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「良い加減、クソでもしてくれば。」
急に声をかけられて、ロムは飛び上がるほど驚きながら後ろを向いた。
「……あんたが、気が済むまでやれって言ったんでしょうが。」
「それにしても限度、げーんどがあんの。独りよがりな仕事は嫌いなんだよ。適度に手を抜け。依頼主と雑談でもしろや。」
そんな無茶苦茶な、と思ったが、集中が途切れるとともにどっと身体が尿意と空腹を訴えてきた。
色んな機材の裏に潜り込んだせいで身体中が埃っぽい。クシャミをしたらもはや膀胱かどうにかなりそうだ。
目の前にある繋ぎかけの端子をじっと睨み数秒してから、ロムはそれをやっと手放した。
「……ちょっと中断するだけなんで、このまま触んなよ。」
集中のせいか敬語が抜けていることに気付きながらも訂正する余裕すらなく、扉の横に立つ昌也を一瞥してロムはトイレのほうに向かった。
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「絶対に修理しなきゃいけないのは、上手のフロアスピーカーと下手のラインアレイスピーカーの上から二番目のやつです。あとは、センター卓に来ているケーブル類は出来ればほとんど取り替えたほうが良い。傷んでるからインプットが振れたときに音がガリ付く。」
メモに書き留めた症状を片っ端から共有していく。本当は優先順位を付けたほうが良いのだろうが、そんな風に妥協するのはロムの得意とすることでは無かった。
事務所に戻り窓からは夕焼けが差し込んでいる。西日が眩しいのかカーテンは半分閉められていて天井の蛍光灯が点いていたが、それが負けるほどの強い光は、向かい合う昌也の表情をより見えにくくしている。
「壁の防音材の剥がれも気になります。とくにバーカウンターに近いあたりが損傷が大きくて、あのあたりで音に乱れが出る。ピアノ曲は特に聴きにくくなってるでしょうね。それ以外も含めたメンテナンスリストはこれです。」
ロムは几帳面に書きつけた手書きのリストを机の上に置いた。
「それから………」
本当は、このあたりで止めたほうが良い。
一旦は口を閉じたが、未だに昌也が無言のまま自分の顔のあたりを見つめているので、緊張からロムは話すのを止められなかった。
「それから、空調も直したほうが良い。」
「……?」
そこで初めて、ピクリと昌也の眉が上がった。
なんでそんなことお前に、と言われるのを覚悟したが、それを事前に遮るようにロムは早口でまくしたてた。
「ファンの雑音が酷い。爆音で演奏しているときは誰も気にならないと思うけど、音が止んだ時にノイズに気付く人は気付く。それで興醒めしたら、せっかくの音響を整えてもすべて台無しだ。それに多分除湿の機能が落ちていて、天井が湿気ってる。だからまずそれから、治すことをオススメします。」
無言が訪れた。
ロムは、メモ帳に目を落としたまま顔を上げられなかった。
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