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1 星が飛びちり、暗闇に沈む
あれは小学校の頃。
全校生徒が校庭に集められて、先生から運動会の学年練習の注意点を聞いていた時のこと。
思いのほか先生の話は長く、秋晴れの日差しは夏の名残すらあるように強く。
千雪は強い渇きを覚え、その黄色い光に射抜かれたように眩暈を起こし、足元から薙ぎ払われる草のようにぐらりとふらついた。
(ああ、倒れる)
そうぼんやりと頭をよぎったが、一瞬の出来事で咄嗟にしゃがむことも出来ない。目の前にチカチカと星が瞬き、今度は真っ暗闇になった。
ほっそりした身体がぐらりと傾いで、周りから少年少女の甲高い悲鳴がさざ波のように広がって行く。
そのまま身体の右側から地面に叩きつけられるかと思ったが、誰かが千雪に飛びついて羽交い締めするように両腕で千雪の身体を力いっぱい抱きしめてくれた。がくんっと落ちる膝、しかし寸でのところで校庭との衝突は避けられた。
しかしそこは体重は互いにそう変わらぬ、子供同士のこと。
千雪が倒れ込む勢いを完全に殺すことはできず、助けてくれた少年諸共に地面に崩れ落ちた。
華奢な千雪を真っ黒に日焼けした、しなやかな腕が抱え込む。彼はその拍子に地面に自らの膝を強かに打ち付けたようだ。押し殺した「うっ……」と小さな呻き声が千雪の耳にもすぐに届いた。
ずり、と地面を力の入らぬ千雪の運動靴の足裏が引っ掻き、立ち上る土煙の埃っぽい匂いと血の香りが鼻をつく。しかし胸の前に回された腕が意地でも離さぬとばかりに、さらに強く背後から千雪を抱きしめる。
「虎鉄?」
「千雪、大丈夫か?」
振り向かずとも気遣わし気な声を聞いたら彼が誰であるか千雪にはすぐにわかった。幼馴染は少年野球で鍛えた浅黒い腕を痛いほど千雪の肋に食い込ませて、まだ未成熟な全身を使い、背後から懸命に支えてくれようとしている。
(虎鉄、怪我してる……)
大好きな虎鉄が自分のせいで怪我をしてしまい申し訳なく思うのに、真っ暗な視界で敏感になった嗅覚が無意識に拾う、どろりと濃く甘く蠱惑的な香りが鼻先を漂う。
(いい匂い……)
思わずそれによろめくように、千雪の意識が惹きつけられていく。そして強烈に感じた渇きに、全神経が集中し、千雪は小さく白くとがった犬歯に赤い舌をひっそりと這わせた。
(甘い……。美味しそう♡ ジャムみたいに、舐めたいよぉ……、口いっぱい)
父方の先祖から受け継ぐ、その強い衝動の浅ましさに、千雪は色の失せた唇を噛み締めてぐったりと瞑目した。
(そんなこと、考えちゃ、だめだ)
自分を助けて怪我をおった相手に対して、心配するどころかこんなあさましい欲望を抱くなんて。切れ切れの息を吐き、千雪は項垂れたまま身を縮こまらせた。風が真っ白でか細い千雪の首筋を吹き抜け、浮かんだ冷や汗と共に一瞬熱く火照った身体を撫ぜていった。
「……ごめんね」
「大丈夫だから。じっとしてろ」
周りに人だかりができ、2人に手をかそうと伸ばされた沢山の手を、しかし虎鉄きっぱりと拒んで大きく首を振る。
彼は変声期を迎えたやや掠れた声をものともせず、周りに誇示し響き渡るよう高らかと叫んだ。
「先生! 千雪が、また倒れました! 俺が保健室に運びます! 」
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