9 幼い誓い

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9 幼い誓い

 虎鉄が千雪に一目ぼれしたのは多分、二人が初めて出会った5歳の時だろう。  千雪は海外で生まれ、小学校に上がる前年というタイミングで、母親と共に実家の喫茶店があるこの街に帰ってきたのだ。  虎鉄の母親と千雪の母親は学生時代から仲良しの先輩後輩だったから、同い年の二人は近所に住む遊び相手として『喫茶night・dreamer』で引き合わされることになった。その頃は千雪の祖父ももちろん存命で、カウンターの向こうから孫の様子を心配そうな顔つきで見守っていた。  引き合わされてはみたものの、千雪は今以上の人見知りで、長い睫毛を伏せて母親の後ろから隠れ気味でろくに挨拶もできないほどだった。  虎鉄がいつも通りの元気な声で「こんにちは!」といってもまるで反応がない。 (言葉が分からないのかな?)  その頃の千雪は今よりもっと身体中の色素が薄くて、髪の毛など殆ど金髪だったし、柔らかな髪は肩口近くで柔らかなくりんっととした巻き毛になっていた。  その小さな頭がもじもじ、ちらちらと母親の背後から覗くのに、虎鉄は興味をそそられずにはいられなかった。 「一緒にあそぼ? みどり公園でっかい滑り台があって面白いよ?」  そういうと、虎鉄の方から千雪の母の後ろに回り込み、びくびくっとした千雪の目線に合わせて顔を覗き込みながら手を差し出した。すると千雪がおずおずと小さな手を差し出しながら、くりくりっとした大きく印象的な透き通るヘーゼル色の瞳を煌かせてこっくりと頷いてくれた。  そのはにかんだ笑顔は小さな星々が周りに零れ落ちてきたようにきらきらと輝いて見え、そしてあまりにも可愛く思えた。幼い虎鉄の心臓は文字通りキューピットの弓矢で撃ち抜かれたようにドキンと高鳴ったのだ。 (色が真っ白……。口だけ真っ赤で、お人形さんみたいに可愛い。こんなに綺麗な子、初めて見た)  普段はヒーローものが大好きで興味がない、でも幼稚園で先生が読んでくれたことのある、絵本のお姫様みたいだとそんな風に思った。 「この子人見知りなのよね。虎鉄君、幼稚園でお友達がたくさんできるように助けてあげてくれる?」  そんな風に今と変わらず綺麗な千秋さんにまでうっとりするような笑顔で言われて、虎鉄は幼いながらにぽーっと舞い上がってしまったのだ。 「わかった。俺がいつも一緒にいるから、大丈夫だよ? 幼稚園楽しいよ?」  また小さくこくんと頷いた千雪を満足げに見下ろして、小さく頼りなげに柔らかな白い手をきゅっと取った。 (俺がこの子を助けてあげたい。守ってあげたい)  その時、沸き上がった熱い衝動は気持ちは今も寸部違わず虎鉄の中にある。  そして名前も顔も服装すら男女どちらとも取れるようなお洒落なモノトーンの服だったこともあり、虎鉄はてっきり千雪のことを女の子だと思って、一目で彼に恋してしまったのだ。  のちに虎鉄は端でその様子を眺めていた互いの母親たちからも『こいつは絶対千雪君を女の子と勘違いして惚れたに違いない』と確信されていたらしい。  しかし性別が男の子と分かればただの親友同士になるだろうと思っていた親の予測は大きく外れることになったのだ。  千雪は幼稚園に入っても虎鉄以外とはあまりに口を利かず(今思えば早口の日本語はよくわからなかったのだろう。虎鉄はそのあたりいつも気にしてゆっくり喋っていた)大人しくて、日に透かすと当時は金色に透けて見えた長い睫毛を伏せて園庭の端っこの砂場でひたすら穴を掘っているような子だった。当時から多分、日差しを浴びることに弱かった。顔をポーっと赤くして上せたような状態になっては先生たちと部屋の中でお絵描きをしたり絵本を読んだり。何となくほかのことは違っていて、千雪だけがおとぎ話に出てくるお姫様か王子様か。別世界の住人のように感じてそんな姿は虎鉄には幼い胸がぎゅっと絞めつけられる美しい光景として目に眩しくも切なく映っていたのだ。  千雪がいくら可愛くとも、いや可愛かったからなのか。  千雪があまり反応をしないと見るや、千雪の気を惹こうと意地悪をする輩が現れた。千雪のポケットに悪戯に砂を詰めたり、使っていたバケツやシャベルをわざととって行ったりする。千雪自身は意地悪されてもしくしく泣いたり落ち込んだりはしていないようだったが、それでも虎鉄は許せなかった。下に弟が二人もいる虎鉄は身体も大きく、当時からすこぶる面倒見が良く、幼い義憤に駆られていつでも千雪を庇っていた。  そのうち千雪が自分にだけはにかんだ笑顔を見せてたどたどしく礼を言って、なんとなく虎鉄とだけは一緒に遊ぶことを望んでいるそぶりを見せて懐いてくれることに有頂天になったのだ。  共に過ごして成長していく中で千雪は虎鉄にだけは素直に我儘を言ったり普通の少年らしい闊達な受け答えをしてくれるようになった。千雪は心も身体も繊細で、離れて暮らす父親や忙しく働く母親に迷惑をかけまいと手のかからないいい子になろうと努力しつつも結局最後は無理をして体調を崩してしまう。  