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深く呼吸をして気持ちを落ち着かせると、今度は小刻みに左手が震えだした。
意識をすればするほど、振動幅は増幅する。ロムは諦めて左手を空に逃しながら、右手だけで顔を覆った。
『それで、早く病院に行ったほうが良いって。』
6年ぶりに会った妹の亜美は、身勝手な1ヶ月間の居候の末にそう言った。
上京の直前にロムがバイクで事故を起こした時には、家族の誰も心配などしなかったのに。それから大学の間すら、会いにも来なかったのに。
『6年も前のバイク事故のことで病院に行くなんて、意味ねぇだろ。それに何科に行くんだよ。医者も困ると思うけど。』
『え、そりゃあ……ほら、まずはクリニック?かかりつけ医?でさ、大きい病院に紹介状書いてもらってさ……』
『何でだよ。震え以外、何の症状も残ってないって。』
『でもほら、その時に脳に何かあったんだったらさ、今になってにいきなり倒れたりとか、あるかもしれないじゃん。』
東京で仕事を見つけたい。なんて理由でロムの家で寝泊まりをした亜美は、悪びれることなくロムのことを心配した。
それでも結局バイトを見付けたらちゃんと部屋を出ていったのだから、さほど興味は無かったのだろうと思われる。
曲がりなりにも亜美が1ヶ月間一緒に過ごした時間の中でロムを病院に行かせる必要性を感じたんだとしたら気にならない訳では無かったが、本当に今更病院に行く気などしなかった。
「大体、金なんて1円も出さねぇんだろ。」
もとい、実家とは絶縁状態である。
医療費がかかることがあったとして、その世話は全て自分で見なくてはならない。
いまのところ、震え以外の身体的な異常は見当たらない。
だとしたら、答えは一つだった。
"病院には、行かない。"
そう言ったロムに、亜美は呆れたように鼻をふんと鳴らして、『だから実家に帰って来れないんじゃない!』と言った。
それから亜美からはよく連絡が来るようになり、先日カフェで昼食を共にした時にも同じことを言われたが、ロムの決意は今のところ揺らぐ気配が無かった。
携帯のアラームが鳴る。
今日こそ、昨日書くはずだったテンペストの修繕見積もりを仕上げなくてはいけない。
「……行かねぇと。」
アルバムが最後の曲を吐き出してホワイトノイズだけが響くようになってから、やっとのことでロムは重い腰を上げた。
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