10 バツイチ女の新しい【恋人】(と書いて、推しのアイドルと読む)

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***  再び、木曜日はやってくる。キラモニッ☆の金曜レギュラーは新年度も継続しているので、木曜日は明日のために比較早く帰ってくる。バイトを終えた私が家に帰ると、先に湊人君が家で待っていた。 「おかえり!」 「ただいま、準備ばっちりだね」 「でしょ!」 「待ってて、手洗ってくるから」  湊人君は紺色のエプロンを身に着けて出迎えてくれた。私は大急ぎで手を洗って、お揃いで買った赤色のエプロンを着ける。一緒に暮らすことを決めた時、湊人君が「お願いがあるんだけど」と口を開いた。 「穂花サンと一緒に料理できるようになりたいんだけど……」 「え?」 「いや、分かってるよ? 俺だって超下手くそだし、穂花サンの足を引っ張るのは目に見えてるの。けどさ……一緒にできるようになったら楽しいかなって」  少しためらいがちにそう話す湊人君の手を取り、ぎゅっと握った。 「いいね、いいよ! やろう、一緒に」 「本当に?」 「もちろん! あ、怪我には要注意だからね」 「分かってるって。俺は体が商売道具だしね、気を付けます」  その次の日には、湊人君がネットストアで買ったお揃いのエプロンが届いた。私たちは木曜日を【一緒にご飯を食べる日】じゃなくて【一緒に料理を作る日】に変えた。台所に二人で立っている時間は、今となってはかけがえのない大事な時間になっている。 「ささがきって、こうであってる?」  湊人君はごぼうを握って、慎重にささがきにしていく。その手付きは以前に比べると頼もしくなってはきたけれど、やはりハラハラしてしまう。私は彼の集中力を途切れさせないように「大丈夫だよ」と声をかける。水を張ったボウルの中には湊人君が用意してくれるごぼうが、となりのボウルには私が同じようにささがきにしていったニンジンが入っている。湊人君がそれを終わらせるまで時間がかかりそうなので、私はジャガイモの煮っころがしとお味噌汁を作る用意を始める。お味噌汁には、この前湊人君が貰って来たという可愛い花の形のお麩を入れた。まるで鍋の中も春が来たみたいに華やかになっていく。 「終わったよ、穂花サン」 「うん、ありがとう」  厚みや大きさがまだ揃っていないけれど、湊人君の手は傷一つない。少しずつ上達しているのが見て取れる。私はごぼうの灰汁を抜き、小鍋に調味料を入れていく。 「それは、お酒と砂糖と……」 「みりんと醤油ね。こっちは大さじ2だけど、お酒と砂糖は大さじ3」  そう言うと、湊人君はスマホのメモアプリにメモを取っていく。調味料を入れた小鍋をコンロにかけて、ふつふつと沸いてきたら、買ってきた牛肉にかるく火が通す。お肉を取り出して、今度はニンジンと水気を切ったごぼうを炒める。  お母さんが作ってくれた【家庭の味】、それの作り方を知りたいと湊人君は言ってくれた。 「だって、これが俺たちの家庭の味になるんでしょ? それなら俺も作れるようになりたいし」  そう少し照れながら話す彼を見て、私は幸せに満ち溢れていくのを感じていた。私は大きく頷く。 「それだけじゃなくて、たくさん美味しいものを作ろう?」 「もちろん!」  炒めるのは湊人君がやりたいというので、場所を変わる。甘辛い匂いが食欲をそそる。 「今度さ、公式チャンネルで新しい企画やろうって話してるんだけど……料理でもいいな。洋輔がパン作りたいって話してたし」 「湊人君、結構上手になってるからファンの人が見たらびっくりするかもね」 「目に浮かぶよ。そうだ、穂花サン、講師やらない?」 「む、無理無理!」 「今は無理でもさ、資格取ったらそういうのも考えてよ! あ、でも公私混同するなって怒られるかな……」  二人でそんな話をしながら笑いあう。汁気が飛んだら、先に火を通して小さく切った牛肉と混ぜ合わせて、酢飯に合わせていく。湊人君が牛ごぼうのちらし寿司をよそってくれる間に、私はお味噌汁と煮っころがしを器に盛って行く。  はじめましての料理でもどんどん定番になっていって、いつかは『家庭の味』になっていき、お腹がいっぱいになるまで食べていく。誰かと一緒に暮らすという事は、そんな『味』を増やしていくことかもしれない。新しく買ったダイニングテーブルにはエプロンと同じ色のマットが敷いてあって、そこにお揃いの食器と箸を並べていった。 そして声を合わせてこう言うのだ。 「いただきます!」  美味しいものが満たすのはお腹だけじゃなくて、胸も温かいもので満ちていくのだと教えてくれた彼は、今日も明日も、私の前でこうやって笑ってくれる。 ~*~ fin ~*~
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