5 忘れ得ぬ思い出

1/1
前へ
/13ページ
次へ

5 忘れ得ぬ思い出

  「……千雪、俺がお前の世話やくの、迷惑か?」 「……」  さっきまで遠慮なくぐいぐい来たくせに、虎鉄は切れ長且つ黒目が大きく澄んだ瞳で千雪のご機嫌を伺うように覗き込んでくる。  急に飼い主に叱られた柴犬よろしく、強肩で鳴らした広い肩を縮めるようにしゅんとさせていじらしいほどだ。 (なんだ、その顔。ずるい) 「なあ?」  まるでこちらが意地悪を言ったみたいで胸がキュッとしてしまう。  虎鉄の力強い視線と真っ直ぐな言葉はいつでもひたむきに千雪を捉えてくるから、時おり主人に怒られて弱った大型犬みたいにしゅんとした哀し気な眼差しを向けられると参ってしまう。千雪はこの目に弱いのだ。 だが 幼馴染の域を超えた熱っぽい眼差しは時として千雪を落ち着かない気分にさせ、その刺激にちりりっと胸が痛み千雪はそっと目を伏せそらした。 「迷惑かっていえば……。母さんより口うるさくて面倒な時もあるけどさあ。俺が一番一緒にいるのも遊ぶのも、虎鉄だけだし」  一臣、虎鉄、塁、瑛介と男ばかりの4人兄弟の上から二番目で、小中高と野球部の友人も多い社交的な虎鉄と違い、一人っ子の千雪は人見知りで、放課後は祖父の代から営むこの喫茶店の片隅で静かに本を読んで過ごすようなそんな大人しい子どもだった。体質が原因ですぐに貧血を起こすから運動とも無縁で、遠慮なく外に遊びに連れ出してくれるのは昔から虎鉄だけなのだ。 「全部が全部迷惑ってわけじゃないど……でも」 「ならいいだろ?」 そう言って再びぐっと身体を寄せられるから千雪は思わず目を見張って、それから動揺を隠すように長いまつ毛をそよがせ伏せた。 (こんなふうにキスとかされると、どうしていいか分からなくなる……。隙あらば外でもしてこようとするし、 揶揄われてさ、俺ばかり意識してるみたいで嫌だ) 千雪の 戸惑いの原因はただ一つ。  昔から口を開けば「千雪、可愛い、綺麗、好きだ」だとか言う割に、虎鉄の方から「付き合ってくれ」と言われたことは無いのだ。  きっと千雪の方から好きだ恋人になりたいと言えば、虎鉄は『いいよ』とこともなげに受け入れて、恋人同士になれるのかもしれない。 しかし幼い日のある出来事が千雪の喉に引っかかった小骨のようにつかえ傷んで、自分からは好きだと今更言い出せないでいるのだ。 (お前が俺に固執してるの、俺のこと好きなんじゃなくてさ……、あの時からお前は俺に……)  小六の頃、体育の練習中に千雪は貧血で倒れた。身長が伸び始めた第二次成長期の最中だったせいか度々貧血に見舞われることが増えていた時期だった。  運動会の練習中で保健の先生も校庭に出ていたから、眠る千雪には母が迎えに来るまでと虎鉄が付き添っていてくれた。  その時が、父方から受け継いだ血脈に流れる本能にしたがい、虎鉄の血を初めて舐めとった最初の記憶。そう、小雪は半分だけ西洋の吸血鬼の一族の血を引いているのだ。  千雪を助けるために派手に擦りむいた虎鉄の膝に滲む血が堪らなく甘く美味しそうに思えて、千雪はベッドから抜け出すと彼の足元の跪いて、仔猫がミルクでも舐めとるように、なんどもなんども舐めしゃぶったのだ。  くすぐったがって逃げる虎鉄に千雪が幼げな顔立ちに蠱惑的な微笑みを浮かべ、虎鉄の真っ黒の日に焼けた足に縋りながら上目遣いに見つめると、普段は薄い琥珀色の千雪の瞳が半分赤みを帯びていった。    そして虎鉄の黒々と大きな目が合った瞬間……。  虎鉄はすっかり大人しくなった。  その日からたぶん、虎鉄は自分では抗えぬ力で千雪に魅入られたのだ。  あの日から、2人の関係性はよりべったりと膠で固めたように離れがたいものになったと実感している。  だからこそ、あらためて虎鉄の方から告白されOKをしたとしても、それはそれで素直に受け取れるのか、千雪の中ではまだ答えが出ないのだ。 (でも、それでもやっぱり言う? 俺の方から言ってしまう? ずっとお前が好きだったって。お前と付き合いたいんだって……。)  昔からずっとだが、虎鉄は恵まれた体格と気さくな性格で周りに人が絶えない。  大学に入って一か月たたないが、学部が違う千雪は何度か多くの学生(もちろん女子学生も)に囲まれている虎鉄を目にしたことがある。  そんな時は気後れしてしまい、自分の方から駆け寄って行けずにこっそりスマホで呼び出して虎鉄の方から自分の元に来てもらったことも何度もあった。 (虎鉄のこと好きな女の子なんて沢山いるだろうな)  今は虎鉄が千雪に夢中でも、結局半分だけしか魔力を持たぬ千雪の血の束縛なんてやはりたかが知れていて、千雪の知らぬ前に虎鉄は誰かと付き合ってしまうかもしれない。それなら魔力を使ってでもつなぎとめたい。でも真実の愛で結ばれたい。 (どうしたらいいのか、分からないよ) そんな焦りと同時に今の何だかんだ言って居心地の良い関係性に日々が入ってしまったらと思うと、恐ろしくもあるのだ。 「虎鉄……。あのさ」 「なんだ?」   潤みもの問いたげな千雪の硝子玉のように明るい色の瞳を覗き込み、虎鉄はふと笑うと頭に大きな手の掌を置いて彼の弟たちにでもするようにポンポンと叩いた。そしてさりげなくこめかみにチュッとキスを落とされるから、千雪は耳を真っ赤にして気持ちを誤魔化すように呻くことしか出来なかった。 「迷惑じゃないなら、続ける。俺がお前の世話を焼きたいのは俺の趣味だ。千秋さんにも頼まれてるんだからいいだろ? 貧血でまたぶっ倒れて二階にいるって、聞いたからさ、大将特製の造血メニュー持ってきたぞ」 (虎鉄、いつもはなんにも考えてなさそうにしてるくせに、くそ。なんか手ごわい……) この話はもう終わり、とばかりに話題をずらされた。でもどこかそれに救われた気持ちにもなったのだ。衝動的に口走ってこの関係を崩したくない気持ちの方がむくむくと強く湧き上がる。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

63人が本棚に入れています
本棚に追加