第四章 決心

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第四章 決心

 百合子は散歩をすれば姫乃が家で暴れる事は無いだろうと考えた。  散歩は朝晩決まった時間にいく事にした。 姫乃にリードをしっかりとセットして玄関を出た。  この時だけは素直に散歩に行ってくれる。 しかし直ぐに散歩コースを外れて先へ先へと歩いてしまう。  百合子は元の散歩コースに戻そうとするが、姫乃の力の方が強くズルズル引っ張られる。  百合子は涙目になりながら、必死にリードを掴んで離さなかった。  そんな姫乃でも立ち止まる事がある。  可愛いね、と言って子供達が集まってくる時だ。  その時は立ち止まって大人しく尻尾を振る。  頭を触ろうとするとビクッとするが、百合子の時と態度が明らかに違う。  それを見ていると余計嫌悪感が湧いてきた。  一度、ドックランで姫乃が走り回って遊んでいる時に、姫乃を置いて家に帰って来てしまった事がある。  ワザとでは無い。  百合子には記憶が無かった。  家に帰ると姫乃が玄関で待っていた。  餌は食べるようになったが、トイレは全く覚えないので一日中に掃除に追われる。  夜は夜で百合子達が寝る頃になると吼え始め、朝方まで寝られなかった。  夫は家の事はなにもしない。  全て百合子任せ。  もちろん姫乃の事も。  姫乃は毎晩、毎晩、無駄吠え。  その度に百合子は夫に怒られた。  吠えさせるな!と怒鳴られた。  お前がなんとかしろ!と叩かれた。  夫は毎日イライラしていた。  その為か以前より帰りが遅かったり家に帰って来ない日もあった。  夫は世話などしない。  糞尿処理はおろか、散歩にも連れて行ったりしない。  こんな日が毎日続き百合子はノイローゼになっていた。  もうやめて‥  叩かないで‥  やめて‥  やめて‥  やめて‥  百合子は姫乃の餌の入った皿を床に叩きつけた。  もう、嫌だ‥  もう、要らない‥  この子、捨ててしまおう‥  百合子は姫乃のいる部屋のドアを開けた。  薄暗い部屋を見渡すと姫乃の姿がない。  逃げたと思った。  しかし、部屋の端で横になり苦しそうに喘いでいる姫乃の姿を見つけた。  吐いた後がある。  よくトイレシートを掘って穴を開け、中の紙を食べてしまい、吐く事がある。  そのせいだろう。  もう‥またなの‥  誰が掃除すると思っているの?  誰のせいで、汚いとか臭いとか、  怒られると思ってるの?  そうだ!  今捨てれば。  百合子は思った。  今捨てれば戻って来れない。  恐ろしい考えだった。  でも百合子の頭には姫乃を捨てる事しかなかった。  この苦しみから逃れたかった。  我が子を捨てる親もいる。  ましてや犬を捨てる飼い主はもっと多いだろう。  百合子は必死だった。  姫乃の体を掴んで引っ張る。  動かない。  全身に力を入れてようやく少しずつ動いた。  ようやく部屋のドアの前までひきづって来た時、百合子はグッタリと倒れ込んでしまった。  手のひらで床を叩きまくる。  涙が止まらなかった。  もう‥もう‥  もう‥‥  百合子は吹き出す感情のまま叫んでいた。 「うるさいのよ!!夜中も吠えてご近所に怒られたらどうするのよ!!」 「いい加減言う事聞いてよ!!」 「怒られるのはいつも私なのよ!!」 「夫だけでも大変なのにあんたの面倒なんか見れるわけないじゃない!!」 「なんで私ばっかりこんな目に!!」 「置いてもらえるだけでもありがたいと思って言う事聞いてよ!!」 「あんたなんかいつでも捨ててやるんだから!」 「私だって選ぶ権利があるの!!」 「もっと大人しいお利口さんが欲しかった!!」 「あんたなんかいないほうがせいせいする!! 」 「あんたなんか貰ってくるんじゃなかった!!」  百合子は初めて口にする汚い言葉に自分でも戸惑いながら止める事が出来なかった。  苦しそうな姫乃の体をバンバン叩いた。  姫乃がゲフッと苦しそうに吐く。  やめて、やめてったら!!  姫乃をバァンと強く蹴った。  グホッと姫乃の口から何か飛び出した。  百合子は近づいて見るとペットボトルのキャップだった。 これ‥  百合子が床に落として無くしたものだった。  面倒くさかったので、そのまま探さずに放っておいたものだった。  こんなの飲み込んでいたの?!  私のせいだ‥‥  百合子はまだ苦しそうな姫乃の背中を摩った。  またゲボっと吐いた。  プラスチックの破片だった。  どれも百合子が落として無くしたものだった。  百合子は慌てて紙に書いてある動物病院に電話した。  先生からすぐに連れて来るように言われ、タクシーを呼んで病院に向かった。  病院に入るとすぐにレントゲンを撮り、催吐処置を行ったが、嘔吐しても中のものは出て来なかった。  内視鏡で確認したところ、誤飲した物が胃の出口から十二指腸に入り込んでいたため、開腹手術に進むとの事だった。  百合子はギュッと両手を握りしめて、病院の待合室で手術が終わるのを待った。  額に両手の握り拳を当てている姿は、何か祈っているように見えた。  手術は1時間ほどだった。  手術は成功だった。  術後は順調に回復して、3日間の入院後に退院出来た。  手術費用は夫に泣いて頼んで出して貰った。
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