手をかける。
そして左脇のポーチから、二十センチほどの杖を取り出した。
杖には銀が全面に塗られており、暗い中でも存在感を放っている。
この杖こそが、お嬢様が銀白の魔術師と呼ばれる所以だ。
杖の先端が、すっと狼たちへ向けられる。
すると、杖から目が眩むほどに強烈な光が放たれ、狼たちを襲った。
そこだけが朝を迎えたのではないか、というくらいのまぶしい光が辺り一帯を包む。
狼たちはこの急なフラッシュに驚き、視界が朧気なままに慌てて逃げ去っていった。
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