2 不埒な指先 

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2 不埒な指先 

ぎし、ぎぃぎぃ。  店舗兼住居を兼ねた古い喫茶店の三階。誰かが傾斜が急な階段を登ってくるしっかりとした足音ときしみが畳に敷かれた布団に横たわる千雪の背中に伝わってくる。その音と振動に一瞬眠りから醒めたが、まだぼうっとした頭は微睡みを欲して長い睫毛は再び伏せられた。    すり、すりり。ふに、ふに。  ややあって。柔らかな頬に指先らしきものを押し当てられるこそばゆさに、千雪はまだ半分夢の中、色素は薄いが勝気そうに上がった眉を顰める。 (くすぐったい……) 血の気の失せた頬と対照的な赤い唇が、ほうっと自然に漏れたため息の形に心地よさげに緩まる。  頬をなぞる指先は少し硬くもその手つきは慈愛すら籠った暖かなもので、千雪の日本人離れした蒼白の頬を摺り上げ、そののち頬全体を温めるように押し当てられた。温みに惹かれ思わずその掌に顔をすりつければ、ふわりと立ち上る油と石鹸のどちらも混ざったような独特の匂いがする。柔らかな刺激を受け、少しずつ意識が覚醒に傾いてきた。  再び硬い指先で頬をなでられた後、名残惜しげに離れた手が今度は腰の弱い明るい茶色の髪の間にも差し込まれ、まるで千雪を慰め癒そうとでもするように、穏やかに優しくすき撫ぜられた。 (気持ちいい)  まだ気だるくぼんやりとしたまま、千雪は色素の薄い顔立ちの中一際目立つ赤い唇にほほ笑みを浮かべた。この手の主は恐ろしいことはしないと無意識に悟っていて、うつらうつらしながらもけして悪い心地はしなかった。 「千雪……」  青年の熱っぽくもやや掠れた低い声に名前を囁かれ、長い睫毛を揺らし瞼が反射的にぴくりと動く。  春の暖かな風が質素なクリーム色のカーテンをはたはたと揺らす。その間から眩しい日差しと青い空が覗いてから、千雪は一度薄っすら開きかけた瞼を眩し気に眇め再び瞑る。 (眠い……)  寝返りを打ってから頭から布団を被ろうとまさぐるが、何か重たいものが載っているように邪魔をして掛け布団が動かない。仕方なく仰向けになって寝直そうとすると、半分覚醒して瞼が日を透かして赤く染まっていたのに暗く影が射し日差しが暗く遮られた。  ふに。ふに。さわ。ふに。 (眠いんだよ……)  ふに。  今度のふに、の場所は同じ顔の中にあるけれど頬ではない。千雪にとってそんなに気安くふにふにされたら困る、由々しい場所。つまり唇だ。  しかし寝ぼけた頭は旨く働かず、腕を持ち上げようにも億劫だ。  されるがまま再び優しい指先ですりすり、ふにふにされるのをどこか心地よくもあり、思わず唇を綻ばせたら、何か生暖かく柔らかなもので、駄目押しの、ふにふに、ふにっとされて驚いた。続いて唇をぷちゅり、となぞる、熱く柔らかな生々しい感触に半覚醒の意識が一気に覚醒へと傾いた。 (えっ……)  
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