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「《持続とは変化を続けることである》」
「……?ショーペンハウアー?」
「残念、フランス人だ」
「…サルトル?くらいしか知らないな」
返事はない。オレは当てずっぽうを続ける。
「サルトルじゃない?デカルト?ルソー」
喜多は、テーブルに置き放しだった本を
チェストの上、読書棚として活用している
スペースに片付ける。有斐閣選書の一冊。
本棚はまだ買わないことにしているらしい。
「ベルクソン、だ」
「ベルクソン…」
記憶の筐の底から、断片を探し出す。
「笑いの、なんとか…何だっけ?」
「『笑い』で合ってる。
今のは『時間と自由』だ」
「『時間と自由』」
オレが身を起こすと、喜多と目があう。
無意識に、オレはその書籍名を繰り返した。
「焦点が『現在』に当たり続ける、つまり
変化し続けることで、常態が維持できる」
「哲学とは、無とは何か、存在とは何かを
考えることだ。存在とは、つまり意識、
意識=精神として古今東西の哲学者は
考えてきた。一方で、科学分野の発達で
精神と物質という二元的価値観が育ってくる。
だからベルクソンも、デカルト由来の、
この対立から自分の哲学を出発させた」
「…《我思う、ゆえに我あり》だな」
「物質に意識はあるか、肉体に記憶は
あるのか、という問いだな。勿論、
人類は、その答に辿りついていない。
もし辿り着いたなら、脳死の是非も、
輪廻転生があり得るかの真実も
知り得るだろう。医学的な事実を
倫理的真実として受け入れるべきか
という歪みも、人類の課題としてあるが」
喜多、と名前を呼んで
オレは話を中断させた。
喜多は黙って、オレの顔を見る。
「眠い。その話は、今度してくれ」
オレは畳の上に、また転がった。
皿やコップを重ねる音がし、
机の上を片付ける気配がする。
「ハムスターのゲージみたいなもんか?」
「何が?」
流しで洗い物をしていたわりに、
オレの一言は聴こえていたらしい。
「さっきの。変化し続けることが常態、って」
室内に戻ってくると、喜多は
オレを見下ろして、言った。
「その発想は…なかった」
睡魔がますます近づいてくる。
「喜多みたいに形而上的な解釈が
できなくて悪いな。ツマラナイだろ」
押入れの襖が開く。部屋の匂いが濃くなる。
オレの横向きの身体はタオルケットで覆われた。
「どうせなら、もっとやさしくかけてくれ」
はみ出していた脛から爪先に
タオルケットを伸ばしながら
満ち足りた思いで、文句を言う。
「センノスケ…お前、結婚願望はあるか?」
「…あるわけないな。まだ学生だし。
ただ、姦通罪はなくても、生涯ただ1人
相手としかしません、と誓うのはなぁ。
それこそ、現実的じゃないと思わないか?
絶対無理だろ。どんだけ好きな相手でも、
他の相手ともシてみたくなるのが自然だろ」
「焼き肉ばかりじゃ飽きる。
ラーメンも食べたい理論か」
喜多は、どうして、こんな話を始めたのだろう。
「結婚、したいの?カノジョとは
別れたいって言ったばっかじゃん」
そもそも、オレたち、高2だし。
深まる眠気に逆行するように
蝉の鳴き声が耳に劈いてくる。
「…俺の母親も、そういう種類の人間だった。
飽きたから仕方がないといって、他を選ぶ」
喜多が家族の話をするのは珍しいのに、
話の続きを聞きたいのに、オレの瞼も
唇も重いままだった。タオルケットが
肩の方へと引き上げられるのがわかった。
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