# 2 欠落のはじまり

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「意味が……わからないんですが。」  似たようなセリフを昌也に吐いたのは、つい昨日のこと。しかしそれとは全く感情が違う。腹の底が冷えて身体全体を重く引っ張るような、そんな痛み。 「誤解をしないで欲しいんだけど。」  何が誤解なものか。どこから遡って問い質せば良いのか。混乱の極みにあるロムは、すっかり甘くなったコーヒーの行方を追うように大塚のマグカップを見つめた。 「君の仕事への姿勢は素晴らしい。実力もある。正社員じゃなくても、君さえ良ければスポットで報酬を払う形式で仕事を続けてもらって構わない。それくらい僕は、君を気に入っているんだよ。」 「じゃぁ……なんで………」  こちらを見る大塚の顔は、憐れむような、気遣うような、不思議な表情だった。少なくとも怒りではない。だとしたら、なぜ。 「君、気付いて無い?」  大塚は自分の引き出しからもう一つ書類を出すと、ロムが出した書類の横に並べてこちらに向けた。  そこには、『新木場地区解体に伴う引取り機材の修繕計画』という全く同じ題名の書かれた書類が2枚あった。  ロムは、自分の文体で書かれたほんの少しだけ違う2枚の書類を見比べて、背筋が凍るような恐怖に襲われた。 「ロム君、何度も同じ仕事をしたり、してるんだ。この書類を作ってくれたのは2回目。それ以外にも、君が重複して作成した書類がここ最近積み上がっている。あと、お客さんの名前をよく間違えるよね。最初はミスだと思った。でも年始のあたりから、あまりに頻繁になってる。」  ……同じ仕事を、何度も……??客の名前を間違えた……?  ありえない、そんなはずはない。だって自分は……… 「そんな……何かの間違いです。」 「僕もね、そう思ったんだ。でも、聞けば君は数年前にバイク事故を起こしていると言うじゃないか。その時に何か脳に損傷があって、悪い病気を発症してるとは思わないか?」   「それ、誰から聞いたんですか。」  聞かなくてもわかってる。この情報が東京でバレるとしたら家族以外ありえない。でも、どうやって?緊急連絡先だって、実家の番号は書いていなかったのに。 「君の妹さんがね、僕に電話をくれたんだ。心配なとこはありませんか、って。だから申し訳ないけど、お互いに少し、情報を交換させてもらった。」  ……亜美の野郎。  年始のあたり。それは亜美がうちに寝泊まりしていた時期に完全に一致する。  だからあんなに病院に行けと言ったのか。  合点がいくと同時に、羞恥心と自己嫌悪で吐き気がこみ上げる。 「ロム君、僕は君に、きちんと診断と治療をしてほしいと思っている。まだ若いんだ、きっとすぐに良くなる。それでもそれを待てるほど、この会社の経営は潤沢じゃぁ無いんだ。………そういうことだ。申し訳ない。返事は今日で無くて良いから、、考えて欲しい。」  本当はそこで、今までにどんなミスをしたのか、詳細に聞くべきだったのだろう。  しかしその瞬間のロムには、それを受け止める余裕などある訳が無かった。 「………わかりました。」  大塚が、はっとするようにロムの目を見つめた。  そんな風にショックを受けるならやはり、この人はどこまでも善人なのだ、と寂しい気持ちになる。  でも、ロムにも譲れないものがあった。   「ただ、確かめたいことがあるんです。せめて一晩だけ待ってください。」  ロムは苦しい顔で大塚に視線をくれると、猶予を乞うた。そして大塚がゆっくり頷いた瞬間、その他の社員の視線には目もくれずに弾けるようにオフィスを飛び出した。
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