そんなところも愛おしくて、それが恋愛的な好きだと気がつくのも自分でもあっさりと納得するほど早かったように思う。 (やっぱり千雪はぼくが守ってあげないと駄目なんだ。ずっと傍にいてあげたい)  しかし小学生も高学年ともなると、千雪も他の少年と同じく思春期への入り口に立ち、虎鉄と対等に接したいとわざと粗雑な言葉を使ったりつんっと澄ました雰囲気を装って、世話を焼いてくる虎鉄を遠ざけるそぶりを見せるようになった。小6で初めてクラスが分かれてしまって、虎鉄は余計に千雪の姿をいつでも目の端に追うようになってしまっていた。  そんな折、運動会の総合練習の最中。  千雪がいつもよりひどい貧血を起こして倒れてしまった。後から千秋さんに聞いたところによると、幼いころから母親の血を舐める程度で解消していた千雪の貧血が、急激な成長に伴いそれでは足りなくなってきた時期だったのではないかということだった。  とにかくいつでも千雪の姿を目で追っていた虎鉄は隣りのクラスの隣の列に並んでいた千雪の身体が傾いだのを見るとすぐさま飛びつき大事には至らなかった。  そのまま誰にも千雪を触らせず、背負って保健室に運び入れた。先生が忙しくしている間に千秋が迎えにくるまで付き添うと約束を取り付けて千雪を見守っていた。  目覚めた千雪がとった行動は虎鉄にとって驚くべきものだった。千雪を助ける時に追ってしまった膝の傷。ざぶざぶと洗っていたが乾かしててからテープを貼ろうとしている間にまた血が滲んできていた。それを目にした千雪の目の色が明らかに変化し、元々黄色味を帯びた瞳の半分が水に薄めたルビーのような不思議な赤みに染まっていったのだ。  白い靴下ははいたままほっそりベッドから長い足で降り立ち、虎鉄の方に向かってくる千雪はまるで天使のように愛らしいのに、その目は欲望に濡れて艶めかしく、虎鉄は下腹部にずくっと欲望の疼きを感じるほどだった。  少し前兄のスマホで覗き見た、大人が性的な奉仕をするような体勢に足の間に跪かれ、流石の虎鉄もたじろいで椅子から転げ落ちそうになった。しかし千雪が思ったよりも強い力で虎鉄の足を膝裏から掴み、赤い唇から覗く桃色の舌がゆっくりと近づいてくる様は、どこか現実のものではないようにも思えていた。少し前から見ていた淫夢の中の千雪がこんな表情で虎鉄を誘ってきていたからかもしれない。朝起きて濡れた下着を見ては自己嫌悪に陥っていたが、無意識に求めることを自分でとめることはできなかった。  ぴちゃ、ぴちゃ。水音をたてながら柔らかな舌で舐められ、虎鉄はばくばくと耳まで届きそうな心臓の鼓動に苛まれながら、体操着の上から自分を慰めることもできずにただひたすらにその刺激を押し殺そうと口元に手を当て必死で耐え続けた。  しかし千雪が顔を真っ赤にしてあまりに幸福気な笑みを浮かべて虎鉄の血を舐めとっていくから、次第にその美しくも淫らな顔に魅せられ、憐れなほど自分を求めてくれるその姿に愛おしさが込み上げてくる。 『甘い……。美味しいよぉ』 『……いっぱい舐めな。俺の血もなにもかも、全部千雪にあげる……、千雪、あのな……』  思わず口をついて出かけた告白を遮ったのは、朝の小鳥の囀りのように涼やかな、変声期前の甘い声。 『こてつ、大好き』  先にそう告げてくれたのは千雪の方だと虎鉄は今でも断言できる。  ふわりと咲いた白薔薇のような清い笑顔に唇だけは赤みが滲んで艶めいて裏腹な美しさたった。あまりに可愛くて、あまりにいやらしくて。  こんな千雪の姿は世界中誰にもみせたくなくて。独り占めしたくて。 「千雪。千雪! 好きだ。大人になったら俺と結婚してくれ。ずっと一緒にいよう」  千雪のふっくら柔い頬を両手で掴み上げて覗きこんだら、涙に潤んだ瞳のまま千雪はたいそう愛らしい顔をして確かにこくり、と頷いてくれた。その後は無我夢中で……。千雪のわななく唇に自分のそれを押し付けていた。 「ふう、ふあっ」  千雪の吐息を奪う勢いで、技巧も何もないただ柔らかさだけを何度も啄むような口づけ。ぐっとまた足の間が痛むほどの刺激的な柔らかさ。最後にはぎゅっと息つく間もなく強く唇を押し付けていたかもしれない。  正直な話をすれば、幼いころから何度もお泊りをしあっているため、隣りで眠っている千雪があまりに可憐で愛らしく、その唇をすでに何度か奪っていたのだが、千雪は覚えてはいないはずなのだ。  だから意識の或る千雪に一世一代の告白をして、誓いの口づけをしたこの時初めて。つまりファーストキスと数えていいはずなのだが……。 「千雪??」 「……」  ばたん、きゅーっと。顔を離したら真っ赤な顔をした千雪がくったりと虎鉄の腕に倒れこんできた。  初めての吸血行為に酔い、そして初めての告白と唇を奪われたことによる衝撃で千雪は意識を失ってしまい、後に校医と共にやってきた千秋に感づかれた虎鉄は、その時千雪の身体に眠る父方の血脈についての説明を千秋に伝えられることとなったのだ。
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